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「…おい、大丈夫か。」
身体を揺すられる感覚に、はっと身を起こす。水場の縁石に寄りかかっていつの間にか寝てしまっていたらしい。目の前にたつ人物と深く同調したためだろう。ひどく四肢がだるく重苦しかった。
アリシアはゆっくりと深呼吸を繰り返しながら体内の気と水の流れを整えていく。
「このような所に伏しているから肝が冷えたぞ。」
「申し訳ありません、星が綺麗で、つい。」
「毛布も鞍に置きっぱなしで、風邪をひいてしまう。」
困った奴だ、と言わんばかりの口調。
動きやすくするためなのだろう。朝日に閃閃と輝く銀の髪は、戦場に立つときと同じく、後ろで一つに束ねられている。それでも今の彼からは戦場での苛烈さなど微塵も感じ取れない。
ただその顔は青白く、声もかすかに嗄れていた。それに昨晩別れた時より、右足を引きずっている。
砂漠の国で負った傷は予想外に深かったのだ、こうして無理をすればすぐ影響がでるほどに。
男も女も子どもも必要とあらば屠りつづける彼。異国の地でアリシアの父を身を挺して守った彼。
すぐ近くからわたしを見下ろす金の瞳は、静かだ。けれどその内面にどれほどの葛藤と苦悩を抱えているのか。苦しくて、申し訳なくて。
「....」
とっさに彼の袖をつかんでしまってから、気づく。
時かけ鏡で、彼の過去のほんの一部を勝手に見た自分が、何を言おうというの。
「…不安だったか?一人にしてすまなかったな。」
不自然に身動きを止めたわたしを、宰相様は疲れのにじむ微笑で労わった。
(……彼に、これ以上迷惑はかけられない。わたしの罪も、命も、わたしのもの。もう少しこの国でできることをして、そして去ろう。)
「無事のお戻りに安堵致しました。そういえば、結界が張ってあったはずでは…?」
わたしは、当たり障りのない言葉をおしだした。ルシアスが肯首した。
「きちんと起動していたよ。私が、解除したんだ。このあたりで産出される良質な精霊石を目当てに破落戸紛いの連中が、長逗留をすることが度々あるから。軍と禁軍の一部のものには、結界の強制解除権限が与えられているのだよ。もちろん、宰相である私も解除できる。」
「あぁ…それで。」
精霊石の売り上げは国庫を支える貴重な財源だ。だから村長の手に余る場合は、中央が介入するのだろう。
「村長から聞いたぞ。一人で竜に水と飼い葉をやったそうだな。頑張ったじゃないか。」
「乗せてもらいましたから…。」
他愛のないやりとりのなかで、そっと彼の衣から手を離し、数歩下がる。
「宰よ。鞍と水は用意しておいた。予定よりやや多く取って来てくれたので、肉とパンもつけた。」
野太い声がした。ゆっくりと歩みよってくるのは、この村の長、ロイドだ。
老人はアリシアのほうを、ちらっと見た後、ルシアスに向かいあった。
「我々は報酬とひきかえに中立を保つ。顧客の名前も注文内容も口外しない。しかし防衛協力に基づく報告は約束どおり行う。…2日前から3人の男が樹海に入っている。この地の水脈や鉱脈、地理をかぎまわっているようなので監視をつけているが、ディアス伯爵直々の紹介状をもっているため対応に苦慮している。」
ルシアスの表情が一気に厳しくなった。
「承知した。情報、感謝する。」
焦燥と決意を宿した金の瞳が、わたしを捕らえる。
「行こう。出発だ。」
無言でうなずき、わたしは彼の手をかりて竜へ体をおしあげた。
******
ロイドの里をでて半日。黒ずくめの男を発見した。一人だ。
急に落ち着きを失った竜の様子から異変を感じたルシアスが茂み深くに分け入って相手をやりすごしたため、なんとか接触はまぬがれる。
物陰でみていると、こともあろうに火薬を使い岩に穴をあけている。
「…地質を調べているのか。」
目撃した地点をロイドに伝え、先を急ぐ。
彼らは風の民。報告や指示を風にのせられる彼らに、距離は関係ないのである。
そして二日めの朝、別の男に遭遇した。熟練した手綱さばきの竜つかいの男だ。
ディアス伯爵の配下だろう。面識は、ない。
3人めの男が同じく帝国よりの者なのか、新たな候補擁立を考える保守派はわからないが、今は、一緒ではないようだ。
ルシアスは腰を固定する安全帯をカチリ、とはめる。
値が高かったのは、山の民用の鞍だからだ。両手で銃をかまえ獲物をねらう山の民の竜鞍には、下半身を安定させるために大抵ベルトがついている。右足を負傷していて踏ん張りがきかぬ今のルシアスにとって、最適な鞍だ。
アリシアのベルトも素早く止めてやりながら、毛布で彼女を頭からすっぽり包む。
「通りすがりの者同士、普通は関わりあう必要はないはずなんだが。」
だがどうみても相手はこちらに攻撃しようとしている。
「…面倒なことだ」
「私のことはどうかお気になさらず」
毛布にくるまり静かな表情で鞍の持ち手をにぎるアリシアを見下ろし、ルシアスは苦笑した。
「たいした肝の座り方だ。…では、遠慮なく。」
ルシアスは間合いの広い槍の名手で、俊敏な動きで相手を制することで『鬼神』とよばれるほどの勝率をたたきだしてきた。とはいえ怪我をしている現状では、間合いの中に入られたり、鍔迫り合いの最中に下へおとされたら、不利になるのは明白だった。
ルシアスは巧みな手綱さばきで竜に複雑な動きをさせ、相手から少しずつ距離をとっていく。
馬とはことなり竜の身体を覆う鱗はかたく、矢など軽々とはじかえす。
竜つかい同士で勝敗を決するなら、必然的に乗り手どうしの近接戦になる。
しかしそもそも同じ国の民が山のなかで出合い頭に戦闘に突入する事自体がおかしいのだ。
だから彼は淡々と回避行動のみをとる。
幸い、彼らのまたがる竜は二人ぶんの体重などものともせず、ルシアスの思うとおりに動いてくれた。鋭い爪のある前足で相手を威嚇し、長いしっぽを鞭のようにふって周囲の木をなぎたおしながら辛くも追撃をふりきる。
ルシアスは、候補者は他にもいる、というスファルの言葉を思いだし、眉を寄せた。
そして東大陸にも、毒矢や火を好む帝国の間者があちらこちらに潜んでいると仮定するならば、さらに厄介だ。彼らは他国の土地に斟酌などない。自分たちの皇帝に報いるため躊躇いなく緑ゆたかなこの大地を焼きはらうだろう。
「…たしかに一刻もはやく奥宮に着くべきだな」
慎重に迂回をくり返しながら、その日の昼過ぎ、ついに二人は樹海の南端にある奥宮へと到達したのだった。




