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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
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アリシアは、やや離れた場所で小声で交わされる穏やかな話し声に、うつらうつらとし始めていた。


「失礼いたします。ケヴィンです。」


まどろみを破る声に、アリシアはビクンと体をゆらした。

炯々と輝く銀の瞳。暖炉の炎を反射する金茶の髪。髪留めの銀細工も、まとう衣装も一級品なのにどこか軽薄に見えるのはなぜだろう。

目があう。心臓をぎゅっと握りしめられたような気がした。

こわい!


「ケヴィン殿」

ルシアスは部屋に入ってきたこの家の息子の名をよんだ。

ケヴィンは、アリシアを舐めるように見ている。ずいぶんはやく、もどってきたものだ。てっきり今夜もどこかの女性と朝まですごすと思っていたのだが。

「なんだね、ケヴィン。お客様がいらっしゃるのに。」

 ルシアスが間に入るまでもなく男爵が咎めるように言った。

「いえ、何か御用があれば、と。」

 揉み手でもしそうな勢いでこちらをうかがってくる。

「まったく、普段は家に居つかないくせに…。まあいい、では、夜食の支度を頼んできてくれないか。」

「かしこまりました!」

 父親に言いつけられたケヴィンは颯爽と部屋を出て行った。




「……え?」

アリシアは愕然と目を瞠った。

「綺麗でしょう?」

 台車カートに軽食をのせて半刻ほどで戻ってきたケヴィンの片腕には、あふれんばかりの白い花束が抱えられていた。応接テーブルに夜食をうつしカートへ花を置いたケヴィンは、本棚の上にあった美しい花瓶を取ると、アリシアの向かいのソファへ、どかりと座る。

「知人がくれたのですよ。…ああ、まだ少し丈が高いかな。」

おもむろに衣の袂から花切り鋏をとりだした。

ぱちん、ぱちん、と花を手折る音がするたび、アリシアは、小さく肩をゆらす。

「あなたの金の髪にきっと映えると思って。」

 美しく飾りつけられた花瓶がテーブルの真ん中にトン、とすえられる。

 ケヴィンが立ちあがり、身を固くして座るアリシアのすぐ傍らに片膝をついた。

「…美しいお嬢さん。今度遠乗りにお誘いしても?」

「いえ、あの、わたし、そういうのは、困ります!」

 蒼白な顔で拒絶の言葉をつむぐ彼女の肩に、ぽん、と温かい手がのった。

「…美味しそうだな。すまないね、ケヴィン殿。ありがたく頂くよ。」

ルシアスだった。

すぐ隣りにジルベスター男爵もいる。窓辺サンルームからもどってきたのだ。

「ご苦労、ケヴィン。下がりなさい。」

父親にうながされ、しぶしぶ出ていく。

「…宰相さま…っ」

泣きそうな顔をして自分をふりあおいだアリシアの隣りに座り、ルシアスは嘆息する。

「…私への、あてつけだよ。」

 白いスイートピーは、水の民にとって特別な意味を持つ。豊穣や祈雨・止雨を祈念し行われる神事で精霊に捧げられる花だからだ。『水の標』ら神職が集う水の神殿の温室で大切に育てられており、神殿の紋章にもスイトピーがあしらわれている。

 セレナを象徴するような花を見せられて動揺したのだろうが、これは明らかに私への牽制。

 ダニエルとトーマスのご実家からのご挨拶にちがいない。

「…申し訳ない。すぐ片づけさせましょう」

 男爵の言葉に首をふる。

「せっかく綺麗に咲いていますから。…実は午前中、高原の魂鎮めを行ったのですが、その際、新しい泉がわいたのですよ。」

「なんと。では鎮めの成功を祝って、しばらく飾っておきましょうか。…それにしてもあれは本当に浅慮で…。」

 向かいにすわったジルベスター男爵がため息まじりに言った。

「本当は夏にアイザックがもどってくるはずだったのですが、こんな状況ですので、もうしばらく向こうにいさせようと思っています。」

 アイザックは、アルフォンス・ジルベスターの次男だ。ジルベスター男爵領は北部山脈の麓にあたる。冷涼な地で穀物栽培には厳しい土地だが、『精霊石』の産出量が非常に高い。藍玉アクアマリンや紅玉の鉱脈もかかえており、宝飾業と『精霊石』を原動力とした生活霊具の製造を主要産業としている。工芸大国である火の国サーシャとの交流も古くから盛んで、アイザックも3年前から技術研修のためサーシャのアカデミーに留学していた。とても実直で向上心の高い少年だ。

 品質検査と偽り貴金属をくすねるケヴィンはその手癖の悪さと飽きっぽさが知られている。事実上、アイザックがジルベスター男爵領の跡取りだ。確かに今こちらにもどるより外にいたほうが安全だろう。

 男爵がサンドイッチののった小皿をそれぞれの前に置いていく。飲み物はアリシアがココア、ルシアスとアルフォンスは先ほどの残りの酒とコーヒーである。

ルシアスは、すっかり縮こまってしまったアリシアの冷たい手にマグカップをもたせてやる。カップの中では可愛い動物形のマシュマロがほわほわと泡立ち、まさに溶けたところだった。

いかにも年若い女性が喜びそうな特別感がある、それ。

ふわりと立ちのぼる湯気から独特な酒精を感じ、ルシアスは眉をよせた。

「すまない、ちょっと待った。」

以前もこんなやり取りがあったな、と思いつつ、アリシアは素直に指を離す。

ルシアスは中身を少し飲んで嘆息し、「ジルベスター殿…。」向かいの男爵にココアを手渡した。

「……ん?」

怪訝そうな顔でそれを受け取った男爵が、ぴたり、と動きを止める。

「失礼。」

断りをいれ、違和感の正体を確かめるようにココアを飲み、「あの、愚か者めっ…。」アルフォンスは、怒りと苛立ちに頬を染めた。

濃厚な甘さに紛れるように、『レッド・ストーム』というアルコール度数の非常に高い甘口の酒が混ぜられている。『レッド・ストーム』は、数杯でも酒豪といわれる東部軍左右大将軍達を酩酊させるほど。


…アリシアでは、少量でも昏倒するように意識を失い“何をされても”抵抗することはできないだろう。下手をすれば命の危険すらある。


「ルシアス殿。貴殿の侍女殿に対する我が息子の不躾な行い、まことに申し訳ない。」

ルシアスの不穏な空気を鋭く察したジルベール男爵が、恐縮しきりの体で、言った。


 侍女、という言葉に、動揺する。どうも、彼女のことになると、冷静さを失って困る。

ケヴィンに問い質したところで立場の弱い使用人だけが犠牲になり、うやむやになるだろう。

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