97話 アズリア、懐かしき顔に出会う
甲板の上で、悩むアタシを心配するユーノと旅に同行することになった元海賊の頭領ヘイゼル、二人の視線を浴びながら。
「ふね、どうするのお姉ちゃんっ?」
「いつまで海の上で待機してるんだい……そろそろ新しい港に向けて出発するよ、アズリアっ?」
いまだアタシは、このまま予定通りこの国を離れて大陸にあるいずれかの国に針路を取るか、それともモーベルムに帰港させるかの二択を決め倦ねていた。
一度は無断で立ち去ったレーヴェンの前に、再び顔を見せるのは何とも気まずいし。
さりとて、あの巨大な海の主が王都に向かうのをむざむざと放置するのも心が痛む。
さて……一体どうしたものか、と悩んでいると。
チャプン、と水面から何かが接近する気配を感じ、背中に背負っていた大剣に手を伸ばす。
アタシだけでなく、ユーノとヘイゼルの二人もその気配を察知したようで。
武器を持たないユーノは腰を落として気配のした海面に向け拳を構え、ヘイゼルは腰に挿した刺突剣を抜く……のだが。
その刺突剣が希少な聖銀製なのを見て、アタシは武器を構えるヘイゼルに声を掛ける。
「へえ、聖銀製の刺突剣はアタシが折ってやったと思ったんだけどねぇ……」
「はっ、あたしともなればたとえ聖銀製と言えど、替えの一本や二本は用意してるモンなんだよ」
アタシはそんな余裕を見せるヘイゼルの言葉に、返事代わりの口笛を吹いてみせる。
というのも、だ。
以前ヘイゼル率いる海賊団がレーヴェンの商船を襲撃してきた際に、アタシが海賊を全滅させるためにヘイゼルと剣を交えたのだが。
母親ライラを殺害されたレーヴェンの一人娘レイチェルの涙ながらの頼み事を聞いたアタシは、その怒りを乗せて大剣を振るい。ヘイゼルが構えた聖銀製の刺突剣を確かに叩き折ってやったのがつい先日のことだ。
金剛鉱や太陽鉱など、希少性の高い金属の中では比較的流通している聖銀だが。
それでも二本も聖銀製の武器を揃えるとなれば、相当な財力を積み、しかも聖銀を扱う武器屋や鍛治師の人脈が必要不可欠となる。
レーヴェンの話では、アタシとユーノが壊滅させたヘイゼル率いる海賊「海竜団」は一度は大陸最強と揶揄されるコルチェスター海軍から軍艦を強奪出来る程の実力を持つ、と聞いていたが。
アタシはまだヘイゼルという人間の器を、ただ一度の交戦だけでは測り兼ねていたのかもしれない。
そんなことを考えながら、海中からこちらへと間違いなく接近してくる気配へとアタシら三人が警戒していると。
視線が集中する海面から何かが顔を出してくる。
「あらあら〜うふふっ、アズちゃんは相変わらずねぇ〜」
こちらの警戒心を削ぐかのような間延びした成熟した女性の声。
そして、明らかにアタシを見知ったかのような呼び方に、ユーノとヘイゼルが海の上から顔を出した気配の主……どうやら人間の女性に見えるその顔とアタシを、何度も交互に見てくる。
「え、ええっ?……お、お姉ちゃんのおしりあい?……で、でもこのひとたぶんネイさまや海魔族じゃないよっ?」
「あ、ああ……さっきまであのバケモンが海を荒らしてたんだ、それでも海魔族の連中なら荒れた海を泳ぎきれるもんだが……一体アレは誰なんだよアズリアっ?」
二人が言う海魔族というのは、コーデリア島に棲まう魔族の中でも海の活動に特化した種族のことだ。
そのために腰より上は人間とほぼ同じながら、腰から下の脚などは海に生息する生物を模している。
コーデリア島に滞在していた際に、海魔族を率いる女王・ネイリージュとは少なからず交流があったことからアタシも海魔族の知識を多少は持っていたのだが。
目の前で海面から顔を出している存在は、海魔族でないのは二人も理解したようだ。
もちろん、当人であるアタシがその正体に気付いていないわけがなかった。
その正体が、アタシが頭に浮かべたモノだとしたのなら海に姿を現したのは納得のいく話だし。
大陸が広いと言えど、アタシのことを「アズちゃん」と呼ぶ存在を一人(?)しか思い当たらなかったからだ。
だから、アタシはその正体を口にしていく。
「彼女は水の精霊。色々と事情があってさ……アタシはこの精霊様にだいぶお世話になって、頭が上がらない存在ってワケさ」
「そういうことよお〜アズちゃんの新しいお仲間さんたちかしら、紹介にあった通りお姉ちゃんは水の精霊よお〜よろしくお願いするわねえ〜」
すると、先程までアタシらの乗る船から少し離れた海の上に頭を浮かべていた水の精霊が、アタシの言葉で少し目を離した隙に船の甲板に突如姿を現わし。
あろうことか、アタシの横へと立っていたのだ。
「ん?……あ、あれ、どうしたんだい二人とも?」
海魔族だと思っていた、海面から顔を出した女性の正体にユーノもヘイゼルも納得してくれたと思っていたが。
その二人が口を開けたまま、驚いた顔ですっかり硬直し呆然としてしまっていた。
アタシは反応を示さなくなったユーノの顔の前で手を振って見せたり、ヘイゼルの頬を軽く平手打ちしてなんとか意識を戻そうと試みる。
先に意識が戻ってきたのはユーノだった。
「…………はっ?ま、またお姉ちゃんがボクをびっくりさせるようなこといったからっ……」
遅れて、頬を赤く腫らしたヘイゼルが意識を戻し、頬を押さえながら恨みがましい視線をアタシへと向ける。
「────ったく。せっかく飛んだ意識を戻してやったのに、何だいその目はさぁ?」
「……で、質問なんだけどねアズリア……なんであたしの頬は叩いたクセに、ユーノの頬は叩かなかったんだい?」
「は?……そりゃ当然だろ。散々叩かれ慣れてる海賊のアンタの頬と同じように可愛いユーノの頬を叩けるかってえの」
何を思ったのかヘイゼルは、アタシがユーノの意識を戻す際に頬を叩かなかったのに対し、彼女の頬に手をあげたのが気に喰わなかったようで。
アタシの口から、旅の相棒であるユーノと無理やり同行してきたヘイゼルとの立場の違いを説明してやったのだが。
「……納得いかないねえ」
まあ、ヘイゼルの容姿も顔に二本の刃傷が走っていることを加味しても、相当の美人であることは否めないのだが。
それはそうと、何故に二人がそこまで驚いたのかをアタシは問い質そうとする、その前に。
「お、お姉ちゃんって……せいれいさまとおしりあいだったなんて……すごい……すごいすごいすごおおおいっ!」
と、ユーノがアタシへの感嘆の声を上げ、目をキラキラと輝かせアタシと水の精霊を交互に見やる。
コーデリア島でも、鍛治師と名乗っていた大地の精霊もいたし、そこまで驚くべき事ではないのかと思ったのだが。
そう言えば……大地の精霊は「正体が知れると面倒なことになる」と、自分が精霊である事実をアタシに口止めしていたのを思い出した。
だが、それにしてもユーノの反応は異常すぎる。
アタシが疑問を抱いていると、横に立っていた水の精霊が耳元に顔を近づけて小声で話し掛けてきた。




