100話 アズリア、再び精霊に背中を押される
およそ……半年ほど前の出来事になるが。
砂漠の国に侵攻してきた魔族の長・コピオスとの決戦の時に世話になって以来、水の精霊とは会っていなかったのだ。
それからホルハイム戦役での参戦やその時に負った左脚の火傷の治療に時間が掛かり、さらには突然のコーデリア島への召喚で行方知れずともなれば、心配をさせたというのは理解出来るが。
にしても、再会を喜ぶ表現にしては少々……いやかなり過激とも思える態度なのではないか。
「お、落ち着けって水の精霊ってば……アタシはほら、今ココにいるじゃないかッ……な?なッ?」
「そう、そうよねえ……アズちゃんがまたお姉さんの前からいなくならないうちに色々しておかないとねえ……うふふふふふふふふふふふふふふ」
「む……むぎゅ……胸がく、苦しいってぇの……」
水の精霊が気が済むまでの短かったようで長く感じた時間、アタシはその間ずっと抱きしめられたままの状態だった。
アタシより大きく柔らかい胸の感触を顔に受けながらも、終始不気味な笑い声を聞かされ続けていたのだ。
……ようやく水の精霊が我に返り、アタシは解放されたが。
「あ、あらぁ?……お、お姉さん、久しぶりにアズちゃんに再会出来てつい我を忘れちゃったわ、ごめんなさい……って、あらアズちゃん?アズちゃん?」
「…………か…………かは」
そう。顔を胸に埋めていたアタシはすっかり息が苦しくなり、水の精霊が腕を緩めた途端にその場に崩れ落ちるように座り込んでしまったのだ。
「お、お姉ちゃんっ⁉︎……た、たいへんだよっせいれいさまっ、お姉ちゃんが、お姉ちゃんがくちからあわふいてるっ?」
「ん〜大丈夫よ、そんな時には……えいっ、覚醒に癒しの一滴」
その様子に慌ててアタシに駆け寄ってくるユーノをよそに、水の精霊が珍しい水属性の治癒魔法を二度ばかりアタシへと発動し。
息が出来なかったばかりに刈り取られる寸前だった意識を、治癒魔法の効果で何とか繋ぎ止めるのに成功する。
何とか確保できた息を繰り返し、徐々に意識がはっきりしていくと。
「────はっ⁉︎……はぁ、はぁ、い、今一瞬だけ、アタシが斬って倒してきた連中が手を振ってたんだけどッ!」
「あは、おかえりなさい〜アズちゃんっ」
「お、お姉ちゃんだいじょうぶっ?」
目覚めたアタシを心配そうな顔で見つめるユーノ、そして悪びれない態度で座り込んでいたアタシへと声を掛ける水の精霊。
「────なあ。精霊サマの話を遮るのは悪いけど、こっちも聞きたいことがあるんだ。で……アズリア」
そこへ、獣人族が使う攻撃魔法を応用した戦技の説明の輪から外れていたヘイゼルが、甲板に胡座を組んだ自分の脚に肘を付き。
説明を終えたと判断したのか、妙なやり取りをしていたアタシら三人……いや二人と水の精霊へと言葉を掛けてきたのだ。
「結局のところ、モーベルムへ戻るのか。それともこのままラグシア大陸の何処か新しい国と港を目指すのか……どっちを選択するんだい?」
ヘイゼルの問い掛けに、アタシの思考は水の精霊と再会する直前にまで戻される。
アタシは一度、自分らが乗るこの帆船が停船っていたモーベルムの港の方角に視線を向けると。
「お姉ちゃん、まよってるならボクはまちにかえるべきだとおもうよっ……だってカサンドラちゃんやファニーにエルザちゃんがしんぱいだもんっ!」
ユーノが船の一番後ろに移動して、今アタシの視線の先にあるだろうモーベルムの港を指差して、自分の想いを吐き出してくれる。
確かに、あの巨大な黒い影が向かった先はモーベルムではない……のだが。
レーヴェンはこの国の海運航路を狙い撃ちしていたヘイゼル率いる海賊団の壊滅と、モーベルムの街で起きた獣人売買組織の報告に王都へと出向くと言っていた。
もしあの黒い影が王都で大暴れし、レーヴェンがその騒ぎに巻き込まれて何かが起きた場合。
グラナード商会専属の冒険者となったカサンドラにファニー、そしてエルザたちも無傷でいられるのか?
そして屋敷に一人残されたレイチェルはどうなるのだろうか?
「だけどさアズリア、アンタが探してるモノが何なのかは知らないけど……それは少なくともこの国にゃないんだろ?」
だが、街で知り合った人間らを心配するアタシの気持ちが、モーベルムへの帰還に傾き始めると。
それを見透かすように、帰還しようとするアタシの心に石を投げ入れ「振り返らず前へ進め」と波紋を立ててくるヘイゼル。
しかし、先程とは決定的に違う点がある。
それは、アタシがあの港街に向けた視線を外そうとすると身体が震え出してしまい、視線を外すことが出来なかったのだ。
その状態で舵を握ると、腕が震えて勝手に右側へと大きく回して船を旋回させようとする。
アタシは勝手に動く腕を止めようと力を込めるが、すると身体がぶるぶると震え出して腕に力が入らない。
それはまるで、身体が勝手にモーベルムの街へと帰還したがっているような。
「あ……あれ、この身体が言う事を利かない感じ……少し前にもあったような」
────そうだ、思い出した。
あれは、ハティら火の部族の族長の座を狙うリュードラという族長の息子が、部族の大多数に支持を広げるハティと比較しての形勢不利を逆転するために。
マフリートとエルキーザという二体の魔族と手を組んだことを、アタシが偶然知ってしまった時のことだ。
その時のアタシも、二体の魔族をやり過ごしてハティらに魔族の関与を報告するか、それともこの場で二体の魔族に戦いを挑み内密に処理するか、その二択に悩んだのだ。
あの頃のアタシの実力ではまだ、二体の魔族を同時に相手にするというのは暴挙だったからだ。
そして、そんな決断に悩むアタシの背中を押してくれたのは…………確か。
「やっぱりね……アズちゃんは優しいから、いくら魔術文字という目的がなくなったからって……困るであろう人間を見て見ぬ振りなんて出来ないのよねえ」
あの時も最後のひと押しをしてくれたのは、人間でも魔族でも心の内側を読み取る能力を持つ水の精霊であった。
だからもう既に気付いているのだろう、アタシがモーベルムに帰還し、レーヴェンらの力になりたいと考えてしまっていることを。
「ああ……水の精霊が考えてる通りだよ。アタシはさ、目の前で誰かが死んでいくのを見てるくらいなら、その『死』にアタシが喧嘩を売って死んでやるさ……ってアタシも全然成長してないねぇ、はは」
「うふふ、いいのよ。お姉さんも大樹の精霊ちゃんも氷の精霊ちゃんもね、そんなアズちゃんが大好きなのよぉ〜……だからね」
あの時、最後にアタシに掛けてくれた言葉。
その言葉をアタシは一字一句、頭に浮かべると。
「お姉さんは────アズちゃんと一緒に戦ってあげるわ」
過去にアタシに掛けてくれた言葉を、再び水の精霊はアタシへと掛けてくれたのだった。
「悪いねぇユーノ……それにヘイゼル。アタシ、ちょいと寄り道していくよ」
それを聞いたアタシにもう迷いはなく、舵を大きく回して船体を旋回させ、レーヴェンらの待つモーベルムへと帰還するのだった。




