柳と星
「――幽霊はさ、どうして生者の形をするんだと思う?」
道端で揺れた柳の葉音に、彼女の声を聞いた気がした。
あの時、俺は何と答えただろうか。たしか眉を潜めただけだったと思う。そんな俺に彼女は怒ることなく説明を付け加えたのだ。
「――ほら、ホラーだと定番じゃん? 普通の人だと思ってた相手が、次の瞬間には血まみれの幽霊だったとか」
無邪気な声音のわりには内容がグロテスクで、意図を捉えかねたのを覚えている。だが彼女が読めなくなるのは日常茶飯事だったので、俺はさして気にしなかった。
どう答えたものか悩みつつも、俺は思ったままを口にした。
「――人を驚かせるためじゃないか? 最初から血まみれだと怖さ半減だろ」
それを否定するでもなく、彼女は笑ったのだ。
「――かもね。でもさ、私は思うんだよ。幽霊が人の姿をするのは、血まみれじゃ誰にも救われないと知ってるからなんじゃないかって」
全面的に支持するような主張だとは思わなかった。彼女の意図を全て汲み取れたとも思わない。それでも、俺はいつもより少しだけ鼻息荒く語る彼女の姿が嫌いじゃなかった。
だから、俺は続きを求めた。
「――どういうことだ?」
問いかけにきらめいた彼女の瞳を忘れない。
「――考えてみてよ。はじめから血まみれの相手になんて、誰も近づかないと思わない? 見るからに危ないし逃げるでしょ。人と居ようと思ったら、日常に溶け込む努力をしなくちゃ」
彼女の語る幽霊と、彼女自身は不思議と重なっていた。今思えば、あの瞬間に真実があったのだろう。
彼女の語りは止まらなかった。
「――幽霊にもそれが分かっているけど、どんなに取り繕っても取り繕い切れない。なぜなら、死ぬだけの痛みを抱えたままだから。傷だらけの血まみれで、さらに痛みを抱えようとして、破綻した結果ホラーになる。どう? 面白いと思わない?」
言い終えて少し得意げな彼女の笑みに、俺は何も答えられなかった。あの時きちんと答えられていれば、今は変わっていたのだろうか。
すぐ隣の車道を、銀の普通車が猛スピードで抜けていった。
エンジンの音はすぐに遠のき、周囲は再び静寂に包まれる。静まり返った街並みを眺めながら、俺はこの異質な静けさこそが感傷に浸らせているのだと思い至った。
歩き慣れたはずの堀の周辺には、普段からは想像できないほど人気がない。道に並ぶ店もオフィスも、掲げられた広告看板さえも一様に明かりを落とし、夜闇に馴染んでいる。まだ九時にもならないというのに、早くも丑三つ時の様相だ。
それならば、と一瞬だけ考えかけて、俺はそれ以上の思考を放棄した。これ以上考えることなんて何もない。考えることは許されない。
鼻先のワイヤーをつまんでマスクの位置を直し、俺はビルの影から逃げるように開けた通りへ歩き出す。視界には自然と星空が飛び込んできた。思わず漏れた吐息が生温く顔を撫でる。
夜遅くには雨だろうか。チカチカと瞬く星々を見上げて俺は歩く。そして、明日のことを思った。
ありがとうございました。