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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
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「竜場を見まわりにいくのだが、思うように動けない。手伝ってくれ。…部下たちも皆いそがしくてな。」


 アリシアの頭部からふわりと毛布をかぶせ、ルシアスは彼女を室外へと連れだした。

 無人の貴賓室にしっかり錠をかけ、船内を足早にすすむ。

 ルシアスは、ぽっこりとふくらんだ布製のカバンをたすき掛けにしていた。関係者以外立ち入り禁止の札が下げられたステップをほんの少し上がると、船列車の外側面にでる。

 重い扉をあけて細い回廊に踏みだした瞬間、春の朝の冷たい空気が肺いっぱいに満ちた。

「…あ…」

停泊する船のまわりの草原をうめつくす竜たちに気づき、アリシアは身を固くした。

「こっちだ。」

 やや強引にアリシアの身体をおし、手すりの切れ目に設置された簡易梯子に導く。

「そなたは梯子を使いなさい」

 下を示す。そしてルシアスは包帯の巻かれた右足を少し浮かせ、ひらりと係留されていた小舟にとびおりた。


「おいで。」

 槍の柄で上手に衝撃を殺して着地したルシアスが、もやい綱をときながら、よくとおる声でアリシアをよぶ。従ってしまうのは、耳に心地よい彼の声のせいか、それとも相反するように強い光を宿す金の瞳のせいか。

 とにもかくにもアリシアは梯子をおりた。

「たいした距離じゃないんだが、この足だからね。船の方が楽なんだ。」

 アリシアを乗せ、ルシアスは竜たちが休むクローバー畑にわけいる細い支流へ小舟を進めていく。水路はしだいにせまく浅くなり、両側が河原になった。

「竜の水浴び場だ。」

 アリシアは、ふと強い刺激臭を感じて河原に目を凝らす。

 右岸の河原のなかに、それなりの大きさの岩石が折り重なった岩場がみえる。臭いはそのあたりからしてくるようだった。

「川湯、ですか?」

「正解だ。ここでおりる。肩を貸してくれ。」

「…はい。」

 ルシアスは河原に船を寄せ、アリシアの手をかりながらゆっくりとおりる。


 近寄れば、湯だまりを囲うように大小の岩を上手にくみあわせてサークル上にしているのだと分かった。結構ひろい。小さな池ぐらいはありそうだ。

 水面からたちのぼる湯気を核に靄がうっすらと広がり、幻想的な世界をつくりだしている。

「西南部の火山の地熱がここまでくるのさ。川底から自噴しているのがみえるだろう。適温で湯量も多いし擦り傷や打ち身にも効能がある。…ほれ。」

「…え。」

 立ちどまったルシアスからカバンをわたされ、アリシアは瞬いた。

「いつまでもセレナの衣装というわけにもいくまい。タオルと着替えだ。鏡と櫛もいれておいたから、湯あみするといい。」

 鏡をみて知る。体には泥や煤がつき、まったくひどいありさまだった。

「髪の色も、もどすこと。水に呼びかけて逃げようなどと思うなよ?隠形した風の精霊が見張っている。おかしな動きをすれば踏みこむぞ。あられもない姿をみられたくなければ、妙なことは企むな。」

 テンポよく釘をさされ、岩陰におしやられる。

「私は向こうにいるから、終わったら声をかけなさい。」

 アリシアは、のろのろと脱ぎ始める。

 この格好で寝てしまったのだ。

 布団や敷物をよごしてしまったかもしれない。それにあの器も…。

 湯につかり、思わずふかい息をはく。

「……」

 アリシアは、つんと顎をそらす。

 無駄だった。視界がぼやける。とろりとした優しさに、涙がとまらない。

  悔しい。悔しい。

 しばらく呆然と湯の中に座っていたアリシアは、岩のむこうで人の気配が動いたことを感じ、慌てて湯舟から立ちあがった。


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