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「がっ」
驚愕に目を見開いたまま後ろ向きに倒れ伏したのは…ヴィルだった。
間合いに飛び込んできたヴィルの胸を、ルシアスが両手でつかむ山刀が深々と貫いていた。ロイドが餞別としてくれたものだ。
ぎゃあああああああ
道化師が絶叫し、一陣の風となって天へ昇る。
『綺羅』が『綺羅』でなくなり、名もなき風となった。それは主従関係を結んでいた主が事切れたことを意味する。
相討ち、ではなかった。
ルシアスは、生きている。最後の跳躍で千切れた右足を代償に。
「『竜輝』…助かった…休んでくれ」
「―…是。」
かすれた声で精霊を労わり、ルシアスはずるずると崩れ落ちた。
「…ふん。腰ぬけのまま逃げつづけていればよいものを…」
足元のアリシアへの束縛はそのままに、むくりと龍王が身をおこす。
首をのばし大きく翼を広げた龍王の厳然とした声が響きわたった。
「勝敗は決した!我は、ルシアス・ヴァールブルクをあらたなる『大鷲』と認める。」
ルシアスは龍王を仰ぎみたあと、頭を垂れた。
「謹んで、拝命いたします…」
けれど跪拝はおろか、立ちあがることもできない。不自然な格好で倒れ伏したまま、彼は顔をふせ、請願した。
「龍王陛下、王都へおでまし願えませんか」
「…我に、わざわざ、王都まで出むけとな?」
龍王が、片眉をはねあげる。
「貴様ら人は、いつからそんなに偉くなったのやら。…断る」
龍王のこたえは、にべもない。だがルシアスは穏やかな口調で再度懇願する。
「王都を占拠している者たちは、他国の者の甘言にのり、先王を力で退け、王位簒奪を企みました。龍王がすまう土地を荒らせばどうなるかを、厳しい粛清により、知らしめる時期であると思います」
鼻にしわをよせ、龍王は、不機嫌そうに唸った。
「気に食わぬ。口の減らぬ男よ。」
真っ赤な目玉が、ぎょろりと動き、足元のアリシアの姿をとらえる。
「この娘を駄賃がわりにくれるというのなら考えよう。お前も、私がタダで動くとは思っていまい?」
「彼女には地鎮めを行ってもらいます。この子の希少価値はご存知でしょう?食べてしまったら、元も子もありませんよ。」
「対価もはらわず助力を請うなど虫がよすぎるとは思わんか。」
ルシアスは微笑んだ。
「…私の右足でご勘弁いただけませんか。」
アリシアは瞠目した。対するルシアスの表情は落ち着いている。
苛立たしげに龍王が尾をふった。
「ちっ。小賢しい理屈を言いおる。お前、この我を外科医がわりに使うつもりだな。」
「…っあ…」
アリシアの身体いっぱいに大気が一気に流れこむ。
けほ、と小さく咳をした彼女をじろりと見下ろし、龍王は言った。
「騒ぐな。余計な事をするな。わかったな。」
胸が騒ぐ。ルシアスの傍にいてあげるべきではないかと迷う。
「宰相様」
「来るな。」
厳しい声で制止され、身が竦む。
わたしに心配されたら迷惑だろうか。たくさん助けてもらった彼にも、わたしは何もできないのだろうか。
乱れた長い銀の髪をかきあげたルシアスが眉間に小さな皺をよせて、小さく息をはいた。
「返り血が、つくだろう。…若い娘が、みるようなものじゃない。」
金の瞳が彼女をとらえ、かすかにゆるむ。
「大丈夫だ。そこで待っていなさい。」
アリシアは泣きたくなった。自分が苦しい時ぐらい周囲に甘えればいいのに。
見ているこちらのほうが、つらい。
「住処の安寧を保つためとはいえ、まったく面倒なことだ。」
龍王が大儀そうに立ちあがる。ヴィルの斧を鼻先でどける鈍い音がした。
「ふん、もうほとんどないではないか。」
龍の唾液は肉を焼き骨を断つ。声にならぬルシアスの苦鳴が大気を震わせる。
何かが溶けるジュぅぅっという音と、硬質なものをかみ砕き咀嚼する気配。
アリシアは震える指先を叱咤しながら自分の下衣の裾から紐をぬきとる。騎乗時に裾が絡まないようにするという実用的なものでありながら、それはたいそう美しい。
深呼吸してから、彼らのもとへ歩み寄る。
「やれやれ。もう食べ終わってしまった。…おい貴様、何をする」
「止血を。」
真っ青な顔でぐったりと横たわるルシアスの傍らに跪き、傷口を注視しないようにしながら手巾で傷口を覆う。そしてその上から切断面のやや上を紐できつく縛った。
風の国の結い紐は滑りにくくしなやかで、髪飾りや帯として高値で取引されている。この裾の紐も、装飾こそないものの幅広で高品質なので、傷への負担もすくないはず。
彼の腕が、つめたい。
アリシアは自分が羽織っていた毛布を肩からはずしてルシアスをくるむ。
痛みに身をよじるルシアスの背をさすり、彼女は毛布の上からぎゅうっと縋りついた。
「お辛いでしょう…でも、宰相様が生きていてくださって、私は、ほんとうに嬉しいです…。」
超然と一連のやりとりを眺めていた龍王が意地悪げに目を細める。
「別にゴタゴタをおさめてくれるなら、こやつでなくともかまわんのだがな…おい、王都につくまで、せいぜい気を失わぬよう気張れ。」
ルシアスが薄目をあけて、口の端をもちあげた。
「…感謝いたします陛下。よろしく、お願い申し上げます。」
ふん、とつまらなそうに鼻をならし、龍王はそのかぎづめでルシアスと力を失ったヴィルの体をつかみあげた。
「娘。お前には我が背中に乗ることを特別に許可する。さっさと乗れ。…特大の雷雲をひきつれて王都にのりこみ、我らの住処を荒らす下賤な者どもをかみ砕いてくれるわ」
王宮内に直接降りたった龍王の形相は、すさまじかった。
旗頭であるディアス伯爵の嫡男の遺体を目の前に放り投げられ、龍王に恫喝された反乱軍は恐慌状態におちいり、自ら城門をひらき城外へと逃走をはかった。
結果として王宮を包囲していたスファル旗下の近衛隊に一網打尽にされたのである。




