114話 アズリアら、黒い魔物の歓迎に遭う
だが、余韻に浸っていたのはほんの一瞬であった。
ヘイゼルはすぐに普段の勇ましく海を駆ける海賊の顔と雰囲気を取り戻すと、あらためて舵を握り。
連携を止めた軍艦らの間隙を潜って、あわよくば王都の港へと到着しようと画策までしていた。
だが、その思惑はユーノが海面を指差しながらの叫び声で崩れ去ることとなった。
「うわっ、な、なにこれっ?……さかな、みたいだけどなんかちがうっ……き、きもちわるいぃぃぃ!」
そう。
海面から無数に姿を見せていたのは、二つの頭を持つ魚だったり、身体が半分溶けかけた小型の海蛇だったり、最早……原型が何だったのか理解出来ない黒く溶けた生物だったり。
正直言って、一目見たら眠った後に悪夢に出てきそうな程に気色悪い外観ではあった。
「……アズちゃん、濃い瘴気の影響を受けすぎた海の生き物や魔物らが無理やり混ざり合って、こんな悍ましい姿になっちゃってるみたいね」
「濃い、瘴気か……はは、やっぱりねぇ」
水の精霊からこちらへと迫る気味の悪い魔物らが「濃い瘴気」によって変貌したモノだ、と聞いて。
アタシはもう、あの黒い靄に覆われた巨大な影が何なのか、おおよその想像がついていた。
「水の精霊、さっきと同じ魔法でこの気味悪い連中をどうにか出来ないかねぇ?」
「うーん、さすがに距離が近すぎるわねえ……前と同じように『海嘯の支配者』を使うのはこっちの船を巻き込んじゃう危険があるわね」
アタシは念のために、王都近くにまで帆船を寄せる際に水の精霊が魔物を接近させなかった、海流操作か何かの手段を提案してみたが。
案の定、首を横に何度か振る水の精霊。
どうやら海神は、魔法で楽にこの状況を突破する、というのを許してくれないらしい。
その魔物の一体が、表面が溶けかけた触手のような部位をこちらの船の縁を掴み、船上へと乗り込もうとしてきたので。
「なら……大剣で無理やりにでも蹴散らして船の道をこじ開けてやるしかないよねぇ、ユーノッ!」
アタシは背中に背負ったクロイツ鋼製の愛用の大剣を掴んで、背中から抜き放った勢いで一度空を斬り、相棒であるユーノへ呼び掛けると。
そのユーノはいつの間にか、その両腕に黒鉄で構成された、まるで鉄巨人のように巨大な籠手を装着していた。
「うんっ、ボクももうたたかうじゅんびはできてるよっ!」
「はっ!……どうせあの迫る魔物たちをどうにかしない限りは帆船は動かせないんだ。だったら……あたしもやってやるさっ!」
先程まで咆哮の影響をまともに受け、恐怖に震えていたヘイゼルも腰に挿していた聖銀製の刺突剣を勇ましく抜き放つ。
アタシと剣を交えた際には、部下に十字弩で狙わせたり……とあまり戦う印象はない彼女だが。最初にアタシが放った一撃を、手持ちの武器をへし折られながらも受け切るだけの実力はあるのだ。
正直言って、火山の麓で戦った剣匠卿を名乗る男より、剣の腕はあるだろう。
「それじゃユーノとアンタは船に上がろうとする魔物を優先的に倒してくれよ……魔物を片付けても帆船に穴が空いたりしたらアタシらの負けなんだからねッ!」
「わかったっ……けど、お姉ちゃんはどうするのっ?」
「アタシかい?そりゃもちろん……」
アタシはもう一度、魔術文字を使用する前準備として自分の血を流すため、大剣を握っていない空いたもう一方の手で腰の短剣を握ると。
「また魔術文字で海の上を走って、あの連中が船に取り付く前に叩っ斬ってやるのさ」
「あ、それって……お姉ちゃんがヘイゼルちゃんとたたかったときの?」
ユーノの記憶通り、それはヘイゼルら海賊団の旗艦が増援にやって来た際にアタシがやってみた手段。
足元に凍結する刻の魔術文字を刻み、その魔力を足の裏へと展開することで水面に足場となり得る氷を張り、海の上を踏み締め、駆けることが出来るようになる。
だが、そんな話を聞いた水の精霊が「……はぁ」と一つ溜め息を吐き出すと。
「もう……さっきも止めたばっかなのに、アズちゃんはどうしてすぐに自分を傷つけようとしちゃうのっ!……お姉ちゃん、悲しいわぁ……よよよ────えいっ」
「い、いや、水の精霊……さすがに魔物が迫ってるのにそんな悠長なコト言って────ッて?……な、何をしたんだよアタシにッ?」
水の精霊が一本立てた指を円を描くようにくるりと回し、アタシに何かしらの魔法を使ってきたのだ。
だが、見た目ではその魔法がアタシにどんな影響を与えたのか判別が出来ない。もちろん、悪影響を及ぼすような魔法を使ってこないとは信頼してはいるが。
「え?今、アズちゃんに使ったのは水霊の舞姫よ」
「え……えう、りゅ、でいけ?」
魔法こそ使えないアタシだが、魔術文字を研究するにあたり、様々な魔法の文献や魔術師への相談などは怠ってはいないつもりだ。
そんなアタシが、一度も聞いたこともない魔法の名前を水の精霊の口から語られたことに少しばかり動揺したのか。
聞いた魔法の名前を、舌足らずに復唱する。
「水霊の舞姫はね、水蜘蛛やアズちゃんがやろうとしていた氷を張る方法よりも、海の上で安定して戦えるはずよ」
確かに、言われてみれば。
凍結する刻の魔術文字を使って、海面を凍らせて足場を作る方法の欠点を挙げるとするなら。
凍らせた当初こそまだ平気なのだが、少し時間が経過して氷の表面が溶けてくると、足場が滑りやすく剣を振るうのに力が入らなくなる。
しかも、海面を凍らせ続けるというのは意外と魔力を消耗する上、魔術文字を発動し続けなければいけないので。何か不測の事態が起きた際に魔術文字で対処が難しくなる、という問題があったのだ。
だが、一般的に水の表面を歩けるようになる「水蜘蛛」はあくまで水の上を歩けるようになるだけであり。
まともに戦闘を行える足場になるわけではないのだ。
「い、いや……それがホントなら凄く助かるよ、水の精霊ッ」
そんな問題点を、いとも簡単に解決してくれたであろう水の精霊の魔法に、アタシが感嘆の声を漏らしていると。
そんなアタシの反応に大層満足したのか、水の精霊が両手を腰に当てて胸を張る仕草をしながら。
「ふふん、お姉ちゃんはこれでも水を司る精霊なんだから〜そのくらいは相談してくれればアズちゃんが魔術文字を使うまでもないのよ?」
その冷んやりとした手でアタシの背中を海側へと軽く押して、水の精霊が激励の言葉をアタシへと口にすると。
「それじゃ……いってらっしゃいアズちゃんっ」
「────ああ、任せな」
と、一言だけ水の精霊に伝え。
アタシは魔法の効果を信じて、こちらへと迫る黒い魔物の襲来を食い止めるため、船の縁から勢いよく飛び出していった。




