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河にでた。
日暮れまであと3時間半ほど。あとは中央平原を流れにそって南西にむかえばいい。
のってきた船列車は『双子岩』ちかくの第3放牧地の泊地に停泊している。
風が強い。
マントを広げアリシアを包んでやりながら、寒くはないか、と問いかけようとしたとき。
『ディアス伯爵、セレナとの同盟破棄を要望する遺書を残して自邸にて自刃。
貴族院は新議長ヘルター公爵のもと、国境の一時封鎖を、全会一致で議決。』
スファルの声だ。つむじ風とともにもたらされた知らせに、決まったか、と表情を引き締める。ヴォロス高原での事故情報が広く伝わり、セレナへの反発が強まったのだ。
トビアスの退位に多数が賛成したということは、帝国と融和するかはともかく、ひとまずセレナと距離をおくべきだという意見が一気に増えたという事だ。セレナとの同盟破棄までいかなかったのは、ここしばらく根回しをしていたスファルの力なのだろう。
それにしてもディアス伯爵が自刃とは。旗頭であった息子が大鷲から脱落し形勢不利と悟ったとはいえ、再起を狙うと思っていた。あそこには次男がいる。
不信任決議が議決された場合でも、前王は相応の敬意をはらわれ隠居という形になる。
トビアスを拘束し人質として利用するに違いないと思ったから、スファルにトビアスの身柄を取り返すように命じた。
風の国の王は世襲制ではない。けれど龍王陛下の許しもなく前王を武力で弑するのは違法だ。
そして伯爵はスファルに追いつめられ、命を絶った。
まさか伯爵は、すでに兄上を…?
最悪の事態を想定し暗澹たる気持ちになる。
時を同じくして右手の森の奥から武装した一団が近づいてくる気配を察し、彼はさらに表情を険しくした。
「…じっとしていなさい。」
外套の前をかけあわせアリシアを懐深くに庇護する。
鎧に身を包んだ歩兵が100人ほど。風をつかむ滑空機を装備していないので、いきなり交戦に突入することはないだろうが…否、殿に竜に乗り帯剣した貴族がいる。
コストナー伯爵の息子カール…中央平原警邏隊の副隊長だ。カールの実父コストナー伯爵は、ワーステル長官の義兄にあたる。
あっという間に周囲をとり囲まれた。とはいえ常日頃と変わらぬ淡々とした見回りのように見受けられ、ルシアスは、ほんの少し肩の力をぬく。
ふぅと深呼吸をしてから、「久しいな、カール殿。」と声を投げた。
今のところ一団の代表であるカール・コストナーの灰色の瞳にも、殺気や嫌悪感といった強い感情は見受けられない。
「宰相殿。事故の調査ですか。」
あいかわらずの朴訥とした口調。ほどよく鍛えられた体躯をもっているのに、本人の控えめな性格のためどこか気弱そうな印象がある。
ルシアスは首をふった。
「事故の調査を担当しているのは東部軍だよ。知らない事故じゃないからね。微力ながら魂鎮めをしてきた。列車は双子岩で待たせてあるんだ。日も暮れるしもう帰るよ。」
「お怪我をされているとうかがいました。王都までご一緒させて頂きたいところですが、持ち場を離れると上官に叱られますゆえ…。」
「だいぶん慣れてきたから、一人でも大丈夫。警邏途中なのだろう?」
「大鷲様の警備も重要な任務です。停泊地まで護衛いたします。」
「ありがとう。」
ルシアスは鷹揚に笑い再び進み始めた。
コストナー家の一団と出会ってからほどなく、今度は右岸のランセル子爵家別邸から子爵本人率いる一団がやってきて同道を申し出た。
またしばらくすると、東はずれの森に拠点を多く傭兵団の頭領フィオン・ブラントが。そしておよそ30分後。銀の甲冑を着こみ白銀の長笛を腰帯にはさみこんだヘルター公爵が、赤銅色の髪をなびかせ、威風堂々と登場した。背後には精鋭の竜使いと、滑空機を装備した風兵およそ300。
ここにきて、理解した。
…監視されている。
コストナー伯爵、ランセル子爵は、ともに軍部派の重鎮。フィオン・ブラント頭領が御前試合第5位。そしてヘルター公爵…ワーステル長官の懐刀で、去年は欠場したものの御前試合で最多の優勝経験をもつ豪傑だ。
“セレナ援軍の長”をひきうけた自分は、今の情勢では要注意人物。たぶん、再選定の声が高まっているのだろう。
「ご無沙汰しております、ヘルター殿。帰国の報告が遅れて申し訳ございません。」
ルシアスは何気ない風を装い微笑んだ。
「ああ…ちょっと領地の面倒ごとを片づけていたのでね。…もっとも宰相殿も不祥事の後始末でお忙しかったようですからな。有事を差配する能力に欠けるのではありませんか?」
灰青色の目を細め、ヘルターが口の端を持ちあげた。
ヘルター公爵領はここから2時間ほどの中央平原西部だが、公爵本人はもうずっと王都詰めだった。騒ぎに巻きこまれるのをきらい自領にもどっていたのか。
「…議長就任おめでとうごいます。」
「ルシアス殿も、無事に大鷲に返り咲きましたな。私も王都に呼ばれていますので、共に行きますよ。」
有無を言わせぬ口調だ。
すでに500人近い風兵と数十名の手練れの竜使いに、左右の岸をぐるりとかこまれている。
しだいに陽は傾きはじめ、風兵たちの纏う鎧が茜色の光を反射してキラキラと光った。この調子で周辺の所領から次々と領主や有力者の息子ひきいる者たちが加わるのだろう。そして自分たちの乗ってきた船の全権をにぎる近衛副隊長は、この事態をどう思うのか。
操舵を担当しているのはアレンス近衛副隊長。息子は神童と誉れ高いルーカス・アレンスだ。去年は年齢が足りなかったが、12をむかえた今年なら候補となれる。
「宰相様~~。」
ピリピリとしていく空気を無視するように呑気な声が背後から飛んできて、瞠目する。
ふり返ってさらに驚いた。あまりにもこの場にそぐわない者たちだったのだ。
呼びかけてきたのは年若い青年たち。
ホフマン伯爵の三男ダニエル、ヴァルザー侯爵の長男トーマス、そしてジルベスター男爵の長男ケヴィン。甘い顔立ちや実家の権勢を利用して女漁りをくりかえしているダメンズである。
視界の隅でヘルター公爵が渋面になるのがわかった。
「あれ~お一人ですか…。」
こちらを見て残念そうにダニエルが言った。
なるほど、彼らは例の噂を真に受け、噂の美女を見に来たらしい。
「何か用かな?」
是とも否とも言わず尋ねる。
「ああいえ、その、父が…。時間があれば寄ってほしいそうです。将棋の相手がいなくて暇をもてあましているんですよ。」
色ボケ三羽ガラスの最後尾にいたケヴィンの言葉に、助かった、と思った。
ルシアスは、『双子岩』で待機する近衛副隊長にむけて風を放つ。
『…所用にて北部をまわってから王都にもどる。トロハの大滝まで、船の回送を頼みたい。』
トロハの大滝は風の国の北西にあり、王都にもどるなら必ず通らねばならない関である。
『承知いたしました』
双子岩の近衛副隊長から、まずはきちんと答えが返ってきたことに安堵し、ヘルター公爵に頭を下げる。
「申し訳ありません。せっかくなので北西部の方々にも挨拶をしてから戻ろうと思います。」
鋭い視線でこちらをみていたヘルターが、ゆっくりと下がる。
「…分かりました。道中、くれぐれもお気をつけて。」
ざざ、と一斉に風兵が退き、一本の道ができる。
微妙に状況がわかっていない青年たちも年長者がつくってくれた道に気分が高揚したらしく、大仰な仕草で先ぶれよろしくルシアスを案内しはじめた。
彼らもたまには役立つものだ、とルシアスは苦笑した。




