120話 アズリア、海蛸の真実を知る
この話はちょっとした息抜きというか。
海の主との対決を控えたアズリアの、何とも食い意地の張った有様を楽しんでいただければ。
ヘイゼルによると、海蛸という海の生物はまるで触手を思わせる気味の悪い腕を八から十本、胴体から生やした、もっと体表が白かったり赤みがかっていたりと様々だが。
そのどれもが小さなモノであり、普通ならばどんなに大きくても旅人が荷物を入れる際に使われる背負い袋程なのだと。
……しかもこの海蛸は、この国では食材として普通に使われているのだというから驚きだ。
「ほへぇ……アタシで言うなら腹が減ったから地虫を倒して喰っちまおう、ってコトかねぇ……いやいや、さすがに口にするのは度胸がいるねぇ、コイツは」
「は?何言ってんだいアズリア、アンタ……もうとっくに口にしてるじゃないか」
アタシはこんな気味の悪い触手まで食べてしまうこの国の食事情に感心していると。
ヘイゼルが口にしたのはさらなる衝撃の事実だった。
「……え?……アタシが海蛸を、食べた?」
アタシは海に浮かんでいた海蛸の腕と自分の顔を交互に指差しながら、普段話している声よりも高い声を出してヘイゼルに訊ねていく。
「ああ、アンタが屋台で食べた折包焼き、あれの中身の具材にゃ海蛸の脚の肉がしっかり使われてるんだが?」
「い、いや……特に変な味はしなかったし、むしろ美味かった……いや、魚にしちゃイイ歯応えしてたな、とは疑問に思ったけどさ……」
その時は、何故ヘイゼルがアタシが口にしたモノを知っているか……という疑問よりも、いつ何処でアタシが海蛸を食べたのかをいち早く知りたかったのだが。
アタシも、7年もの間大陸を一人旅してきたのだ、そりゃ多少見た目の悪い生き物なんかを食べたりはしてきたが。
それは口に入れる認識と覚悟があってこそ、であって、正体を隠した状態で口にしたことを後から明かされるのとは全く別である。
「う、嘘だろおい……アタシ、折包焼き、二つか三つはペロリと喰っちまったよおおおおお!」
気前の良い屋台の親父から折包焼きを買い食いしたのはもう数日前だ。ということは、食べてしまった海蛸はとうにアタシの腹の中で血肉となってしまっているだろう。
「あはは、美味かったんなら何よりだ。それに折包焼きだけじゃねえ……どうせ抜け目のないアンタのことだ。あたしらの海賊船から食糧やら酒樽やら運び出してんだろ?」
確かに、アタシらはヘイゼルの乗っていた海賊船を沈める際に、積み荷であった食糧やら酒樽やらを物資の乏しかったアタシらの帆船……つまりこの船へと、一部運び込んでいたのだ。
さすがに火砲は重すぎて運び込めなかったが。
「え……まさかあの火酒……もしかして、海蛸ってのは酒も作れるってのかい?」
「そっちじゃねえよっ!……てか、やっぱり琥珀酒の酒樽を掻っさらってたんだね……ったく、酒じゃなくって食糧のほうだよ」
「あはははッ、冗談だよ。いくら何でもあれだけ穀物の味が濃かった琥珀酒が、まさか海蛸なわけないだろうしねぇ」
「ちっ……しかも味見まで済ませてるとはね、ありゃあたしだけが飲むために手配させた特注品の琥珀酒だったってのにさ」
海賊船から押収した、あの酒樽の中身であった美しい琥珀色の酒精の強い酒は、どうやらヘイゼルのお気に入りだったようで。
知らずのうちに海蛸を口にした事実を伝えられ、愕然としたアタシを見て大笑いしていたヘイゼルだったが。琥珀酒が話題にのぼった途端に、苦虫を噛み潰したような表情となって。
それを見たアタシの胸が、少しばかり空いたのは言うまでもない。
「で、食糧って……干し肉やらのことかい?」
「ああそうだよ、あの干し肉……もちろん全部が全部じゃないけど、あの海蛸を干したモノも含まれてるんだよ」
「そ、それは……積み荷の食糧に手を出す時にゃ気をつけないといけないねぇ……」
とまあ、つい先程海の主からの直接攻撃を受けたにもかかわらず、アタシとヘイゼルで無駄な軽口を叩き合っていると。
再び甲板が影に覆われていく。
そう言えば、ヘイゼルから聞かされた解説では、海蛸の腕は二本や四本ではなく、八本とか十本あるという話だ。
もしあの海の主の元々の正体が、巨大な海蛸なのだとしたら腕を一本斬り落とされたくらいでは戦意は喪失しないのだろう。
アタシは再び大剣を構え直し、先程と同じく甲板へと襲い掛かる真っ黒な腕を迎撃する準備を整える────が。
眼前に飛び出してきたのは、一つの人影。
「いっっくよおおおっ────黒鉄の螺旋撃おっ‼︎」
アタシが大剣を振るうよりも先に、船首から空高く跳躍したユーノが雄叫びと共に、両腕に装着した巨大な籠手を激しく回転させながら迫り来る海の主の腕を殴りつけたのだ。
それも一撃ではなく、二撃。
ユーノの黒鉄の螺旋撃の威力で真っ黒な腕には二つの大穴が空き、甲板へと叩き下される前に空中で腕が千切れ。
今度は帆船の遥か遠くへと千切れた腕が吹き飛んでいき、大きな水飛沫を上げて着水する。
「えへへっ、ボクにかかればこんなもんだよっ!」
迎撃に成功したユーノは空中でくるりと一回転した後にアタシらの近くに音もなく着地をすると、アタシら二人に得意げな笑顔を浮かべながら自分の戦果を誇るように胸を張っていたのだ。
あ……そう言えば。
ユーノはあの屋台で折包焼きをアタシなんかより多く食べていたし、モーベルムまでの航海中にこっそりとアタシらの帆船から干し肉を摘み食いしていたような気がする。
ある程度、旅慣れして悪食にも多少の抵抗があったアタシでも「海蛸を食べた」という事実をヘイゼルから聞いた時は頭を棍棒で殴られたくらいの衝撃を受けたのだ。
今、それをユーノが知ってしまったらどれ程の衝撃を彼女が受けるのか、想像も出来ない。
それを危惧して、アタシはヘイゼルの耳を掴んで無理やりにアタシの口元に近付けていく。
「痛ててっ、ちょっとおい!あたしは舵を握ってるってのに何してくれてんのさ、アズリ……」
「────いいかい。さっきまでアタシと話してた、海蛸を食った話題はユーノの前でするんじゃないよッ」
突然のアタシの剣幕に少し驚きながらも、耳を無理やり引っ張られたことに多少の軽口を叩こうとするヘイゼルだったが。
アタシの目の内側を覗いて、これが先程までのやり取りではなく本気で怒っているのを感じとったのか。
「あ、ああ、わかった。わかったから耳離してくれよ、な?……な?」
「ねえねえっ、お姉ちゃんとヘイゼルちゃん……さっきからふたりしてなにはなしてたの?」
「「う……うわああッッ⁉︎」」
どうやらアタシとヘイゼルが二人して顔を近付けながら話していたのが気になったのか、気配を殺して近寄ってきたユーノも顔を寄せてきたのだ。
音もなく接近してきたユーノに驚き、アタシは思わずヘイゼルと重ねるように声を上げてしまった。
「ねえ、なにはなしてたのっ、ボクにもおしえてよぉお姉ちゃんっ?」
「い、いやあ……じ、実はさ、ヘイゼルの奴があの海の主のしょ、正体を知ってるかも……なんて言いだしやがるからさ!……な、なあヘイゼル?」
「そ、そうそう!あたしの意見をアズリアに聞いて判断してもらってたんだよ、うんっ!」
「ふぅん、そうなんだ」
動揺を隠せないままだったし、ユーノも何か釈然としない雰囲気ではあったが。
アタシら二人が先程まで話していた話題に何とか触れられずに済んだので、ここは良しとすることにした。
ユーノには、この戦いが終わった後にしっかりと海蛸という生き物と、それをアタシらが知らず口にしていたことを伝えようと思う。
……もちろん、アタシが無事であれば、だが。




