104話 アズリア、思い出した懸念材料
ふと、アタシは目の前のネルソン提督以外からもアタシの名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたので。
声の聞こえた方向に視線を投げると、かなり離れた軍艦の縁に映る、とある人物の姿が。
「れ、レーヴェン……ッ?」
そう。
目の前のネルソンに王都行きを打診される前に、アタシは一度軍艦からアタシの名前を呼ぶレーヴェンから王都ノイエシュタットへの同行をお願いされたのだが。
あの時は、魔術文字の探索を優先して返事を保留してもらっている間、夜中のうちに屋敷を抜け出し。こうして帆船を動かして海へと出てしまった手前。
彼が船の縁からこちらへ向け、アタシの名前以外にも何か言っている姿を見てしまうと。なかなかネルソン提督の提案を受け入れるのに抵抗はあるのだが。
水の精霊にも宣言したように、アタシは自分の決断に一片の後悔もしたくない。
だから、アタシはネルソンに自分の気持ちを正直に伝える。
「ああ、もちろんそのためにモーベルムに帰還してきたんだ。喜んでアタシらも協力させて貰うよ」
「お……おおっ?……そ、そうか、それはよかった!」
まさか提案したネルソン提督も、一度目の勧誘でアタシがすんなりと承諾するとは思っていなかったようで。
あまりに簡単にアタシが首を縦に振ったのに驚き、思わず声を裏返して変な声をあげてしまうが。
「ところで、海軍の軍艦と王都に同行するんだ。アタシも提督……って呼んだほうがイイかい?」
「コホン……い、いや悪い、面倒事を嫌がるというレーヴェンさんの話を聞いていたから、つい……てっきり断られると思っていたよ。あ、私のことは先程まで通り『ネルソン』で構わない」
「て、提督?……それはあまりに無礼な」
「構わないよ。大体、レーヴェンさんの話が本当なら頭を下げて彼女のような実力者に協力を頼むべきのは我々のほうなのだ」
「…………」
ネルソンは慌てて咳払いをしてアタシの質問に答え、提督という立場にありながら今まで通りの砕けた態度で接することを許してくれた。
さすがに背後にいた部下の兵士らは、ネルソンの発言に異議を申し出るが、その兵士らの発言を軽く手を掲げて制止し。
海軍の置かれた立場を逐一、説明して聞かせていくうちに兵士らは押し黙ってしまう。
それを見てアタシは、この国の海軍における提督という階級や地位を知らなくとも。
部下らがネルソンを「提督」ではなく名指しで呼ばれることに激昂したことを見ても、どれだけ目の前の提督が部下の信頼を集めているかは理解出来た。
……まあ、アタシとしては面倒なことだが。
「そうかい、じゃあネルソンと呼ばせてもらうけど、アンタたち海軍はこのまま真っ直ぐ王都を目指すのかい?」
というのも先程、ネルソンが率いる軍艦がモーベルムに入港した二つの理由。
一つは王都に向かうレーヴェンの護衛だが、もう一つはあの黒い影の調査と言っていた。
ならば……ただその姿を目撃し、大波を被っただけのアタシらよりも彼ら海軍は何か詳しい情報を持っているのかもしれない。
そんな淡い希望を持って、アタシはネルソンに今後の行動指針を訊ねてみたのだが。
「ああ……もちろんレーヴェンさんを護衛する任務というのもあるが、我々はこの国の王族と王都に住まう人々を守る義務があるからな、欲を言えばあの黒い影の正体をもう少し調査しておきたかったのだが」
どうやら彼ら海軍も、あの黒い影の詳細はアタシらと同じく知らないようだ。
それならば黒い影が向かったと推測される進路の先、つまり王都のあるアダマン島へと一刻も早く向かう必要しかないだろう。
そんなネルソン提督へ、アタシはふとレーヴェンとの食事会の時に脳裏に過ぎった懸念材料を確認してみることにした。
「なあ、ネルソン……一つ、王都にある教会の話を聞いてもイイかい?」
「ああ、構わないぞ。もっとも、私は五柱の神よりも海神を信奉している身だがね」
「もしかして、王都にゃ……その海神と五柱の神以外にも教会や組織があったりするんかねぇ……たとえばさぁ、最近急に大きくなった教会なんか」
それも、遠回しに。
「いや、王都にそんな話や組織が現れたという報告は聞いたことがないぞ……どうだ、お前たち?」
「……い、いえ、我々もそのような話は初耳です」
「しかし……アズリア、とか言ったな。その話題とあの黒い影と一体どんな関連があると言うんだ?」
ネルソンだけでなく、背後に控えていた兵士らもアタシの質問にこぞって首を横に振る。
それを聞いてアタシは、あの存在が既にこの国に活動の根を張っている、という推測が外れていたと知り、軽く安堵するのだ。
「いや、ならイイんだ……実はね────」
アタシが懸念していたのは、食事会の最中に殺気を周囲に撒き散らしながら出没し、アタシとユーノに無力化された、漆黒に変貌した二人の冒険者のことだ。
さらに言えば、あの二人を黒く変貌させた瘴気の塊の根源たる存在・偽りの神セドリック。
魔王リュカオーンが支配するコーデリア島に漂流した人間らを巧みに操り、神聖帝国なる自分を崇拝する国家まで建国させ。
地上へと顕現するためにその人間どもに祝福を授け、魔王やユーノらと人間を長年争い続けさせた元凶たる存在であり。
その野望半ばにして、アタシやユーノら四天将の尽力、そして最後は魔王リュカオーンの奥義によって偽りの神セドリックは滅した筈であった。
だが、二人の冒険者の変貌はまず間違いなく、セドリックが祝福を与えた人間の成れの果てなのだ。
そして、あの二人に連れられていた右腕を切断してやった剣匠卿が行方知れずになっている話。
モーベルムに帰還する、と決断したアタシには。
あの二人の話や、剣匠卿の行方がどうしても無関係だとは思えなかったのだ。
だからアタシは、ネルソンらにコーデリア島であることは伏せ、アタシとセドリックとの因縁を説明していったのだ。
それを聞いたネルソンは、額に手を置いて何度となく首を横に振り、信じられないという表情をアタシへと向けて口を開く。
「ふぅ……レーヴェンさんの話を聞いた時、どれだけ馬鹿げた話かと思ってたが、その上を行く話を聞かされることになろうとはな……しかも、あの黒い影を見た後では笑い飛ばそうにも、なぁ?」
そう言ったネルソンは、背後に控えた部下らに同意を求めるような声を掛ける。
だが、部下らは皆一様に青ざめた顔をしてアタシの話を聞いていたのだ。
「いや……提督、実は────」
そして部下の一人がネルソンに近寄ると何かを耳打ちしていき、部下の話に何度か頷きながら徐々にネルソンの顔色も蒼白になっていく。
残念ながらアタシに聞こえないように小声で話しているのだろうが、こちらには思考を読み取れる水の精霊が控えているのだ。
「……アズちゃん。どうやら、あの人間たちの住む都市でも、アズちゃんが話題に出した黒い肌をした人間がここ最近で数件ほど確認されてるみたいねえ」
「……なるほど、ねぇ。神聖帝国の時みたいに大っぴらには姿を見せてないけど、あの偽神サマはやっぱりこの国に逃げてたんだね……ちッ、しぶとい」
水の精霊が小声でアタシへ今一番聞きたかった内容を、耳元で囁いて教えてくれると。
やはり偽りの神は滅んでいなかったと知り、アタシは舌打ちをしながら悪態を吐く。




