115話 アズリア、海を駆け魔物を屠るが
船から飛び出したアタシは、右眼の魔術文字を発動させた状態で海面へと着地する。
泥濘みを歩くような柔らかい感触。
堅い地面を踏みしめる感触とはまた違うが、そのお陰で重量のある金属製の武器や防具を装備していても、その衝撃を地面が受け止めてくれ、アタシの身体への負担も少なかった。
普通ならば立つことなど出来ない海の上で、これだけしっかりとした足場を作ってくれた水の精霊に感謝をしながら。
「おお……さすがは水の精霊の魔法だねぇ、これなら足場を気にせず大剣を振るえるよッ」
アタシは、目の前の海から湧いて出現る無数の黒い不気味な魔物へと視線を向けると。
構えていた大剣を「敵」と認識した魔物へと大剣の刃が向くように握り直し、少しだけ柔らかい足場を────蹴る。
おそらくは威嚇のための吠え声を発しているのだろうが、開いた口も溶けかけているため、くぐもった音を響かせるだけの魔物。
海面から鞭のような触手を数本出していたその魔物の懐へと一気に距離を詰めると、アタシは構えていた大剣を横へと振り抜くと。
アタシの一撃で魔物の胴体と頭部が両断され。
吹き飛んだ頭部は一瞬で灰となり、頭部をなくした胴体の切断面から黒い靄が抜けていく。
おそらくは瘴気なのだろう、靄が抜けた魔物の肉体や海面から顔を覗かせていた触手はぐずぐずに崩れ去り、海へと沈んでいく。
「やれやれ……コイツら、瘴気で色んな魔物が混じって見かけは不気味だけど、全然大した強さじゃねぇぞ」
濃い瘴気の効果で、複数の魔物や海の生物を無理やりに混ぜているのだろうが、それが効果的に働いていないのだろう。
アタシが剣を交えた限りでは、黒い不気味な魔物の脅威は平地で群れを成して出現する野犬らとほぼ同格だ。一対一ならば、訓練を受けた兵士ならば互角以上の優勢に戦うことが出来る。
アタシは一度、背後に控えていた帆船をチラッと見ると、船へと乗り込もうとする魔物の頭部を粉砕するユーノの姿が見える。
「この程度の魔物なら、ユーノとヘイゼルで問題なく対処出来るだろうねぇ」
あの二人ならば複数を相手にしても遅れを取ることも、間違いも起きないだろう。それに、船には水の精霊まで控えているのだ。
アタシは大剣を一振りし、付着した魔物の肉片なんかを落としていくと。
「なら……とっとと、王都までの海路を斬り拓いていく、とするかねぇ」
一撃で仲間が倒されたにもかかわらず、怯む様子も見せずに盲目的にアタシらの帆船へと迫る魔物らへ向けて。
アタシはもう一度、今度は強めに足場を蹴り抜き放ち、離れた位置で海面から姿を見せていた魔物へと大剣を放っていく。
一撃で接近した魔物を屠ると、再び足場を魔術文字で増強した脚力で蹴り抜き、次の目標となる魔物の懐へと飛び込み、その勢いのまま大剣を打ち込む。
「ほらほらッ、瘴気をその身に纏ってるってえのに手応えが無さすぎるよアンタら!……これで二十匹目だッ!」
こうして倒した魔物の数は十を超え、二十に到達してからは倒した魔物を数えるのを止めてしまったのだが。
海面から姿を見せる不気味な魔物は数が減った様子を見せない。
それどころか遠くへと視線を向けると、巨大な黒い靄に覆われた影から飛び出していた口からは、再び海へと何かが吐き出されていく。
その何かとは……大量の不気味な魔物だった。
この不気味な魔物は、海の主と思われるあの巨大な影の体内で無理やり生み出されていたモノだったのだ。
「くそっ……倒しても倒しても次から次へと湧いてきやがる、これをアタシ一人で倒し切るのはさすがに骨が折れるねぇ……ッ!」
どこまでアタシが迅速に魔物を倒していっても、大剣で一度に倒せるのは一体……せいぜい近場にいる魔物をもう一、二体を巻き込んで倒すのが限界だ。
だが、今吐き出された魔物の第二波の数は十や二十ではない。
しかも、補充される魔物はアタシらのみが目標ではなく、見たところ先程まで火砲で攻撃していた軍艦や、奥に位置している王都の港へも魔物は移動していたのだ。
このままでは数の暴力で押し切られてしまう上に、周囲への魔物による被害も拡大してしまう。
「くそッ……一体どうしたらイイ?」
アタシは大剣をもう一度握り直しながら、殲滅させた第一波から目線を外し、王都の近海から再びこちらへと迫り来る第二波の魔物らに視線を向ける。
二人に帆船の防衛を任せ、足場があることで調子に乗って王都側へと進みすぎたおかげでその帆船から大きく離れてしまい。
この場所からだとユーノやヘイゼルに援護を頼むのも難しい。
広範囲で数多くの魔物を殲滅する一番の方法は強力な攻撃魔法を使うことだが。
アタシは何度も言うように魔法が使えないし、今アタシが所持している魔術文字にも広範囲を攻撃出来る効果のあるモノはなかったりする。
────いや。
正確に言えば、広範囲を攻撃出来る魔術文字は、ないわけではないのだが。
アレを発動させれば、王都に到達する前にアタシは魔力の大半を枯渇させてしまうことになるかもしれないからだ。
そんなアタシがどんな選択肢を取るべきなのか、思案しながら大剣を振るって不気味な魔物を屠り続けていると。
海の主はさらなる増援を体内で生み出し、第三波を海へと投入してきたのだ。
これ以上、魔物の数を増やされるわけにはいかない。
アタシは覚悟を決めると、魔物を斬り倒した後に足場を蹴らずに立ち止まり。腰に挿した短剣を握るとその刃を指の腹で撫で、わざと作った切り傷から血が滲む。
その指の血で描く魔術文字は「ουρανός」。
かつてコーデリア島の支配者である魔王リュカオーンとの決闘の際、アタシの身体を支配しようと目論みた「九天の雷神」と呼ばれた存在である。
「……最後まで使うのは躊躇ったけどねぇ……アタシ一人が魔力枯渇で倒れちまったとしてもまずはこの状況を何とかしないといけないからねぇ────やるよッッ!」
描いた魔術文字に魔力を流し込み発動させる前に、アタシが一度空へ吼えるような声をあげていくと。
アタシの背後から空を切り裂く音が背中へと迫り、何かが……それも複数が通り過ぎていく。
そして、目の前に巻き起こる爆風。
その爆風によって海面が大きく波打ち、思わず倒れそうになる程に足場が揺れたので、アタシは腰を落として転倒を避ける。
背後から飛来したのはおそらく攻撃魔法なのだろう、爆風の範囲にいた複数の魔物はその威力が直撃し、身体を四散させ立ち昇る黒い瘴気だけが残るのみであった。
攻撃魔法が飛んできたのはアタシらが乗っていた帆船からではない。確かに背後に位置していたものの、微妙に方向が違ったからだ。
アタシは攻撃魔法を放ったと思われる方向へと振り向いていくと。
────帆には大きくコルチェスターの紋章。
後方に大きく突き放して先行していた筈の。
ネルソン提督率いる海軍と、そしてレーヴェン一行が搭乗する軍艦がアタシの視界に入っていたのだ。




