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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
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“時かけの鏡”

ふんわりと身体を包む涼しげな藤紫の長衣をひるがえし、逞しい背中が去っていく。

すぅ、と四肢がひえた。

異国の地に、たった一人。戦の契機となった自覚がある。だから、恐ろしい。わたしは、たとえ民に囲まれ袋叩きになったとしても、何もいえない。

覚悟はしたはずだった。だけど、くるり、とこちらに向き直り近づいてくる熊のような鋭い眼光の異国の猟師を前にして、わたしの身体はガタガタと震えた。


のしのしと歩いてきた老人は、黙ってわたしの傍を通りぬけ、竜の鼻づらに、ぽん、とふれたあと手綱をにぎった。

「旅の方、こちらに。」

朴訥な声だった。みっともなく怯えるわたしに呆れるでも慰めの言葉をかけるでもなく、ゆっくりとした歩みで先導するように歩きだす。

案内されたのは、広場のような場所だった。丸太でつくられた平屋が4,5軒たっている。

「ここは旅の方を泊める場所だ。周囲に『精霊石』の結界が張ってある。」

『精霊石』の結界…水の神殿の四方の門とおなじようなものだろうか。

広場のあちらこちらには、杭が打たれており、水桶がいくつか置いてあった。

老人は、杭の一つにアリシア達がのってきた竜をつなぎ、ぶっきらぼうに言った。

「竜を労わるのは、乗せてもらった者の役目。…その辺の桶に水場の水をくんで飲ませなさい。飼い葉は小屋の横…そこの一番近い鹿の館が、あなたの今宵の宿だ。」

水と、飼い葉。

「…はいっ。」

急いで鹿のドアノッカーのついた小屋の脇に積んである飼い葉を一抱え籠にいれ、竜の前におく。そして水桶をもって切石で囲われた広場の中央の水場へ走りよった。

井戸ではなかった。湧水を囲ったものらしく、石のへりまで満々と冷たい水がみちている。

一か所だけ低くなっている部分から、ちょろちょろと水があふれ、割石を乱積みした野趣あふれる人工の川筋へと誘導されていた。

水場の中は案外ふかい。軽くお辞儀をしてから、水桶をいれる。

桶をひきあげた時、傍らにある大きな岩に気づいた。子どもの背丈ほどの岩の表面に複雑な文様が刻まれている。


「ぶひん。」


竜が、鼻を鳴らした。期待に潤んだ大きな黒目がわたしを見ていた。

「お水…。」

わたしがもどるのを待ちかねたように竜が水桶のなかに首をつっこんだ。ぐびん、ぐびんと、あっという間に飲み干していく。

こうしてみれば、身体はおおきいけれど、馬とあまりかわらないのかもしれない。

「…お客人。あなたは女人ゆえ、私は結界の外で風の宰を待つ。泉の横の『要石』に手をふれなさい。」

はっと顔をあげれば、いつのまにか老人はずいぶん離れた木立の下にいた。

『要石』…たぶん、あの文様が彫られた岩だろう。

水場にもどる。ごつごつとした岩に手を添わせた瞬間、結界の起動する懐かしい感覚が身体をめぐった。




『…珍しや。我らの王の愛し子が、このようなところに。』


慕わしい水の気配。声の主は泉の精霊か。水場に視線をむけたわたしは、驚愕した。

藤色の長衣をまとい石の縁に優雅に腰かけるのは、銀色の髪と金の瞳を持つ美丈夫。

「宰相様――!?」

『おやおや。そなたには妾がそんな風にみえるのかえ?』

つい先ほど森の奥にきえたルシアスの姿をした存在が、しどけなく首を傾げる。

ちがう。このお方は、宰相様ではない。

「―――泉に宿りし水の守り手に、ご挨拶申し上げます。当代『水の標』を拝命しております、アリシアと申します。」

『ほほ。堅苦しい挨拶はよいよい。もう少し、近う、近う。』

額突いたわたしを精霊が手招く。誘いに応じて近寄ったわたしに、精霊は厳かに言った。

『ずいぶん苦しんでいるようじゃ。年若い娘なのに、不憫じゃの。ここで会うたのも何かの縁。そなたの望むものを見せてやろ。』

ひんやりとした手に腕を引っぱられる。

ぺたり、と水場の縁に座らされたわたしは、水面に目をおとし、瞠目した。


金の装飾が施された濃紺の上着と白の長ズボンを身につけた男たちが、革鎧をつけた男たちを殺していた。その苛烈な殺戮の中心にいるのは、銀の長い髪を後頭部で一つに束ねた青年。

流れるような動きは、まるで演舞のよう。だがその刃先は優雅に、的確に、容赦なく、敵対する存在の命を奪っていく。

冷徹な表情で槍をふるう青年の顔を見て戦慄した。その獅子のような金の瞳に確信する。

今よりだいぶ若い、現在風の国の宰相をつとめるルシアスそのひとだった。

『…ほう?そなたの心を乱す相手は、この風の国の宰であったか。』

泉の主の面白がるような声。

『これはの、“時かけの鏡”。自分と強い縁のある者の様々な時の姿を映すもの。…ああ、見るだけじゃ。改変も干渉もできぬぞ。』


“時かけの鏡”―…ではこれは、現実にあったことなのだ。


『誰でも、大なり小なり悔恨や葛藤を抱えておるものじゃ。』


ルシアスが、行く手に立ちふさがる男を切って捨てる。事切れた男の身体に物陰からとび出してきた女が取りすがる。小さなナイフをブルブルと握りしめているその女の心の臓を、非情な槍が、串刺しにする。

「―っ!!」

知らない。こんなに恐ろしく、狂った彼は、知らない。


『人は、ほんに愚かじゃ。短い命を争いと怨みで染める。…人も、精霊も、龍も、この世に命を受けた時から、皆、何かの命を踏み台にして生きている。ゆえに奪った命にきちんと顔向けできるまで、進むしかない。そうでなければ散らされた命は浮かばれぬゆえ。』


絶命した肉片の山の前で、血濡れの体で立つルシアス。

その周囲に、ぼろ布と化した紺と白の制服の男たちが、わっと走りよる。

高々と掲げられる風の国の禁軍の旗。

ふりむいた彼は無表情だった。…否、意識的に表情を殺しているのか。


殺してほしいと嘆願する自分を、彼はどう思ったのか。

生々しい戦の現実は、アリシアは打ちのめした。

たぶん、軽蔑された。

大きなうねりの中で殺し殺される人たちは、自分の意思で生も死も選べないのに。

ああ、そうだ、わたしはまだ、何もしていない。


++++++


生国から気の遠くなるほどの洋上を越えた先にある西大陸。

熱波と乾燥がうねる上空に彼は、いた。


眼下に荒涼と広がる赤茶けた大地。その上にくっきりと浮かびあがる、黒い二等辺三角形。

5つの影は、時おり左右にのびたり縮んだりしながら、遠くはなれた足元の地をついてくる。時おり歪むその影のおかげで進んでいることがわかり、ずっと同じところにいるのではないと、なんとか平静を保つ。

ルシアスは背後をふり返り同乗者の様子をうかがった。

「大丈夫ですか、エングランド殿。呼吸は苦しくないですか。」

滑空機グライダーの左右のバーに両脇をのせ、安全帯のみを頼りに高所を飛ぶことは、おそろしい。初めて空を飛ぶ水の国の王にあわせ普段よりずっと高度と速度を落としているが、それでも上空はかなり酸素がうすいのだ。

だが背後のエングランド王は、浅く息をしながらも、気丈に頷く。

「無理を言って同乗させてもらったのは私だ。無念のなか散っていった我が民たちの苦しみに比べたら、どうという事はない。」

「そうですね。これ以上、民の尊い命を犠牲にしないためにも、少しでも情報をつかまなくては。」

ルシアスも表情を引き締める。

皆、生きて帰ろう。そう、誓いあって戦場に立った。空と海の連携はよく取れている。それでも、多くの命がのった船がすでに数百以上、敵の砲弾をうけ、海神のもとへ召された。

滑空機グライダーで空から援護する風兵も、200余名が天へ散っている。

しかし、ここで退くわけにはいかない。ハッバス帝国の東大陸への圧迫は、年々苛烈になり、もはや民の衣食住を脅かすまでになっている。

東大陸を出航してもうすぐ8か月。兵たちの血と汗と不退転の決意により、帝国海軍を西大陸の沖合すぐの地点まで下がらせることができた。

現在、セレナ・ローイエン連合軍は、西大陸に最も近いランクス諸島のあたりで、帝国海軍と睨み合っている。ただ、ランクス諸島周辺から西大陸沿岸にかけての海は潮目が荒く、暗礁も多い。水の加護があるとはいえ、セレナ水軍もおいそれとは突撃できない。

膠着状態が長引くことを見越して、セレナ側はランクス諸島のうち、無人で淡水の湧くトッポ島を奪い、仮の本陣とした。

とりあえずすぐに戦況がうごくことはあるまい、という状況で、総大将のセレナ国王から援軍の長であるルシアスに、ハッバス本土の偵察をしたい旨が相談された。

かくして夜陰に紛れて船上を飛びたったセレナ・ローイエンの首脳2人は護衛3名を連れ、たった5機で敵国の本土上空に入ったのだ。


「まず今日は地理の確認ができたのですから、上々でしょう。」

帝国海軍の本拠地キト湾周辺には、まだ2万ちかい巨大な鉄製の軍艦が残っていた。そこでハッバスの帝都テーラのある沿岸部に直接上陸できないかと探ったが、水深が非常に浅いことが分かった。

やはり西大陸に上陸するならキト湾しかないようだ。

とにかくこちら側の目的は、暴君ヴァ―ハム・ヘルザーン・ハッバス皇帝を倒す事。

いかに迅速に帝都を包囲し、皇帝の退路を塞ぐか、それが問題だ。

「…それにしても、雨季以外は、本当に涸れ川なのだな。」

砂漠のなかを蛇行する僅かな水の軌跡を目でたどりながら、エングランド王が吐息をつく。

眼下の涸れ川は、皇都テーラに流れこむワジ川だ。

今は夏のはじめ。水のない河は、まるで一本の道のようだ。

「皇帝に内陸部に逃げられたら、終わりですね。しかしこの川は厄介だな。包囲している最中に雨季になったら、こちらが流される。けれど囲まなければ、内陸へ簡単に下がられてしまう。」

これから西大陸はもっとも過酷な季節にはいる。

明るいうちは乾燥した熱気に肺と喉がおかされ、夜は突き刺さるような冷気が肌をつらぬく。夏期の西大陸中央部の1日の寒暖差は、ほよそ40度。

滑空機グライダーの羽で遮っていてさえ、上から照りつけてくる熱気で背中がひりひりと痛いのだ。地上はどれほどの地獄か。

「西部のヴォダ川は、皇帝でさえ手を焼く暴れ川。やはりこのワジ川をどう抑えるかが勝敗の分かれ目でしょう。この次は諜報戦が得意な者を選出して、皇帝の居場所を探ってみます。もしすでに内陸に避難してしまっているのなら、作戦を練り直さないと。」

「感謝する、ルシアス殿。」

「いえ、我が国にとっても帝国の脅威は看過できぬ問題ですから。……気温があがってきましたね。そろそろ戻りましょう。」

左右につき従う腹心の近衛兵に転回を命じようとした時だった。

「宰相!砂嵐です!!」

左側を飛んでいた近衛兵の切迫した報告に、一同に緊張が走った。

「右転回!!船に戻る!!」

地平線のはるか彼方にあがったほんの小さな砂の渦が、瞬く間に天と地をつなぐ巨大な帳となって押し迫ってくる。

「お前たちは先に洋上に出ろ!私たちを待たなくていい、敵兵に見つからないようにすみやかにトッポ島に戻れ!!」

「分かりました!」「ご武運を!!」

配下を先に行かせ、ルシアスは覚悟を決めた。

「…エングランド殿、私の身体にしっかりつかまっていてください。」

「分かった。」

セレナ王の腕が腹部に回ったことを確認し、二人乗りでだせるギリギリのところまで速度をあげる。同時に行く手に目を凝らし、適度な高さの岩山を探しはじめる。

二人乗りでは、どれほど頑張っても、いずれ追いつかれる。ならば、やり過ごすしかない。

すこし傾いだ三角帽子のような岩山が前方に見えた。

「エングランド殿、着地します。」

「おう。」

高度を落とす。礫と砂が入り混じる大地がぐんぐん近づいてきた。

足先をのばす。

とん、とルシアスが。一拍遅れてよろめきつつエングランド王が、砂漠に降り立った。

「伏せてください!!」

滑空機グライダーをおりたたみ、顔色の悪いエングランド王を叱咤して岩陰に避難させる。

セレナ王に滑空機グライダーを預け、ルシアスは『緋燕!』と契約精霊の名を鋭く呼んだ。

『岩の上に!』

緋色の羽毛を持つ美しき鳥が、クゥーと澄んだ声で鳴き、ルシアスを掴んで飛びたつ。

顕現することで精霊は契約者をより強い力で守ることができる。

荒れ狂う砂嵐はもう目前だ。

大気が吼える。滞空することが徐々に厳しくなる。

「っ!」

ぐわりと、横風にあおられた。錐揉み状になり、流される。

緋燕が苦し気な声をあげながら激しく羽ばたいた。

右肩をぶつけるような状態で緋燕とルシアスは岩山のてっぺんに突っ込んだ。

「ぐぅっっ。」

右足に激痛をおぼえ、ルシアスは呻く。緋燕が懸命に衝撃を緩和してくれたものの、どうやら足を折ったようだ。

だが、そんなことに構ってはいられない。

岩を掴み、上半身を起こす。

風の盾(シールド)!』

体勢を立て直した緋燕が、ルシアスを守るように両翼を広げた。

岩山の天頂のルシアスと真下で蹲るエングランド王を包む風の結界が完成した。


ゴおおおおおおおおお

視界が黄色く、茶色く、そして薄暗くなっていく。この地の風は、すべてを破壊する衝動の凝り。殺戮を好む皇帝がたっぷりと血をそそいだ大地は不気味に鳴動し、砂と礫と岩を、まいあげる。

脂汗が流れる。だがここで怯めば、海上で待つ兵たちは旗頭を失い、混乱の中で帝国軍に蹂躙されてしまう。

息を吸う。


「我は安息を願うもの。災禍の終息を祈るもの。」


バリトンの朗々とした声が広がる。砂鎮めの呪歌だ。


「闇の帳に星屑の祝福を、我らに慈雨と涼風を。我は混沌の終息を天に請う!!」


緋燕の身体が朱金に輝き、岩山を中心として、同心円状の大風が生まれた。

風の渦は青嵐となり、砂嵐と激しくぶつかり合う。

砂嵐の軌道が少しずつ、少しずつ、西へとずれていく。

砂と泥を巻きあげながら巨大な喧嘩独楽のように反発しつつ、二つの勢力はヴォダ川の方向へ向かって動きはじめた。

狂風にさらされ、ビリビリと盾が軋む。


ゴロゴロゴロゴロ。

――…ドオオオーーーン!!


西の地平線に達した砂嵐の内部で閃光が光り、雷鳴がとどろいた。

黒く湧き上がるのは、雨雲。

これで、雨がくる。砂嵐もおさまるだろう。

ルシアスは、ゆるゆると身体の力をぬいた。



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