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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
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彼は、浅い眠りの中で、およそ1年ほど前の宴を思いだしていた。




精緻な刺繍がほどこされた青い布が、潮風にはためく。

国の窮状を嘆いて地に伏す乙女の衣だ。

ゆるゆると身をおこした彼女の表情は、わからない。

この地で信仰される海神の顔を模した奇面をつけているからである。

丁寧な仕草で朗読を終えた祈願文の紙を折りたたむ乙女に、後方で控えていた女性がすっと近寄り、鏑矢を手渡した。

祈願文が鏑矢に結わえられる。

矢を手にしたまま乙女は舞いはじめた。

指先に、しなやかな身体に、喜怒哀楽が宿る。

卓越した表現力だった。

あれで15歳だというのだから、おそれいる。

金の髪を乱し、彼女は静と動の入り乱れる複雑な舞を一気呵成に踊りきる。

固唾をのんで見守る群衆が、一瞬ゆるんだ空気のなか、息を吐く。

舞台の隅。先ほどの世話役らしき女性が下手にしつらえられた台座から大弓をとるのが見えた。

ゆっくりと立ちあがった乙女に、大弓が手渡される。

舞台中央で海に向かって仁王立ちし、乙女はきりり、と大弓を構えた。

乙女の表情とともに、ふたたび場の空気が引き締められていく。


ヒョオウウウウウ


鏑矢が、放たれる。

大気を震わせ、風が、鳴った。

「―…」

憂慮にみちたその音に、胸が痛くなる。

「ルシアス殿は。酒がお強かったと記憶しているが。…もしや、禁酒されているのか?」

唐突に尋ねられ、彼は、はっと隣席に半身をむける。

頬杖をついた相手に面白そうに観察されていることに気づき、動揺した。

「…いえ。」

舞姫の存在感に圧倒され、すっかり手元がおろそかになっていたのだ。

盃を、と言われてから、ずいぶんと間があいてしまった。

式典は、まだ続いている。

次は各地の領主から献上された矢で十六方位を祓うのだ。

数多の視線をあびながら矢を放ち続ける乙女と、整然と並ぶ10万をこえる兵士たちから意識して目を外し、グラスへと手をのばす。

「お待たせしてしまい、申し訳ございません。」

「よいよい。ルシアス殿の手をしばし止めることができたのだ。当代の舞が上達したということだ。」

卓上から再びワインの入った酒器をとり上げながら、海洋国家セレナを統べる王が感慨深げに言った。

件の舞姫―『水の標』―は、水の国セレナの祭事長である。

大きな祭事以外は水の神殿の最深部に籠っており、公の場に出る時はつねに海神面をつけ、人前で面を外すことはない。

代々、一つの面を受け継いでいくから、同じ者が神代から悠久の時を生き続けているような錯覚におちいる。

豊穣をもたらす存在として国と民に敬われているが、声も顔も曖昧。

『水の標』を選ぶのはこの国を守る水の精霊たちで、年齢以外の素性は、国王でさえ知らないという。

そのはずなので、身内の成長を喜ぶかのような口調を、訝しく思う。


「…当代を、随分気にかけておられるのですね。もしや親しい方の縁者なのですか?」

尋ねてしまってから、しまった、と思った。

「申し訳ございません。」

『水の標』の素性は秘中の秘。国家機密に近いものだ。

「ふぅん?」

とぽとぽとぽ。

深紅の液体を注ぎながら、セレナ王が、にやり、と笑った。

「とんと浮いた噂を聞かぬルシアス殿が…本当に、珍しい。」

嫌な笑みではない。兄が弟を揶揄うような、そんな表情だった。

「気になるならば、戦地に赴く前に会っていかれるか?出立前に寿ぎを受けるとよい。」

その神秘性に魅せられ、大金を積んで、もしくは地位と権力を利用し近づこうとするものは多い。

しかし、風の国の宰、ルシアス・ヴァールブルクは、首をふった。

「いえ。私は戦場で多くの命を奪ってきました。今更その業から逃れようとも思っていません。どうぞ、おかまいなく。」

希少な存在との関わりは、面倒ごとをよびやすい。

迂闊に近づけば、痛い目をみる。

自分は、海の向こうからの脅威をおしとどめるために、一万の兵と400の竜騎士を率いて同盟国であるセレナにやって来たのだ。

戦勝祈願祭に、たまたま噂の巫女姫がいた。それだけのこと。

セレナ王が苦笑する。

「警戒されてしまったか。残念だ。だが、ルシアス殿。戦が落ち着いたら、ぜひあの子に声をかけてやってくれ。あれもそろそろ年頃だから、そう簡単には頭を撫でられないかもしれないがな。」

「……は?」

セレナ王と視線がぶつかる。王が、思わせぶりな表情で口の端を持ちあげた。

「自覚されておらなんだか?ルシアス殿はあの子の金色の髪を殊の外気に入っているだろう?此度も愛でていたようにみえたが?」

髪…金の。此度、“も”…?


(―あぁ……)


ひとつの記憶が脳裏に閃いた。動揺をかくすようにかるく咳ばらいをする。

ルシアスは、慎重にたずねた。

「エングランド陛下…なぜ、それを、私に…」

「…もし、我が国が存亡の危機にまで追いこまれたら、ローイエンにあの子をかくまってやってはもらえぬか、と」

「―…」

ルシアスは援軍編成に至るまでの喧々諤々を思いだす。

即答は、できなかった。

水の国を統べるエングランド・パルヴィス王は、あわく微笑む。

「すまぬ、忘れてくれ。親馬鹿な男の、ただのひとりごとだ。」

(そうか、だから、王は…。)

いつも意気軒昂なセレナ王の顔に、珍しくつよい疲労がみえていたのはこのためかと、納得する。

「…王よ。水軍でセレナに敵うものはいません。勝機は我らにあります。」

水の神にまつわる神話が描かれた美しい酒器をそっとゆずりうけ、セレナ王の盃にワインを注ぎ返しながら、ルシアスは確固たる口調で言った。

不安をはらうように、エングランド王が頷く。

「ああ。弱気になってはいけないな。ルシアス殿たちの協力を得られる時間はかぎられている。

なんとか停戦までもちこまなくては。…『海神オリヴァー』のご加護と、我らの勝利を信じて」

「我らの勝利を信じて」

出陣の盃を酌み交わし、その日の夕刻、セレナの港からセレナ兵11万、ローイエン兵1万をのせた船団が出航した。

海上に布陣したセレナ・ローイエン軍が西大陸の雄ハッバス帝国のおよそ12万の兵と激突したのは、その4日後のことである。




ふっ、と目を開く。

鉛のような右足を叱咤し、彼はゆっくりと身をおこした。

「…眠れていればよいが。」


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