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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
25/61

22(挿絵:風の国の機構図)

「お体は辛くありませんか」

「ああ。深く眠って、ずいぶん楽になった。」

 『双子岩』ちかくの第三放牧地から小柄なメスの竜を2頭かり受けたルシアスとアリシアは、ローイエンの玄関をまもる三つ子山の谷間をゆっくりとぬけていた。

傷口が完全にふさがっていないので、まだルシアスは義足がつかえない。

しばらくは安全帯で鞍に右腿を固定し、身体を真っすぐに保つ訓練だ。

左に重心が片寄りがちなのですぐに節々がいたむかと思っていたが、存外に調子がよかった。

 初心者のアリシアと、リハビリ中のルシアス。護衛の近衛兵を断り、二人だけのゆっくりした道ゆきである。アリシアは時おり微笑みながら竜の首筋をたたいてその労をねぎらっている。竜にも、ずいぶん慣れてきたようだ。

「そなたも、手綱さばきが様になってきたな。」

「ありがとうございます。」

 アリシアは、金糸で刺繍が施された儀式用の白衣を身にまとい、藍染の髪結い紐で金の髪を高い位置でひとつに結っている。

華奢な手首と足首には、鈴がつけられた精緻な銀の輪が揺れ、シャラリシャラリと間断なく響く軽やかな音が清々しい。いずれも風の国の匠の手によって作られた良い品で、身ひとつでやって来たアリシアのためにルシアスが用意させたものだ。

 もちろんアリシアは固辞したが、ともに行動するなら相応の格好を、と言われ、大人しく『借りる』ことにしたのだった。

 早春の風のなかアリシアと山路を進みながら、ルシアスは尋ねた。

「ところで姫、近衛隊長のこと、どう思った?」

「…こわい方だと思いました。本音がよめないというか」

ルシアスは口元をゆるめた。

「あの人は、私の兄と乳兄弟でね。」

 風の国の王の乳兄弟!

「申し訳ございません。わたし、存じ上げなかったとはいえ失礼なことを…。」

「いいんだよ。あの人は、貴族たちの弱みを掌握し、元老院にも睨みを利かせている。実際、おそろしい人なんだ。私の兄とあの人…スファルは、同じ師範について武芸を学び、実力は二人ともほぼ互角。知ってのとおり、我が国は競いあいによる選定制度をとっていて、血統で王位が受け継がれるわけではない。どちらが王座についてもおかしくはなかった。ところが、四十をむかえるころ、信頼してきた部下の予期せぬ裏切りがあった。至近距離から斧で手ひどく利き手を殴打されて、スファルは一時期、刀がもてなくなったんだ。」

 たまたまその頃、先々代の王が病でなくなり、ルシアスの兄トビアスが王位を継いだ。

一方政治手腕に長けたスファルは、近衛隊長、十二省長官を歴任し、トビアスの治世を支える影の宰相となった。


挿絵(By みてみん)


「スファルは、多忙な兄に代わり、私に武術を仕込んでくれた。それはそれは厳しい訓練ばかりで、本気であの人に殺されそうになったことが何度もある。あれで怪我のあとなのだから、全盛期はどれほどだったのかと。」

「…」

「若いころは兄やスファルに少しでも認められたい一心で、がむしゃらに上を目指して『大鷲アクイラ』の称号を幾度も得た。けれどしだいに兄…陛下もお年を召され、次の王は誰になりそうかと真剣に考える貴族も多くなってきてね。前回の時は、ちょうど宰相職についたばかりで疲れていたし、優勝することに迷いがあって…決勝で、負けた。」

 面倒ごとをさけたい気持ちは、アリシアにもわかる。

「そういえば、ずいぶん、報告が遅いな…。」

 トビアスの捜索を正式に命じてから一週間。

諜報に長けた有能な部下を多くかかえ経験も豊富なスファルが本気で探せば、もう見つかってよい頃だが。

「…宰相様。何か、いいにおいがします。」

 アリシアが前方をみつめ、言った。

「ああ…ヴォロス高原にでるからな。ルピナスの花の匂いだろう。」

 物思いを中断し、ルシアスは手綱に意識を集中した。ここからは長い長い下り坂だ。

 視界がひらけた。

「高原の西の端だ」

 山間部の谷間を蛇行していた細い水路は、川はばを、ぐん、と広げ、高原の中央へむかって流れていく。

水面は空をすいこみ、一見すると湖のようだ。

このまま河を下っていけば国境を越え、セレナの玄関口アドリア湾にでる。

「この高原全体が、第一放牧地だ。」

川岸にはルピナスが群生し、今を盛りと咲き誇る花で一面あわい紫にそまっている。

真っ青な水面、紫の花。その中に沈む、非日常。

かなたに見える黒い影は、かつて駅であったものの残骸だ。

「…あの時、何人か残して消火にあたらせたんだが、火勢が強くてな。火元は最後尾の貨物車で、そこからハッバス製の爆薬の硝煙が検出されている。爆発の衝撃で列車が横転して逃げられなくなったようだ。第二車両の窓を割り救助に入ったが、一酸化炭素中毒や負傷による失血などで、みな、意識がなかった。…申し訳ない。」

「いえ…ありがとうございました。」

「確認できたご遺体はすべて我が国の御霊車にうつし、使者を立ててセレナ王都に移送中だ。事故車両は、セレナ側にいつでもひきわたせるように貨物車にのせて、国境にうつさせてもらった。」

 中州からただよってくる汚泥のような饐えた臭い。咲き乱れる何百万という花でも消しきれない焦げ臭さ。濃くなる臭気に、2頭の竜の足がたたらを踏む。

「ここから先は勾配がゆるいから水がよどみやすい。硝子の破片はできるかぎり片づけたが…。河口のセレナにも、しばらくのあいだ影響がでるかもしれん。エングランド王は、まだ海上の前線におられる。国葬も、すぐに、とはいくまい。だからまず、私とそなたで送ろう。」

 両手をきつく握りしめ、アリシアは真一文字に口を結んだ。無言で頷く。

 ルシアスが青銅製の祭祀用槍パルチザンを鞍から外し、右手に握った。

めずらしい十文字槍で、穂には優美な草花紋が彫刻され、けら首から口金くちがねにかけて、鈴のついた3つの輪がつけられている。


 息をすう。

「レクゥィエスカト・イン・パーケ…穏やかな眠りを、光り輝く未来を」


 ルシアスが風の国の武人の中で頭角をあらわしたのは、武術の研鑽を人一倍積んでいることのほかに、もうひとつ理由がある。

彼は、声の抑揚だけで精霊を魅了し従えてしまう『謡い手』なのだ。

 腹の底からだされる力強いルシアスの声には、老成した独特な深みがある。

 重厚な声の響きにゆさぶられ、アリシアは震撼した。

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