110話 王都ノイエシュタット、その現状
コルチェスター王国。
アダマン島やニクロム島など、ラグシア大陸の西端に点在する諸島、それぞれに出来上がった都市国家を一つに併合し。
海産物や、その地理的状況で一番有効な運搬方法として用いられた船を進歩・開発することで海運大国としての存在意義を持った国である。
もちろん王都であるノイエシュタットには、シルバニアや交友を持つホルハイムほどではないが、高くそびえ立つ王城が都市の中心に建てられていた。
そんな王城の中では。
突然、ノイエシュタット沖で目撃された巨大な黒い影が王都へ真っ直ぐに接近している、という報告を王都の近海を護衛の任務に就いていた部隊長から受け。
その影の対応に謁見の間に集められたのは、海運組合の長に海軍を統べる海将軍、近衛騎士長、そして情報局の長などいずれも立場のある国の重鎮たち。
その人物らが国王であるグラハム二世へと皆、思い思いに進言を続けていた。
「徹底抗戦すべきだ!……我らコルチェスター王国が正体不明の魔物一体に尻尾を巻いて退避せよ、こう仰るというのか!」
大声でそう息巻くのは、人間にしては非常に大柄な体格に見合った筋骨隆々な身体をした、白髪の男性だった。
ネルソン提督と同じ一目で海軍と判別出来る外見や装備をしているが、胸にぶら下げている数々の勲章からさらに身分が高いのが伺える。
彼は海軍の最高位である海将軍、レグホーン。
「だ……だが、将軍。報告によれば軍艦からの火砲による一斉砲撃もあまり効果を見せていないというではないか、うん」
「レグホーン将軍。ここは海軍の意地や誇りにこだわらず、まず国王陛下には安全な場所へと移ってもらうのを先決すべきでは?」
だが、明らかに戦闘職ではない人間らは白髪の男性、レグホーン将軍の意見に真っ向から異議を申し立てる。
────確かに。
アダマン島沖に出現した巨大な黒い影に向けて、王都に駐留していた十数隻の軍艦から放たれる火砲によって撃退を試みているものの。
今までに百以上の砲撃を受けた黒い影は、倒れたり海に潜り去っていく気配は見られず、いまだ王都へ向けて進行していく動きを止めることは出来ずにいたのだ。
躊躇いながらも、真っ先に異議を唱えたのは王国宰相オークナムと海運組合の若き長クリフォードであった。二人は得体の知れない魔物と徹底抗戦するよりも避難を優先しようとする。
どの国でも軍部と官職が方針を巡って討論を重ねることは多々あるが。
こと、この国においては特殊な事情もあってか、この二つの対立は顕著であったりするのだ。
レグホーン海将軍の傘下であるコルチェスター海軍は「大陸最強」と呼ばれ、国内外で尊敬と恐怖の対象となっている。
先にあったホルハイム戦役でもネルソン提督率いる軍艦四隻と海軍がホルハイム西側のメレアグロス港から上陸し、王都アウルムを包囲するドライゼル主力を蹴散らし勝利へと導いたのは、大陸の人間にとっても記憶に新しい。
故に、国外において最強の抑止力となる海軍……ひいてはコルチェスターの威光や名声を、明確な敵意を持つ魔物相手に背を向け、汚すわけにはいかなかったのだ。
決して譲れぬ、軍人としての誇り。
だが、諸島に散らばる都市国家であるこの国にはもう一つ、重大かつ無視出来ない問題があった。
それは────悪天候による天災である。
大小の帆船を主力とした海運、そして海軍の軍艦を有効に活用するため、海に面した土地に港を建設していたこの国の都市はというと。
襲い来る高波や海嘯によって、度々港や帆船が壊滅的な打撃を負うことも暫しであり。
そのためこの国の国民性として、解決が困難な障害が立ち塞がった場合に。良く言えば被害を最小限に抑えるため、現状とは別の手段を真っ先に思案する癖がある。
……悪く言い直せば、異常に諦めが早いのだ。
王国の金庫と財政を預かる宰相と、貿易商を一手に纏める海運組合の長としては、勝てる方法が見出せない黒い影との戦闘を継続するよりも、一番損害の少ない方法を導き出すのは当然とも言えた。
レグホーン将軍と宰相、それにコルチェスター海運組合の長が味方に着いた討論は、この場に居合わせた全員が膠着状態となると思われた。
そんな謁見の間に、異変が起こる。
「き、貴様っ何者だ、陛下は今大事な会議が……」
「と、止まれ貴様っ────ぐああっ⁉︎」
謁見の間と外部を隔てる鉄の扉、その外を警備しているであろう騎士らが何者かを制止するために警告する声と、悲鳴。
そして、開かれるはずのない扉がゆっくりと開かれていき。
「────久しいな、グラハム二世陛下」
と、一番奥の玉座へと腰を下ろしていたグラハム二世に向けて、言葉を吐き捨て殺意を込めた視線を放つ一人の男。
何故か肌の色の違う黒い右腕に握られていた漆黒の長剣で斬られたのか、二人の騎士が血を流して床へと崩れ落ちていた。
謁見の間にいた国王を含む全員が、扉を開き部屋へと足を踏み入れてきた男を見た途端に息を飲む。
「黙れっ!……動くな、侵入者め!」
「取り囲め!二人を倒した相手だ、油断するんじゃないぞ!」
と、同時に不遜な侵入者に対して同僚である騎士二人を傷付けられたのだ。部屋に控えていた数名の騎士が、構えていた槍の先を侵入者へと向けて威嚇していくが。
「────雑魚が何人集まろうと、この私を何とか出来ると思っているのか────……馬鹿め」
男がただ一振り。しかも攻撃する素振り、などではなくただ男の身体の前で軽く払っただけの動作をしただけだったが。
長剣を払い終えた途端、槍を構えて男を包囲していた数人の騎士らが全員意識を刈り取られ、そのまま床に倒れ伏してしまう。
一体、何をしたのかわからないまま騎士らが倒され、言葉を失う重鎮たち。
一人だけその様子を見て激昂し、腰に挿した武器に手を置いて飛び掛かろうとするレグホーン将軍だったが。
将軍の暴発を見越していたのか、手を伸ばして将軍が飛び掛かろうとするのを制するグラハム国王。
その国王が、男を見据えて言葉を投げ掛ける。
「お、お前……イングリッドか」
「────正解だ。まさか憶えていてくれてたとは思わなかったな、国王グラハム二世。貴様が私を素直に剣匠卿と認めておけば、このような事態にはなっていなかったというのに」
男、イングリッドはグラハム国王と目線を合わすことなく、顔を俯かせながら王都に迫る黒い影との関与を匂わせていく。
その言葉に、この場にいた全員が反応し。
「あ、あの黒い影は一体何なのだ?」
「き、貴様っ、一体何が目的なんだと……」
するとイングリッドは、握っていた漆黒の長剣を一旦床へと軽々と突き刺すと。
狂気を内に秘めながらも今の今まで冷静を保っていたイングリッドは、その感情を剥き出しにしたような不気味な笑みを浮かべ。
空いた両手を開いて、自分の胸の前でわきわきと指を蠢かせながら、実に愉しげに口を開く。
「────国に見捨てられた私に神が……海神が味方してくれたのですよ。私を理解しようとしなかった全ての人間に復讐しろ、と言って────ね」




