22話 ハティ、六年前の出来事を回想する
実は六年前に火の部族で一体何が起きたのか、その詳細を本編で書いていなかったので。
急遽、話を作らせていただきました。
時を戻して、アズリアが深い眠りに就いている間。
族長の元に出向いたアズリアが無事帰還したことに、すっかり安堵したハティとユメリアの兄妹はというと。
やたら疲弊して帰還したアズリアを、奥の寝室へと寝かせると。即座に寝息を立て眠ってしまった彼女の寝顔を眺めながら。
「ふふ、お兄様。またアズリア様に負担を掛けてしまいましたね、私たち」
「ああ、全くだ……今度こそアズの力に、なれると……そう思っていたんだがな」
ただ族長の家を見てきただけではここまで疲弊はしないだろうし、夜更けに帰還することもないだろう。
果たして何が遭ったのか、ハティもユメリアも気になりはしたが。事情を訊ねるのはアズリアが目を覚ましてからでも良い。
それよりも二人は、集落の事情に再びアズリアを巻き込んでしまった事への強い後悔の念があった。
「……覚えていますか、お兄様。六年前の、お父様とお母様を同時に失った、あの日の事を」
「忘れるわけないだろう……あの日の事は」
二人の兄妹の言う「あの日」とは。六年前に集落に突如として火の魔獣が現れ、大暴れした出来事を指していた。
◇
魔族・マフリートの儀式によって六年前に召喚された精霊界の魔獣は。ハティら集落を半壊させ、多くの人間が逃げ惑い、或いは対抗し犠牲となった。
出現した夜の空を焦がすかのように炎のように輝く巨体が、まるで獰猛な肉食の四足獣だった火の魔獣。
その魔獣の犠牲者の中には、二人の両親も含まれていた。
『な、何だ、この魔物は──ぎゃああああっ⁉︎』
当時、集落で名を馳せたハティの父親は。
集落の人間を安全な場所へと逃がすために、真っ先に魔獣の最前線に立ち。
魔獣の爪と牙を何とか凌ぐが、口から放たれた燃え盛る火炎によって身体を焼かれ、死んだ。
『ユメリア、ここへ隠れてなさい……』
ユメリアらの母は、愛する娘を安全な場所へと隠し。防御魔法を自分にではなく、娘の隠れた場所へと発動した直後。
巨大な魔獣の前脚に踏み潰され、死んだ。
他にも今までハティに武器の扱いや部族の掟を語ってくれた戦士たちや。
ユメリアが普段から接していた集落の女子供たちが、ある者は魔獣の爪撃で斬り裂かれ。またある者は炎の吐息に焼かれ。
その亡骸の一部は魔獣の口に運ばれ、無惨にも喰い散らかされていった。
ハティは父親の、ユメリアは母親の死を間近で見てしまったからこそ。
いまだに二人の記憶と心には、両親の死に様が深く、今でも深く焼き付いてしまっていた。
今でこそハティとユメリアの二人は、集落の立派な戦士と治癒術師として成長したが。
六年前……二人はまだまだ未熟であり、突然の魔獣に混乱した集落において力になれるどころか。他の人間らと一緒に恐怖に怯え、逃げ惑うしか出来ない非力な存在だった。
絶体絶命の危機とはまさにこの時だったのだろう。
本来ならば、戦士として集落の女子供を守り、魔獣に立ち向かうべきハティも。迫る死への恐怖から戦場から背を向け逃げ出そうとした、まさにその時。
──そこに、ただ一人。
颯爽と現れ、砂漠の民が使わないような馬鹿みたいに巨大な武器を構えた赤髪の女。
「あ……あんたは……っ?」
「危ないからアンタは下がってな」
その赤髪の女とは、つい数日前に砂漠で行き倒れていたところを。通り掛かった二人の兄妹が水を与え、集落まで連れ帰った赤髪の女だったからだ。
確か……女の名前は、アズリア。
助けた時の弱々しい印象とはまるで違う、巨大な剣を構えてハティに「下がれ」と告げた女の背中があまりに雄々しくて。
「あ……あ、ああ」
そう返事を口にしたものの、赤髪の女の背中に魅せられてしまったハティはその場から逃げる事を忘れ。
女の背中を凝視し続けていたのだ。
「うおおおおおおォォォォッ!」
巨大すぎる剣を軽々と頭上へと掲げた赤髪の女は、恐怖と死に満ち満ちた周囲の空気を打ち破るかのような雄叫びを上げ。
集落の皆が背を向ける魔獣へと、信じられない程の速度で突撃していったのだ。
「……あ」
一瞬、無謀な女の試みを止めようとハティは手を伸ばし、制止の声を上げようとしたが。
声を発するよりも先に、赤髪の女は魔獣の爪や牙をかい潜り。凄まじい勢いで振り下ろされた大剣の刃が魔獣を斬り裂き。
ギャオオオオオオオオオオオオオオオ⁉︎
今まで、数多くの集落の人間を犠牲にしてきた魔獣が初めて見せた苦悶の反応。
「……き、効いてる……あの魔物に、攻撃が、効いてる、だと……?」
集落で一番の戦士だった父親をはじめ、最初こそ魔獣を倒すために集落の戦士らが束になって抗っていたにもかかわらず。
魔獣へと有効な一撃を与えた様子が見られなかったのに、である。
行き倒れて助けただけの、アズリアといった赤髪の女はハティの眼前で。魔獣に有効な一撃を与えたのだった。
ウボオオオオオオオオオオオオオ‼︎
だが魔獣も、アズリアが大振りの攻撃を放ち動きが止まった隙を見逃しはしなかった。
先程の苦痛に満ちた鳴き声と違い、敵対する者を威嚇するような低い咆哮を発すると。
巨大な前脚、いや腕と言うべきか。とにかく鋭い爪をアズリアの真横から勢い良く迫ってきたのだ。
「──ぐ……ぐううッッ⁉︎」
何とか巨大な剣での防御が間に合うものの、魔獣の攻撃の勢いまで殺し切ることは出来ず。真横へと吹き飛ばされてしまうアズリアの身体。
脚を広げて踏ん張りを利かせ、何とか転倒は避けたアズリアだが大きく体勢を崩され。魔獣との距離を空けられてしまう。
「──ッ!……まだ、まだだああああッ!」
当然、アズリアは再び魔獣に剣撃を浴びせるために体勢を立て直していくが。
その時、魔獣がニヤリ……と笑うような顔を見せると。
ハティは自分の父親の死に様を思い出す。
「ほ、炎に気をつけろっっ!」
「……何だってッ⁉︎」
そして、普段の自分では信じられない程の速さで魔獣と交戦中のアズリアへと警告の言葉を発すると。
今にも魔獣に突撃せんとする姿勢のまま、半信半疑ながらハティの声に従い、さらに真横へと転がっていく。
──次の瞬間。つい先程までアズリアが立っていた場所を中心に、魔獣の口から吐き出される紅蓮の炎に飲まれてしまう。