105話 アズリア、王都への針路を取るが
部下からの報告を密かに聞き終えたネルソンが、こちらへと向き直ると態度を一変させ。
「あ……あー……いや、そういった懸念があるのなら尚の事、王都へ急いで帰還せねばなるまいな。で、では私たちも早速出航するとしよう」
と、アタシへの気の抜けた返事を早々に済ませると、回れ右をして自分らが乗ってきた軍艦へと戻ろうとするネルソンら海軍。
さて、こちらへは「浮遊」を行使して素早く甲板へと降り立った。ならば船へ戻るにはどんな手段を使うのか、興味深く見ていると。
海軍の兵士として武器を携帯しているとはいえ、金属製ではなく革鎧を着たネルソンらは。こちらの帆船と軍艦を繋ぐ麻縄に掴まると、両腕と両足を巧みに使い登攀していくのだった。
飛び降りた時とは違い、まさに正攻法。
「そりゃ確かに、身体を浮かせて飛び上がる魔法は、基礎魔法の浮遊と難易度が段違いだけどさぁ……」
だが、少しばかり奇抜な方法をどこか期待していたアタシは、麻縄を伝って軍艦へと戻るネルソンらを見送りながら、思わず口から漏らしてしまうのだった。
そして、ネルソンらが素早い登攀で戻るのを確認してから、アタシは鉤爪で固定された軍艦とこちらを繋ぐ麻縄を解き。
船内に待機していたユーノとヘイゼルに、何事もなく海軍との話し合いの場を終えたことを伝えると。
「ま、まあ……別にあたしは何の心配もしてなかったけどね。何しろ入り口には優秀すぎる門番まで控えてくれてたんだからさ。ね、ユーノ?」
「えへへー、えっへんっ!」
ヘイゼルに頭を撫でられながら、アタシに言われた任務を無事こなしたことに腰に手を当てながら胸を張るユーノ。
誰とでも屈託なく親しげに接するユーノだったが、この二人の距離感を見てアタシが感じたのは。海軍との話し合いをする前と比べ、親交が深まってる気がしたのだ。
……気のせいでなければよいのだけれど。
「アズリア、どうやら風もいい感じ……アダマン島に向けて真っ直ぐに吹く風に変わってきたみたいだよ」
口に含んで唾で濡らした指で風向きと強さを調べ、地図と水に浮かべた指南魚を見ながら方角を確認する。
ちょうど風向きもアタシらに味方してくれているように、アダマン島へと強く吹き始めていた。
「それじゃユーノ、帆を張りなッ……海軍らはもう少し出航に時間が掛かりそうだし、アタシらは先に王都に向けて出発するよッ!」
「あいあいさーっ、お姉ちゃんっ!」
ネルソンが搭乗する軍艦が出航させるために、海に待機するために海中へと降ろされる重石を引き上げられている作業を横目にしながら。
風を受けるために帆を全開に広げて、アタシらは一足先に、王都のあるアダマン島へと進路を取る。
「水の精霊、お願いがあるんだけどさ……」
「はいはい、わかってるわよぉ〜アズちゃん。お姉ちゃんは海流を操ってこの船を運べばいいんでしょ?」
「王都が今どうなってるのか知りたいんだ。出来たら強めにやってくれないか?」
「うふふ、任せてちょうだい。アズちゃんは黙って見ててくれればいいからねえ〜」
水の精霊が海流を操作してくれれば、向かい風が吹いていたにもかかわらずその風をモノともせずモーベルムへと進んでいたように。
たとえこの強い追い風が止んでも、王都のあるアダマン島へと進路を取ることが出来る。
風を帆に受ける以外には人力で櫂を漕ぐしか動力のない帆船において、自在に海流を操作する水の精霊は非常にありがたい存在なのだ。
「うわあああっ!はやいはやいはやいいっっ!」
風だけでなく海流まで無理やり味方につけたアタシらの帆船は、小型だということもあってモーベルム沖に停泊していた軍艦から離れると。
海を切り裂くようにぐんぐんと速度を上げていき、つい先程まで大きく見えていた軍艦との距離を離していき、みるみる軍艦の姿が小さくなる。
その速度は、同じく俊敏な速度で戦場を駆け回る獅子人族のユーノですら両腕を上げながら興奮してしまう程だ。
だが、そんな風と海流の中。
舵を握るアタシは張り詰める緊張感の真っ只中にあった。
「は、はは……少しでも間違えちまったら、船が横倒しになっちまいそうだよ、コレ……ッ!ぐぎぎぎぎぎ……」
「がんばれ、まけるなお姉ちゃんっ!」
「ほらアズちゃん、ここが踏ん張りどころよぉ、お姉ちゃんも応援してるから頑張るのよアズちゃん!」
何しろアタシはコーデリア島を出るために、船に初めて乗ることになったのだ。その時に船を用意してくれた船大工らに一通り船の操縦の仕方を教わったが、その程度の知識でこの風と海流の中を操縦するのは至難の業であった。
それは、舵を握るアタシの両腕に伝わってくる凄まじい反動からも容易に理解出来るというものだ。
陸上を駿馬が駆ける程の速度で王都のあるアダマン島に向かっているのはありがたい事だが。
少しでも舵に込めた力を緩めれば、帆に受けた強い風に負けて船が横倒しになるか、もしくは船体が浮き上がる錯覚に襲われそうになる。
横でユーノや水の精霊がアタシを応援してくれているのはありがたいが、逆を言えば二人は応援するしか出来ないのだ。
そもそも水の精霊は舵の取り方なんて知らないだろうし、ユーノと力を合わせようものなら木製の舵が壊れてしまう可能性が高いからだ。
すると、アタシの背後に立った誰かが肩に手を置くと、力任せに舵を取るアタシへと声を掛けてくる。
誰か、とは言ったが、アタシの目の前にはユーノも水の精霊もいるのだ。他に残っているのは一人しかいない。
「はぁ……もう、見ちゃいられないよ。ほれアズリア、ちょっと代わりな」
残りの一人、つまりヘイゼルがアタシを後ろへと一旦下がらせ、代わりに舵を握ると。
力任せなアタシの舵取りとはまるで違い、アタシよりも全然非力な筈の彼女は大きく風を帆に受け、まるで暴れ馬のようなこの帆船を巧みに操っていく。
「……す、凄い……さして力を込めてるワケでもないってのに、アタシなんかより舵を上手く……」
「はっ、当然だろ?……これでもあたしは海賊の前はあのレーヴェンと同じく貿易商だった両親について散々荒れた海を航海したんだ。アンタみたいな海のド素人と比べんじゃないよっ!」
ヘイゼルの舵取りを見たアタシの呟きに、海を真っ直ぐに凝視したままの彼女が皮肉めいた憎まれ口を叩くが。
「ふん……アンタとこの帆船はあたしが必ず王都まで無事に送り届けてやるよっ、コレでアンタがあたしを海軍から守ってやるって貸し借りは無しだからね……っ」
ヘイゼルが猛烈な速度で海を駆ける帆船を操る中、アタシへ向けて握り拳を突き出してきたので。
「ヘイゼル……ああ、それで貸し借りは無しだ」
アタシはそれに応えて、ヘイゼルの拳と自分の拳を合わせてみせたのだった。




