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アリシアは、まだ目覚めない。
天幕でおおわれた救護所の簡易寝台にアリシアを寝かせ、息をつく。
義足のない状態で人を運ぶのは存外難しいものだ。
外の演習場では、獲物を囲み、やんやの宴の真っ最中である。
「失礼する。」
天幕の帳をばさりと翻し、きびきびとした仕草で筋骨隆々とした体躯を軍服に包んだ男が入ってきた。
「ルシアス殿がお越しとうかがい、参上つかまつった。」
むけられる敬礼は、貴族らしい優雅なもの。
「ご無沙汰しております、長官。」
ルシアスも立ちあがり礼を返す。年齢はワーステル長官のほうが4つほど上だが、現在は次期王の立場にいるルシアスの方が、やや上位になる。
「ルシアス殿が立候補するとは正直おどろいております。…失礼ですが、王座にはあまりご興味がないように思えましたので。」
「前線で帝国軍の残虐さと傍若無人ぶりを目の当たりにし、祖国を守る決意を新たにしました。怪我は負いましたが、援軍の長としての経験は私を大きく成長させてくれたと感じております。」
色素の薄い緑の瞳を鋭く細めたワーステルの言葉に、ルシアスは落ち着いて用意していた答えを述べた。
元老院十二長官の一人、軍部省のワーステル長官。三つ子山駐屯軍の師団長から長官まで上り詰めた、たたき上げの武人だ。成り上がりだの、卑しい身分だの、と揶揄する元老院のお歴々の圧力を血のにじむような努力ではねのけ、今は侯爵位を賜っている。
武の国であるローイエンでは、学び舎や勤務先で行われる競いあいの総合結果で俸禄や爵位が決まる。その中でとくに耳目をあつめた者が毎年夏に奥宮で行われる『御前試合』へ駒をすすめる。ただ龍王陛下に捧げられる試合の勝者には暫定的とはいえ王位継承権があたえられるため、出場資格を得た者には辞退する権利が与えられていた。事実、スファルやワーステルは必ず推挙され、おそらく本気の実力はルシアスより上であるはずなのに、毎年欠場だ。
自分にも他人にも厳しい人だ。断れぬしがらみを受け、辞退するでもなくとりあえず出場を続けていたルシアスをワーステル長官が快く思っていないことは知っていた。
数年前からのルシアスの優柔不断さを見限り、ワーステルが本気で擁立してくる対抗馬はいずれも気骨ある若者ばかり。
ただ近衛派と軍部派の代理戦争のような部分もあり辞退が難しくなっていると、一言つけ加えたい。
「それにしても、女人をお連れとは、お珍しいですな。」
アリシアにちらりと視線をむけたワーステルに、ルシアスは微苦笑で答える。
「ヴィル殿と私怨はございません。バーナー公爵家に縁のある娘です。行儀見習いもかね、私の補佐をしてもらっております。」
良家の子女の行儀見習いは、花嫁修業のようなもの。ルシアスも、アリシアの将来を考えてそうしたのだ。一部で愛妾として囲いこんだと噂されているようだが、事実無根である。
「左様ですか。では私も微力ながらお相手探しに協力いたしましょう。」
「助かります。」
しかるべき相手がいれば早く嫁がせてやりたい。
スファルの筋書きにのるのは癪だが、確かに彼女をしがらみから開放するためには、だれかと契りを交わすのが一番よい。『水の標』の力も返上することになり、彼女と水の国の縁をすべてたつことができる。
「…それで、あらたな水源が生まれたとか。」
先に口火を切ったのは、ワーステル長官だった。軍部省長官は東部中央軍長としてセレナ・サーシャ公国・カシューナ王国との国境警備の重責も担う。爵位を賜ってから王都にいることが多くなった長官だが、ここしばらくは頻繁に古巣の駐屯軍に顔をだしていた。模擬戦や野外訓練に参加することも多い。
竜の件も含め、気を引き締めるよう後輩たちに檄を飛ばしているのだろう。
それともう一つは…。
「魂鎮めで水源まで得るとは…本当に宰相殿は水とご縁があるのですね。」
ワーステルの目に宿る皮肉気な光をみとめ、ルシアスは心の内でため息をついた。
セレナからの亡命者受け入れに反対する保守派の筆頭。
それがこの目の前の人物である。




