83話 アズリア、変貌した男を捕縛する
だが、石壁に激突した男も、ユーノの強烈な一撃を受けて石畳に倒れていた男もゆっくりとした動作で起き上がろうとする。
足元がふらつく様子から、攻撃が全く効いていないわけではないらしいが。
右眼の魔術文字を発動させたとはいえ、ただの蹴りならばともかく。
アタシの足元で頭を石畳に埋めているのは、ユーノがあの状態になって繰り出した一撃にもかかわらず、だ。
「ちッ……回復が早すぎるよ、こっちだって色々と準備があるってのにさぁ……」
二体を同時に沈黙させるためには、二重発動を行使するしかないのだが。
指の傷が短剣で付けた時と比べ浅かったせいか、傷付けた側の手のひらに魔術文字を描くのに手間取ってしまう。
優れた魔術師の中には、詠唱や発動の予備動作を行いながらその集中を切らさずに動き回れる者もいるとは噂で聞くが。
残念ながらアタシは、一種類の魔術文字ならばともかく二重発動を動き回りながら行使出来る程の技術の熟練に達していない。
つまりは、魔術文字の発動が間に合わないのだ。
アタシは急いで、両手のひらの魔術文字を活性化させるため魔力を注ぎ込むが。
まだ魔術文字の詠唱とも言うべき、力ある言葉を口にする必要がある。
まだ準備が揃わなくて焦るアタシを、倒れていた男二体がすっかり立ち上がり。眼の黒い部分が消え、白眼のみになった目でギロリと睨んでくると。
再び両手に瘴気を纏わせ爪を伸ばし、向こうが先に攻撃準備を整えてしまった。
この時アタシは、隣にいたユーノへとボソリと小声で話し掛ける。
「……なあユーノ、少しだけ。少しだけでいいから、時間を稼いでは貰えないかい?」
本当ならば、アタシがこれからどんな魔術文字を行使し、あの男二体に対してどんな手を繰り出すのか。
言わば囮にするユーノには、それ相応の説明が必要だと思うのだが。
今のアタシにはこの程度の言葉しか余裕がなかった。
「うんっ、ボクがきっちりじかんをかせぐからねっ……あとはまかせたよお姉ちゃんっ!」
それでもユーノはアタシの提案を笑顔で引き受けてくれ、両腕に装着した黒鉄の籠手をガンガン!と打ち合わせながら。
まずは目の前にいた男を巨大な拳で殴り付け、盛大に真後ろへ吹き飛ばしていくと。
「ボクがいるかぎり、お姉ちゃんにはゆびいっぽんさわらせないんだからねっ!」
掛け声とともに、ユーノが装着した籠手が彼女の腕を軸にしてもの凄い速度で回転し始める。
ギュルギュル……と金属同士が擦れる摩擦音と風を切る音が混合した不気味な音が鳴り出したかと思うと。
その激しく回転する巨大な腕を振りかぶると、ユーノは地面を蹴って、もう一体の男の懐に潜り込み。
「くらえええっっ!────黒鉄の螺旋撃おおっ!」
回転する両拳を男の胴体へと押し当てると、そのまま背後にあった石壁へと男の身体を押し付けていくと。
背後の石壁に挟まれ、身動きが取れない状態でユーノの猛烈な勢いで回転する黒鉄の拳が、男の肉体を削り取っていく。
「グオオオオオオオオォォォォォォオ⁉︎」
身体を穿ち、まるで穴を開けられるかのように肉体を削り取られる激痛に、変貌して言葉を忘れたのか獣の断末魔のごとき絶叫を発する。
だが男の肉体は、爪を形成したのと同様に瘴気がユーノが削り取った部分から即座に再生していく。
「こ、これじゃ……きりがないよおっっ?」
鉄拳戦態になったユーノの馬鹿力で石壁に押し込んだことにより、男の身体は既に半分ほどめり込んでいた。
時間を稼ぐ、という目的ならばこれで充分に達成している筈なのだが。
目の前で自分が与えた傷が再生されるのを見て倒すことに躍起になってしまっていたユーノ。
「……我は正義を誓い、魔を喰らう者────tir 」
そんなユーノの背後で、力ある言葉を口にするアタシ。
彼女に時間を稼いで貰っていたアタシは、両手のひらへ刻んだ魔術文字を発動させる準備が……ようやく、整った。
だからアタシは、いまだ石壁にめり込んだままの男の相手をしているユーノへ声を上げる。
「……時間稼ぎありがとねユーノッ、後はアタシに任せなッ!」
それを聞いたユーノはハッと我に返り、激しく回転させていた両腕の籠手を停止させてその場を離れてくれた。
これで何かの間違いで、ユーノを巻き込んでしまう懸念もない。
アタシは両腕に刻んだ、軍神の加護の魔術文字。
魔王領に安置されていた「大地の宝珠」を守護し、魔力を封印していたその魔術文字を発動させる。
二本の魔を封じ、行動を束縛する魔鎖として。
「────魔を喰らう鎖」
コーデリア島での黒く変貌した女勇者ルーとの最終決戦の際にも、アタシはこの魔鎖を発動させたことがあったのだが。
この魔鎖は、偽りの神が発する瘴気のほとんどを封じ、魔王リュカオーンが放った絶対的な一撃を援護してみせたのは、アタシの記憶に新しい。
だからこの魔術文字を、この魔鎖を選んだのだ。
アタシの両腕から形成された、表面に数々の未知の術式や呪印が赤い光となって浮かんだ二本の漆黒の鎖は。
アタシの意思の通りに、二体の黒く変貌した男らへと、鎖の先端が連中を目標として捉え、一直線に向かっていき。
壁にめり込み、身動きの取れなかった男の両腕ごと胴体を束縛していく。
もう一方、最初にユーノの強烈な拳の一撃を受けて背後へと吹き飛ばされた男は、何とか鎖による束縛を避けようと回避行動を取るが。
アタシの視線で男を追い、その思考を読み取ってくれた魔鎖は、男の回避行動に対応して先端と鎖を動かしていき。
脚に先端が巻き付き動きを封じると、何重にも鎖が胴体に巻き付いていき、男を完全に捕縛する。
「グオォォオン⁉︎……グ、グオオォォォォ……!」
二体とも瘴気を身体に纏わせ、鎖を内側から引き千切ろうと力を込めるが。
身体から滲み出る瘴気を、次から次へと魔術文字で出来た魔鎖が吸い取っていたのだ。
力の根源である瘴気を「喰われ」てしまっては、連中も最早手詰まりだろう。
「……ふぅ、あの時に女勇者の動きを封じれたから上手くいくとは踏んでたけど、まさかこの魔術文字で作った鎖……瘴気を喰っちまうなんてねぇ、しかし──」
アタシは両腕から鎖を切り離し、連中を捕縛した状態を維持しながら。
こちらを笑顔のまま見ていたユーノへと声を掛ける。
「……アタシがどんな手を使うのか言わなかったのに、よく二つ返事で時間稼ぎを引き受けたねぇ?」
時間の余裕がなかったために、言葉足らずにユーノに囮役を任せてしまったのだったが。
それを問いただすと、ユーノはきょとんとした顔をしながら。
「……え?だってああいうときのお姉ちゃん、ぜったいどうにかしてくれるって、ボクしんじてるからっ」
ユーノの強固な信頼が込もった台詞は確かに嬉しい、嬉しいのだが。
そこまでの信頼を向けられたアタシは少し照れ臭くなって、彼女の真っ直ぐな視線から顔を逸らしてしまうのだった。




