84話 アズリア、食卓へと舞い戻る
そんな中、アタシの腕から切り離した「魔を喰らう鎖」で拘束していた男二体の様子に異変が起こる。
つい先程までは鎖の束縛から抜け出すために足掻き、もがいていた男らであったが。
突然、身体をビクビクと細かな痙攣を始めると、吐息を吐いた時のように口を大きく開いたかと思うと。
「────ウゲエェェェェェェェ……」
嗚咽とともに男たちの口からゴロン、と吐き出されたのは、子供の握り拳ほどの黒い塊。
その塊が地面に転がると、瘴気を撒き散らしながら灰となり崩れ去っていく。
────そして。
「お、お姉ちゃんっ、そいつら……もとにっ?」
「あ、ああユーノ……アタシも今、見てる……ッ」
アタシらの目の前で、男らの肌の色が光沢ある黒曜石のような漆黒から、血の通っていない土気色へと戻っていく。
自ら望んで瘴気による変貌を受け入れたアディーナや女勇者ルーと同じように。
連中が偽りの神の使徒として灰と化すのではなく、人間の身に戻れたのはアタシも驚きだが。
「……てっきり、あの変貌を遂げた人間はもう絶対に元の人間にゃ戻らないとばかり思ってたんだけどねぇ……」
そうなると一つ、大きな問題が発生する。
人間に戻ってしまったこの男二人を一体どうするか、ということだ。
残念ながら今のアタシらはレーヴェンらに招かれ、海鴉亭で食事をしている最中だったりする。
そこへ、この連中を衛兵に任せればどうなるか。今度こそ事情を聞くために連行しかねないし、姿を隠して連中を転がしたままでは大騒ぎになるのは避けられない。
アタシが顎に手を当てながら、この後どうしたら何事もなかったように夕食会の席に戻れるかを思案していると。
「……アズリア様、この場の後処理は我々にお任せ下さいませ」
人の気配のなかった通りに、足音が一つ。
その足音の主が、こちらへと声を掛けてくる。
「──誰だい?」「──だれっ⁉︎」
アタシとユーノは声のする方向へと振り向き、警戒して身構えると。
そこへ立っていたのは、レーヴェン邸を訪れた際にアタシを何度も出迎えてくれた執事服を着た初老の使用人であった。
その彼は、身構えていたアタシらへ深々と頭を下げると。
「……私、レーヴェン様にお仕えする使用人の一人でディノスと申します、アズリア様にユーノ様」
丁寧な口調で簡単な自己紹介を済ませてくれたので、声と気配の正体が分かったアタシは身構えていた腕を下ろし。
そんなアタシの様子を見てか、ユーノも遅れて警戒心を解除する。
「で。ここは任せろ、てのはどういうコトなんだい?」
「僭越ながら、お二人は我が主人と食事会の最中。ここでお手を煩わせては私が後に不甲斐ないとお叱りを受けてしまいます故」
「うんうん、それで?」
「この二人は、我々が別途にて事情を聞いた後、治療院にでも運んでおきましょう」
ただの使用人が、周囲の石畳や石壁が少しばかり崩れたり地面が露出してしまってる様子を見て、なおも冷静な態度を崩さないまま言葉を交わしているディノスに。
アタシとしては少々不穏な気配を感じるのだが。
「ああ、それじゃ……よろしくお願いするよ」
確かに、衛兵に連絡も放置も出来ない以上。
この場に現れたディノスに任せてしまうのが一番の得策なのだろう。
「それでは我が主人が首を長くしてアズリア様とユーノ様をお待ちしております。どうやら次の皿の準備も整っております……お早く」
そう言ってディノスはもう一度だけ深々と頭を下げると、アタシらがこの場を立ち去り海鴉亭へ戻るまでを見届けてくれる。
こうしてアタシら二人は店へと戻ることになるのだが、その途中にユーノがボソリと小声で話し掛けてきたのだ。
「……ねえお姉ちゃん、あのニンゲン」
「ん、ディノスかい?……まあ、アタシも色々と疑問はあるんだが、あの顔は何度もレーヴェンの屋敷で見てたからまず変な事はしないんじゃないかねぇ?」
「ううん、そうじゃなくて……あのニンゲンね、モーゼスおじいちゃんとおなじふんいきがして」
「老魔族を思わせる、ねぇ……」
そう言われたアタシは、チラッとこちらへ向けて頭を下げたままの初老の使用人を振り返ると。
少しばかり頭を上げたディノスが、僅かに口角を上げて微笑を浮かべた顔に、背筋が冷たくなるのを感じたのだ。
多分、ユーノも気付いているだろう。
アタシらへの敵意のない気配があと二体ほど、ここまで乗り継いできた馬車から出てきたのを。
アタシはあの二人が一体どうなるのか、その身に降り掛かるであろう災難を気の毒に思いながら、ユーノと一緒に食卓へと戻るのだった。
────そして、海鴉亭。
「いや、遅くなったねぇ四人とも」
「エルザちゃんならぐっすりねてたよーっ」
魔力枯渇の回復のための眠りについていたエルザの様子を確認しに行く、という名目で席を立ち。襲撃を目的に迫っていた二体の刺客を撃退したアタシとユーノは。
息を整えて、何事もなかったように振る舞いながら自分らの席に着こうとするが。
「ん?……どうしたんだい、皆んな。アタシらの顔に何か付いてたりするのかい?」
こちらを見ていたレーヴェン親娘は笑いを堪えている様子だし、カサンドラは呆れた顔を浮かべていたのだ。
にもかかわらず、その原因を知る由のないアタシへと、同じく呆れ顔のファニーが口を開く。
「……アズリア、礼装服の裾。それに顔が汚れてる」
ファニーの指摘を受けて、アタシは初めて店外の荒事のために脚を出すため、捲り上げた礼装服の裾を直し忘れたことに気付く。
しかも、本当に顔に汚れが付着していたとは。
「アズリアは座ったままでいい。動かないで」
すると、ファニーが席を立って言われたままに着席したアタシに近寄ってくると。
本来は指を拭くために用意された、湿った布地を持ってアタシの頬に触れてくるのだった。
そこは、上空へと跳び上がり襲い掛かってきた男の爪撃をギリギリ躱した箇所だった。
「い、いや……ファニー、汚れてるのがわかったなら自分って顔くらい拭けるってえの?」
「いいから黙って」
布地が頬に触れると、ヒヤリとした感触とともに僅かだが沁みるような痛みが走る。
彼女も親切心で行ってくれている以上、強くは拒めないが。やはり皆の視線がある中で24歳であるアタシが自分より歳下に見えるファニーに顔を拭いて貰う光景というのは……どうにも気恥ずかしいモノではある。
だが、その顔を拭くファニー当人はというと。
顔を拭くだけにしては少々合点がいかない真剣な表情を浮かべながら、口元をボソボソと動かしながら何かを小声で呟いていた。
「傷を癒せ────癒しの一滴」
そして、アタシの頬に冷んやりとした感触。
これは────治癒魔法?
すると、先程まで布地が触れた際にピリピリと感じていた痛みを、一切感じることはなくなった。
「……これで傷は治療した。アズリアが外で何をしてきたか、それは後でゆっくりと聞かせて貰う」
そうアタシに告げるファニー。
彼女の台詞……そして表情と視線を見るに、心なしかアタシを睨み付けているようにも感じたのだった。
「癒しの一滴」
属性が付与された魔力を行使する一般魔法では数少ない水属性の、初級魔法の治癒魔法。
その効果は擦り傷や打撲痛を軽減する程度の効果しかなく、刃物により切り傷もごく浅い程度の傷しか塞ぐことは出来ない。




