112話 アズリアら、黒き魔物の咆哮を聞く
そう言えば、あの魔物らが船を取り囲む直前にユーノは察知した敵の数を「とにかくたくさん」と警告していた筈なのに。
何故か、火砲亀と海竜以外の遭遇がないのが、アタシは気になっていたのだが。
「うふふ、大丈夫よアズちゃん。さすがに〜アズちゃんたちが倒してくれた大型の魔物は無理だけど〜小型の魔物程度ならお姉ちゃんが片付けておいたわっ!」
多分、アタシの懸念を察した水の精霊が笑顔を浮かべながら、こちらへと手を振りながら声を掛けてくる。
そこでアタシが思い当たったのが、ユーノらと魔物を倒した後に船を再び動かす際に、何故か水の精霊が魔力を集中させていた点だった。
「ま……まさかあの時の魔力って?」
「うふふ、アズちゃん正解よ〜お姉ちゃん、褒めてあげるわ〜なでなで〜」
と、一生懸命に背伸びをしてアタシよりも背丈の低い水の精霊が手を伸ばして頭を撫でてくるのだ。
その様子に少しだけほっこりとしながらも。
────実は。
水の精霊があの時に唱えた「海嘯の支配者」によって少しだけ波打っていた海面の遥か下では。
魔法の効果で発生させた激しく荒れ狂う無数の海流が、火砲亀や海竜の後方から接近していた小型の海の魔物を一つ残らず飲み込み、打ち付け、押し潰し、海の藻屑としてしまっていたのだ、というのだ。
まさに……水の精霊、恐るべき。
海面下で起きていたことの説明を聞きながら、見た感じではアタシと同じくらい……いや、少し若い穏やかな女性の姿をした水の精霊への畏怖を感じていると。
アタシの目にも、ようやく海の主と思われる黒い影の巨大な姿や、その影への火砲の攻撃、それに……薄っすらと王都の城影が映ってきた頃。
船首に立って前方を見張っていたユーノと、舵を握り何か鉄の筒を覗き込んでいたヘイゼルが同時に声を上げる。
「お姉ちゃん!ふねが……いち、に、さん、ええと……いっぱいみえるよ!みんな、あのくろいかげとたたかってるっ!」
「ありゃコルチェスター海軍の軍艦だっ!……それにあの軍艦の数……連中、総出で海の主とやらを足止めしてやがるっ!」
どうやらまだ海の主は王都に到達はせず、その手前の近海で海軍が抑えている状態ということなのだが。
となると、一つばかり困った点がある。
王都ノイエシュタットは、陸地側に海が食い込んだ内湾に位置しているため、遠回りの航路を取るということが出来ない。
王都の港に帆船を停めるためには、どうしても近海に多数展開している軍艦の中を突破する必要があるのだ。
「……なあアズリア。あたしの船に載せてた火砲、この帆船に運び込んでいたりは……」
「冗談いうなよッ……あんな重い兵器、誰が海の上で船から船に積み込めるってんだい?」
残念ながら、アタシは右眼に魔術文字を宿した体質のためか攻撃魔法を含めて、魔法の類いが一切使えないし。
ユーノも攻撃魔法を使っているのは見た記憶がないし、ヘイゼルがどうかは知らないが……攻撃魔法がある程度使えるなら、アタシとの交戦の際に使ってきてもおかしくなかっただろう。
それに、ヘイゼルが乗っていた海賊船を破壊した際に、載せてあった四門の火砲は結局のところそのまま海に沈めてしまった。
つまり……今、接近戦しか出来ないアタシらがあの軍艦に混じっても邪魔にしかならないのだ。
「アタシとしちゃ、この大剣で叩っ斬れるまでこの帆船を寄せてくれてもイイんだけどねぇ、ヘイゼル?」
「馬鹿言えアズリアっ!……いくら軍艦を一撃で両断したアンタの剣でも、あんなデカブツにどこまで通用するかわからねえだろう!」
もしくは強引にこの帆船を海の主へと接舷させて無理やりにあの巨体によじ登り、接近戦を仕掛ける、という選択肢もあるにはあるのだが。
それを試しにヘイゼルに提案してみたのだが、案の定取り付く間もなく却下されてしまう。
まあ……賛成されても困ったのだが。
巨大な姿をすっぽりと覆い隠す黒い影の正体が、先程の海竜らと同じく瘴気だとするならば接近戦を仕掛けるのは瘴気への対策がなければ自殺行為だし。
何より、本来ならば友軍であるべき軍艦からの火砲に背中から狙われるのは、どうにかして避けたい事態だ。
王都の前に展開する軍艦に躊躇し、水の精霊に頼んで海流を止めて貰い帆を畳んで、アタシらの乗る帆船がその動きを停めていると。
火砲による攻撃を無数に受けていた黒い影の様子に変化が起きる。
黒い影に覆われた巨大な姿、その海面に近い低い位置に大きな口のような部位が現れたかと思うと。
聞いた人間の心を揺さぶり、恐怖のあまり思わず身体が震えてしまいそうになる鳴き声とも咆哮とも取れる大きな音を発し。
その音を鳴らした口のような部位から、何か黒い塊をボトボトと海へと吐き出していく。
最初は、軍艦からの攻撃が効果を現したものだと思っていたのだが。
その吐き出したモノをユーノが目敏く判別し、アタシへと警告を飛ばしてきたのだ。
「お、お姉ちゃん……まものだよっ、いま、あいつがくちからはきだしたの、たくさんのちいさいまものだよっ!」
ユーノの警告が本当であれば、魔物が接近して帆船に乗り込んできたり、魔物に船体を攻撃され帆船を沈没させられる危険がある。
少なくとも、この場にじっと留まるのは不味いと、アタシは再び帆を半分ほど張って船を動かすだけの風の力を得ようとする。
「ヘイゼル、船を動かすよ!……おいヘイゼル?」
「……は……わ……悪いね……身体が……動かないんだ……」
だが、肝心の舵を取る筈のヘイゼルが、その場に膝を突いて屈み込み、歯をカチカチと鳴らしながら身体を震わせていたのだ。
先程まで言葉を交わしていた彼女に何が起きたのか、身体に何の異変も見られないアタシが疑問に思っていると。
同じく異変のないユーノが軍艦を指差しながら。
「お、お姉ちゃんっ?……うみのむこうのふねもみんなうごくのやめちゃってるよっ!」
異変が見られたのはヘイゼルだけではなかった。
先程まで火砲を絶え間無く撃ち続けていた海軍の軍艦が突然、全隻とも攻撃だけでなく船の動きをも止めてしまったのだ。
「もしかしてさっきの鳴き声……あれが恐怖の咆哮だってえのかい?」
「……ええアズちゃん、間違いないわ」
魔物の鳴き声、咆哮の中には時々、魔力が込められていることがあり、その声を聞いた対象に様々な影響を及ぼすことがある。
その中でも、今アタシが口にした「恐怖の咆哮」というのは名前の通り、聞いた対象は強い恐怖の感情に支配されてしまい恐怖に打ち震え、恐怖を取り除くまでは自発的な行動が出来なくなってしまうのだ。
まさに今、ヘイゼルが陥っている状態のように。




