107話 ユーノ、謎の生物を迎撃する
船首に立ったユーノが両拳を握り締め、腰を落として前方から接近してくる何者かの気配に身構える。
「────まえからみっつくるよっ、きをつけてねお姉ちゃんっ!」
ユーノがアタシを気遣い、気配を感じた数と一緒に声を掛けてくれる。
と、同時にアタシの横に並ぶ水の精霊がアタシにそっと耳元で警告の言葉を発する。
「アズちゃん……相手は敵意を持ってるわよ、数は前から三体に、右側からは素早いのが一体回り込んできてるわ」
何と水の精霊は、感覚の鋭いユーノが見逃していた船の側面からの気配すら察知していたのだ。
これにはさすがにアタシも驚くのだが。
「あら?……意外そうな顔してるけど、お姉ちゃんは水の精霊だってことを忘れてないかしらぁ?海も含めて水の中は全てお姉ちゃんの領域なのよ〜」
アタシが驚いたこととその疑問を訊ねる前に、水の精霊のほうから説明してくれたのは時間が省けた。
それに。もし側面からの襲撃に気付かず、ユーノと一緒に前方からの襲来のみに対応していたら、無防備なヘイゼルをみすみす危険に晒していた可能性もあった。
「……っていうコトだ。悪いけどユーノ、前から来る連中はアンタに少し任せてもイイかい?」
「もちろんだよっ、ボクにまかせてっ!」
アタシは一旦、前方からの三体をユーノに任せると。
水の精霊の警告で側面から襲来する相手を迎撃するために、右側面の船の縁へと立ち、背中から大剣を抜いて構え。
「さて、何が姿を見せるのかアタシは楽しみだよ……それでアタシらが立ち向かおうとしてる敵の正体に、一歩でも近付けるんだからねぇ」
海面を凝視しながら、アタシらの船に接近してくるのが一体何なのかを確かめようとしていた。
何しろ。
アタシもそれなりに船に乗り、海を航海する経験をしてきたが。その間に海の魔物に襲撃はおろか、接近されたなんて記憶はなかったのだから。
現状が如何に異常な出来事なのかは、アタシも充分に理解している。
もちろんこの状況でアタシらの船を狙い撃ちしてくる時点で、相手……あの黒い影はこちらを王都やアダマン島に接近させたくないのだろう。
アタシの中ではいまだに、王都へと進路を向ける海の主と、瘴気で人を黒曜石のような漆黒に変えるあの偽りの神との関連を疑っていたりするのだから。
「────来るわ、アズちゃん」
水の精霊の言葉と同時に。
警戒心を高めるアタシと、船首に立つユーノの視界に広がる海面から波飛沫が上がる。
その数は、ユーノの目の前に三つ。
そして、アタシが見る船の右側面から一つ。
姿を見せたのは、前方と側面では全く別の魔物であった。
アタシの眼前に姿を見せたのは、鱗が黒光りして海面から見せている部分だけでも小舟程の大きさもある巨大な海竜であったが。
船首に立ったユーノの前方、アタシらの乗る帆船の進路を塞ぐように海面から浮かび上がり、姿を見せたのは、背中に黒光りした硬そうな甲羅を持つこれまた小舟ほどの大きさの大海亀だった。
だが、少なくともアタシが知ってる大海亀は人や船を襲う海の魔物ではなかった筈だし。
それに、本来の大海亀にはない甲羅から数本飛び出していた穴の空いた突起物が気にはなったのだが。
「お、おいっ……あ、アレは『海の壊し屋』と恐れられてる火砲亀じゃねえか、それが三体だと……運が悪すぎるにも程があるだろぉっ!」
「ヘイゼル、何だいその火砲亀ってのは?……ありゃ大海亀とは違うってのかい?」
その妙な形状の甲羅をした大海亀を見たヘイゼルが明らかに動揺し、船の進路を塞ぐ三体の大亀を別の呼び名で呼んでいたのが気になり。
アタシは目の前の海竜を相手にする前に、ヘイゼルが「火砲亀」と呼ぶ魔物の説明を聞くことにした。
「火砲亀ってのは、あたしら船乗りが勝手に呼んでる名前なんだけどね────」
どうやらヘイゼルの話によると、アタシが妙だと思っていた甲羅から生やしたあの突起からは、名前にある火砲が鉄球を飛ばすのと同様に硬い何かを飛ばしてくるのだという。
その一撃の威力は、直撃すれば容易に船体に大きな風穴を空け、船を沈められることも多々あることから「海の壊し屋」とも呼ばれているらしい。
モーベルムを含むこの国全域で討伐依頼は出されているようなのだが。
水深のある沖に生息し都市を襲わず、動きも遅いことから大概は討伐されることなく遭遇したら全速で離脱するのが普通らしい……とのことだ。
「……そんな海の壊し屋が進路に三体も立ち塞がってるんだ、ホントならとっくに舵を大きく切って王都行きを諦めるか、海に飛び込んで逃げ出すかしたいんだけどね……」
「ふうん……こいつら、そんなにつよいんだ?」
ヘイゼルは熱弁を振るいながら、いかに眼前に現れた火砲亀が強敵なのかをアタシやユーノに説いていたのだったが。
それを聞いたユーノは鼻息を荒くしながら、黒鉄の籠手を装着した両腕を交互にぐるぐると肩から回して見せる。
「それじゃ、てかげんはしなくていいよね?いっっくよおおっ!────ていやああああっっつ!」
船首から高らかに雄叫びをあげ、海に浮かび上がっていた火砲亀の甲羅へと飛び乗っていくユーノ。
握り込んだ鉄拳を思いっきり振りかぶり、まさに黒曜石のように黒光りする甲羅へと、着地ざまに渾身の一撃を放つ。
直後、鈍い衝突音と衝撃の波。
ピシィィ!……と拳が直撃した箇所から無数に奔る細かな亀裂と、その裂け目から噴き出す体液。
「────グオアアァァアア⁉︎」
苦悶の叫び声をあげる火砲亀が、自身を攻撃しあまつさえ硬い甲羅に亀裂を入れる脅威を迎撃するため。可能な限りの突起をユーノへと向けて、火砲と称される攻撃を撃ち放っていくが。
「ふふん、そんなんじゃボクにはあたらないよーだっ」
飛んでくる凄まじい速度の射撃物を、不安定な甲羅の上で軽やかな動きで回避していくユーノ。
「いっぱつだけじゃだめだったかー、それじゃもういっぱつ、くらええええっ────黒鉄の螺旋撃おおおお!」
すると今度は、ユーノが再び大きく振りかぶった黒鉄の籠手が、激しく音を立ててユーノの腕を軸としながら回転し始める。
その回転した鉄拳が、先程一撃を受けて甲羅が剥がれかけた箇所へと再び叩き込まれていくと。
二撃目にして、身体を守る甲羅が完全に砕け散り。
剥き出しになった箇所から肉と体液が飛び散り、同時に黒い靄のようなモノが抜け出してくると。
甲羅とともに海面から浮かんでいた頭部、その眼から生気が消えると、泡と飛沫を立てながら火砲亀の身体が海へと沈んでいった。




