93話 アズリア、モーベルムを出港する
無理やり脅迫めいた提案で船へと乗り込み、アタシらの船旅に同行してきたヘイゼルは。
乗り込んだアタシらの持ち物である帆船、その甲板や帆柱、舵などの箇所を隅々まで確認していた。
ただ見るだけでなく、手で触れたりしながら。
「へえ……二人とも、海の事は何も知らないド素人なくせに、材質は立派だし。船の造りもしっかりしてるじゃないか」
「そりゃまあ……アンタが乗ってたあんな立派な船にゃ敵わないだろうけどねぇ」
大陸広しと言えど海軍の規模と強さ、そしてやはり帆船製作の精密さで言うならば、この国は随一だろう。
レーヴェンの話では、アタシが両断し海に沈めたあの海賊船は元はコルチェスター海軍の軍艦だったようなので。
アタシらの帆船とでは比較にならないと思うのだが、ヘイゼルはこの帆船にどうやら一応の合格点を付けたようだ。
「はっ、そいつは遠回しに自分らの腕を褒めてるのかい、漆黒の鴉サマよう?……ったく、二人であたしの船を海の藻屑にしてくれやがってさ」
「……アンタが海に逃げださなきゃ、そのまま海に浮かべておいてもよかったんだけどねぇ」
ヘイゼルの皮肉めいた愚痴に、アタシも彼女とは敢えて目を合わせないまま皮肉で返していくと。
「はん、軍艦を両断するようなバケモノ相手に刺突剣一本で立ち向かえるわきゃないだろ、ありゃあたしが正しかったのさ」
「……何なら、あの時の続きを今ここで再現してやってもアタシは一向に構わないんだけどねぇ……?」
アタシへ歩み寄りながらこちらを睨むヘイゼル。
合わせてアタシも一歩も引かずに背中の剣に手を掛けて、彼女を睨み返す。
「もう!お姉ちゃんも、ふたりともけんかしないのっ!」
そんな二人の間に割って入るのがユーノだった。
両手を広げて、アタシとヘイゼルの距離を無理やり空けさせられるユーノの姿を見ていたら。
言い争いをしていたこと自体が馬鹿らしくなり、思わず笑いが溢れ、吹き出してしまう。
「ぷッ……あっははははッ!悪い悪いユーノッ……ってワケだヘイゼル、喧嘩はなしでいかないかい?」
「……あのねえ、アンタとあたしじゃ喧嘩にすらならないんだよ……ったく」
大笑いするアタシに付き合いきれない、という態度でヘイゼルは口に指を咥え、唾のついた指を立てると夜の空に向けて腕を掲げていく。
あの動作はアタシもユーノもわかる、ああして風の流れやその強さを測っているのだ。
「それじゃ早速だけど、指南魚を浮かべる浅めの木桶を用意しな。それと……この風の強さなら帆はもう少し強めに張ったほうがいいねえ」
「わかったよ、ボクがほをつよくはるからっ」
「はいはい、アタシが木桶に海の水を汲んでくるよ」
指で海に吹く風を測り終えたヘイゼルは、アタシらへ出航の準備のため色々な指摘をし。
アタシとユーノは手分けして、彼女に指摘された箇所や準備をこなしていく。
────こうして。
準備が整ったアタシら三人は港を出航し、再びニンブルグ海へと帆船を漕ぎ出したのだが。
◇
海賊の女頭領ヘイゼルは、夜の闇に黒く染まったニンブルグ海を見つめながら。
何とか思惑通りに自分の海賊団を壊滅させた相手と接触を果たし、船旅に同行することに成功したことに嬉しさを噛み締めていた。
「……そろそろこの国に留まるのも限界だったし、海賊団が壊滅させられたのも丁度いい頃合いだったかもね」
彼女から全てを奪った復讐にと、ただひたすら海賊相手に暴れ続け……いつの間にか憎むべき海賊の頂点にまで駆け上がってしまったヘイゼル。
そして、気が付けば。
自分が率いる「海竜団」は、ニンブルグ海を活動領域としている大小の海賊連中から嫉妬と憎悪の対象にされ。
捕まれば処刑は免れない、と海賊を取り締まるコルチェスター海軍への抵抗を続けた結果、賞金首の額は跳ねに跳ね上がり。顔に刃傷のある容姿からこの国では目立ちすぎる立場になり、窮屈に感じていたからだ。
ヘイゼルは、顔に醜く刻まれた二本の刃傷を指の腹で撫でながら、過去の回想を始める。
「まさかさ……親父と母さん、あたしから家も何もかも奪っていった悲しみを忘れようと突っ走ってたら、自分が一番悪名高い海賊になってたとはねえ……」
アズリアとユーノ、あの二人に自分が率いる海賊団を壊滅させられ二隻の船まで喪失したが。
あの場をどうにか凌いだとしても、早晩コルチェスター海軍からの討伐隊が差し向けられたに違いない。だとすれば、賞金首であるヘイゼルを海軍は絶対に逃亡を許さず、捕らえられれば絶対に公開処刑されていた。
だからこそ。その前にあの二人に討伐され、自分の消息を絶つことが出来たのはせめてもの救いと言えるだろう。
「後は、あの二人と一緒に大陸の何処かへ到着出来れば、あたしは海賊ヘイゼルと完全におさらば出来るってわけだ」
だからヘイゼルは、アズリアとユーノ両名に自分の海賊団を壊滅させた遺恨など欠片も持ち合わせていなかった。
寧ろ、娼婦を装い自分の素性を隠しながらもアズリアらに恩義を売るために接触した最大の理由は、二人の旅に同行するためだったのだから。
ヘイゼル率いる海竜団が壊滅した、という知らせはレーヴェンやモーベルム領主のカスバルが王都や海賊の被害で苦しめられていた周囲の都市へと伝達される前に。
既に海賊らの情報網で知れ渡ることとなった。
そこで海竜団の頭領で、金貨二百枚という高額の賞金首が掛かっているヘイゼルがまだ生存していたことが知れれば、大騒ぎになるのは間違いない。
海軍だけでなく、賞金狙いの街の冒険者らもこぞって彼女の生命と身柄を狙ってくるだろう。
そこで、アズリアとユーノなのだ。
「まさか、ホルハイム戦役の英雄と西の魔王の幹部が二人っきりで旅をしてるなんてね……最初はまさかの冗談だと思ったけど、一撃で船を沈める実力を見せつけられたんだ……そりゃ信じるしかないよねえ」
船団と部下らは失いはしたが、本拠地まで失ったわけではなかった。
各地に配置してある情報屋からの情報を羅列した貴重な書類にあらためて目を通し。彼女自身の耳に入った噂話などと合わせ、アズリアやユーノの素性を推察したのだ。
そしてその素性や正体は、ヘイゼルと同じく周囲に知られてしまえば大騒ぎ……では済まないモノであった。
かたや女傭兵は、先日小国ホルハイムが北の帝国を退けた「ホルハイム戦役」の英雄にして。砂漠の国に大侵攻した魔族を撃退した立役者としても名を馳せていたし。
もう一人の獣人族の少女は、獣人族の中でも希少種である獅子人族の族長であり。西の果て、海賊らも決して近づかぬ魔王領で魔族を率いる幹部の一人でもあるのだ。
ならば、同じ脛に傷を持つ者同士。
しかもあの二人は、海を渡るための技術や知識を持っていないド素人ときたものだ。
せいぜい自分が海賊として持つ技術や知識を高く売り込んで、あの二人を国外へ脱出するまでの護衛として使わせて貰おう。
「それに……いざとなったら、ねえ」
そう黒い海を見つめながら呟くヘイゼル。
手で自分の胸や腹を撫でながら。
彼女が海賊団の本拠地に一度帰り、持ち出してきたのは今まで収集した情報が記された書類だけではなかったからだ。




