119話 アズリア、海の主の腕を斬り落とす
もちろん、このまま海の主へと進路を取れば。
奴が大きな口から海へと吐き出した身体を瘴気で溶かした不気味な魔物、途切れた筈の第三波とまともに遭遇するだろう。
だが、今度はユーノも一緒に戦ってくれる。
巨大な海の主の周囲から湧いた、不気味に蠢く魔物たちを、船首に立って見据えながら。
アタシは、隣に並んでふんすふんすと鼻息荒く、両腕に装着した黒鉄の拳をガンガンと打ち鳴らしていたユーノの顔をチラッと覗くと。
どうやらアタシが見ていたのに気付いたようで、こちらを向いたユーノと目線が合う。
「だいじょーぶだよお姉ちゃんっ!ボクとお姉ちゃんがちからをあわせたら、あんなヤツ……すぐたおせちゃうんだからっ!」
「ああ、頼りにしてるからね、ユーノッ!」
そう言ったアタシは、共に戦ってくれる相棒の頭に手を置くと、少し乱暴にその髪をわしゃわしゃと撫でてやる。
普段ならば頭を撫でてやると、顔を綻ばせていくユーノだったが。敵を目前にすると上機嫌にはなるが、緊張感を削ぐような真似はしなかったのは、さすがは「鉄拳」の二つ名を持つ魔王配下の四天将と言うべきか。
そんな臨戦態勢を取り、今にも海の主目掛けて海の上を駆け出していこうとしたアタシとユーノへ、舵を握るヘイゼルから声が掛かる。
「おい二人とも、まだ船から飛び出すんじゃないよっ!アンタらが船から出て行ったら、誰が船とあたしを守ってくれるんだい?」
「おっと……確かにそうだったねぇ、悪い悪い」
「けど、ボクたちがあのバケモノたおさないとふねにのぼってきちゃうよっ?」
「おいおい……あたしを誰だと思ってるんだい?」
ユーノの当然ながらの疑問というか懸念に、舵を握りながらヘイゼルが指を一本立てて、その指を左右に振りながら疑問に答えていく。
「さっきは船を停めてたからアズリアに迎撃を任せちまったけど、今は風と海流に乗って船を走らせてるんだ……あんな魔物の十や二十、あたしの腕で振り切ってやるよ!」
そう強気の発言をしたヘイゼルが前を向いて。
ついさっきユーノにした余裕な感じと一変して、額に汗を浮かべながら、左右に何度か慎重に舵を繰り返し切っていくと。
王都の方角へ吹き込む潮風を全開に広げた帆に受け、水の精霊が操る海流に乗り、さらに速度を上げていくアタシらの帆船。
だが、海を切り裂き、波飛沫を両端に立てながら軽快に走る帆船の前に、数体の魔物が立ち塞がるのが見えると。
アタシとユーノは、船の進路を邪魔する魔物を排除しようと大剣と拳を構えるのだが。
ヘイゼルが大きな声でアタシら三人に警告する。
「全員、船のどこかに掴まっておきな!」
警告の直後に、速度の乗った帆船の先がアタシらの航路の先を塞ぐ魔物と衝突し……その衝撃で船体が揺れる。
「うおおッッ⁉︎」「うわ?ゆ、ゆれるうう!」
船首に立っていたアタシとユーノが互いの身体にしがみつきながら、何とか体勢を整えていたが。
なんと……帆船と衝突したことで、轢かれた魔物は粉々に砕け散り、海の藻屑に消えていったのだ。
魔物を轢いたというのに、船の速度は一向に減速する気配を見せず。寧ろヘイゼルの舵でさらに風と海流に乗り、さらに船は速度を上げていく。
「いや……まさか、あんな方法で強引に突破していくなんて……ねぇ」
「う、うんっ。ヘイゼルちゃん、やるぅぅぅ」
「あっははは!そりゃ海竜や火砲亀みたいな魔物にゃ体当たりなんて仕掛けないけどさ、そん時はアンタらに任せるから────ほら、まだまだ行くぜっ!」
どうやら海の主が吐き出した魔物らの第三波には、最初に遭遇した大型の海竜や火砲亀のような魔物は混じっていないようだ。
それを良いことに、ヘイゼルは魔物を避けるのではなく、速度で強引に進路を確保するつもりなのだ。
ほぼ一直線に、王都へと迫っていく海の主へと接近していくアタシらの帆船。
だが、アタシは一つ疑問に思っていたことをヘイゼルに聞いておこうと思い。
「なあ、アタシとユーノがあのデカブツに突っ込んでいった後、まさかずっとその場に停船っておくワケにゃいかないだろ?」
「そりゃね、あのデカブツが何を仕掛けてくるのかわからないからねえ……さすがにずっとこの場所でアンタらを待ってるワケにゃいかないね」
「じゃあ……一体どうする気なんだいヘイゼル?」
アタシの心配に、軽い口調で返してくるヘイゼルだったが。
さすがにアタシやユーノと違い、海の主を侵蝕しているであろう偽りの神へ何の因縁のないヘイゼルをここまで付き合わせた事で、アタシが本気で心配してるということを理解してくれたみたいで。
「心配しなさんなアズリア、アンタらをあのデカブツまで送り届けたら一度王都の港に停めて、せいぜい陸地から応援してやるよ」
「────はは、それがイイかもしれないねぇ」
ヘイゼルの返答を聞きながら、アタシは片手で握っていた大剣を構え直していくと、一度大きく息を吐き出していき。
右眼に宿した魔術文字を発動させ、全身の筋肉に魔力を巡らせて膨張させていく。
その直後。
先程まで晴れて明るかった甲板が、突然暗い影に覆われたのだ。
その影を作り上げたモノの正体が、接近していた巨大な海の主がアタシらの乗る帆船の真上へと、海竜の胴体部ほどもある太さの腕を振り上げ。
そして甲板へと振り下ろしてきた腕だとヘイゼルが知ったのと同時に。
「うわあああ……って?あ、アズリアっ?」
アタシが下からかち上げた大剣が、海の主が帆船を狙う重い一撃を受け止める。
「さすがにここまで接近したらデカブツからの攻撃も警戒しておかないと────ねぇッッ!」
いや。攻撃を受け止めるだけに留まらず。
下から海の主の腕を受け止めた大剣の刃が、黒い靄……おそらくは濃い瘴気に覆われた腕に喰い込んでいく。
「う……うおッ?……な、何だいッこの気持ち悪い手応えはッ?」
動物を肉を斬り裂くよりも柔らかく、ぶよぶよとした何とも気色の悪い感触が大剣を握る手に伝わってくると。
雄叫びに近い大声を吐き出すとともに大剣を一閃し、アタシは海の主の腕を両断していく。
────オオオオオオオオオオオオオオオオオ‼︎
直後、つい先程吐いた恐怖の咆哮と同じような低い音を響かせるが、この咆哮には魔力が込められてはいなかったが。
腕を斬り落とした側のアタシも、気味の悪い感触にむず痒さと背筋を走る寒気で身体中の肌がぞわっとなる感覚に襲われていた。
切断された腕の部分が帆船の側面の海に落ち、腕を覆っていた黒い靄が晴れていくと、アタシらが見たものとは。
「コレが……海の主の腕かい?」
「こ、コイツはっ……海蛸の脚じゃないか?……海の主って呼ばれてたのは巨大な海蛸ってコトなのかいっ?」
海に浮かぶ、丸い地虫の口のようなものが無数に表面に生やした、これまた見たことない不気味な腕。
というより、触手に近い部位なのだが。
ヘイゼルが口にした「海蛸」という名前。
陸路ばかりを旅していたため、アタシには聞き覚えのない生き物、もしくは魔物の名前のようだが、斬られた脚を見ただけで分かるものなのか。




