80話 アズリア、白い葡萄酒で喉を潤す
アタシは提供された料理のあまりの美味に、椅子の背もたれに身体を預けながら、一度深く息を吐くと。
「ふぅ……いや、確かにレーヴェンが一番だと勧めてくれた店と料理だけあるよ。それにこの大海蝦、口にするのは初めてだったけど……まさかここまで美味いとはねぇ……」
まだ口の中に残る大海蝦の身の甘味と、香ばしく焼けた塩の風味が余韻となって、思わず笑みが溢れてしまう。
ふと横を見ると、ファニーは器用に小刀や三尖匙を使い、大海蝦を口に運んでいたが。食器を使い慣れてないようだったカサンドラは、甲殻から身の肉を剥がすのに悪戦苦闘していた。
ならば、食器を今まで使う習慣のないユーノはというと。
「ぷはあ──っ!……ねえお姉ちゃんっ!これっ……すっっっごくおいしいねっ!」
食事の作法など気にすることなく甲殻を手掴みで持ち上げながら、身の肉に嚙りついて大海蝦を味わっていた。
このように食べ方は三者それぞれのようだが。
感激のあまり声を上げるユーノだけでなく、二人の料理を味わう顔を見れば、その満足度を伺い知ることが出来た。
すると、給仕役の男性がこちらへと近寄ってくる足音を感じたので、食べ終わった皿を片付けてくれるのかと思ったが。
アタシの横から手が伸びると、目の前の食卓に銀杯が置かれ。続いてその杯に何かを注いでいく。
「ん、何だい今注いでくれたのは?」
「これは、大海蝦の余韻を洗い流し、次の料理をより美味しく味わってもらうための葡萄酒ですよ、お嬢様」
そう言われて杯の中身を見ると、葡萄酒の材料である葡萄の皮の色の付いていない、透き通る白い葡萄酒が並々と満たされていたのだ。
しかも銀杯を握ると、ひんやりとした感覚。
「……コレは、葡萄酒を冷やしてあるのかい?」
「はい。うちの店では料理や酒を冷やすために専用の魔術師を雇っているのですよ」
歓楽街の酒場などで提供される麦酒や葡萄酒などの酒は、樽から直接客へと出されるので生温い温度なのだが。
一部の料理店などでは、氷魔法を利用して酒を冷やして提供するところがあると聞いてはいた。
酒を冷やして飲んでも味がそれ程変わるモノなのか?という疑問は、確かに以前のアタシなら持っていただろう。
だが、シルバニア王国を旅立つ前にランドルらから手渡された、中身の冷たさを保つことの出来る水袋代わりの鉄筒。その効果で旅路の最中に飲む冷たい水の味を知ってしまった今のアタシは断言する。
水も酒も、冷やしたほうが断然に美味い、と。
だから、銀杯の表面に水滴が浮かぶほどに冷えた白い葡萄酒を、アタシは杯を傾けて一気に喉に流し込むと。
冷えた白い葡萄酒は、葡萄の皮の渋味が少なくすっきりとした風味と、控えめな酒精でまるで水のような感覚で飲めてしまう。
娼館の襲撃を終えてしばらく時間は経っていたが、まだ燻っていた身体の火照りがキリリと冷えた酒で鎮まり。
そして、あれだけ強烈な余韻として口中に居続けていた大海蝦の後味が綺麗に洗い流されていく。
アタシが次に提供される料理に期待し、思いを馳せて厨房へと視線を移すと。
その厨房から、先程冷えた白の葡萄酒を提供してくれた給仕役の男性が、困惑の表情でレーヴェンへと駆け寄り。
そっと小声で耳打ちをしていたのだ。
「────ということなのです、少々お時間を」
「そういう事情なら仕方ありませんね」
というやり取りの後、給仕役は深くレーヴェンと、そして客であるアタシらに二度頭を下げて、厨房へと戻っていった。
レイチェル他カサンドラら二人も、彼と給仕役がどのような会話をしていたのか、その内容を気にしていたのだが。
ちょうどその時。
アタシとユーノだけは、レーヴェンら四人とは全く別の懸念をしていたのだ。
「────ねえ、お姉ちゃん」
「ああ、わかってるよ」
大海蝦の美味と、冷えた白い葡萄酒の切れ味に酔いしれ、すっかり緩んでしまっていたアタシの口角が元に戻り。
眉間に皺を寄せて、店の入り口や天井へと視線を移しながら、時折り目を閉じてみたりしていた。
ユーノなどは寝かせていた獣耳をピン、と立てながら周囲の音を拾い集めている。
そんな奇妙な行動を取るアタシら二人をよそに、レーヴェンは白い葡萄酒の注がれた銀杯を少し口に含み、コクンと喉に流し込んだ後。
「……いや、どうやら厨房で手違いがあったらしくてな、次の料理の提供が少しばかり遅れると謝罪されたのだ」
「お父様、手違いとは?」
「それがどうやら詳しいことは教えてもらえなくてね、少し待つ事になりそうだよ、アズリア君」
どうも先程の給仕役は、料理の提供が何かしらの理由で遅れてしまうのをレーヴェンに報告と謝罪に来たのだった。
だが、レーヴェンやレイチェルの皿に盛られた、縦に割られた大海蝦の塩焼きはまだ甲殻に身を残し、次の料理の提供に若干の余裕を持たせている。
二人は自分らの食事の歩調ではなく、空腹でこの海鴉亭へと訪れたアタシらの食事の歩調に合わせてくれているのだ。
そんな気遣いを見せてくれるレーヴェンらだったが。
料理の提供に若干の余裕が出来たのなら、アタシらにとっても都合の良い話であったのだ。
レーヴェンの話を聞いたアタシとユーノは目配せをして合図を交わし。まずはユーノが理由をつけて離席する。
「はいはいっ!」
「ん、どうしたんだいユーノ君?」
「ボク、こんなおいしいものをエルザちゃんにもたべさせてあげたいからさ、すこしようすみてくるっ!」
「え?……い、いや、ユーノ君っ?ここから屋敷まで結構な距離があるのだが……」
「へーきへーきっ、じゃあちょっとみてくるねっ」
当然ながら離席を止めようとするレーヴェンだが、席を立ったユーノは着ていた礼装服の裾を捲り上げて、店の外へと走り去っていく。
突然の行動に口を開けたまま、呆気に取られていたレーヴェンに、アタシも席を立って彼の肩に手を置くと。
「なあ、レーヴェン……ユーノだけだとホントにアンタの屋敷に辿り着けるか心配だからさ。アタシもあの娘に着いてやろうと思うんだけど……構わないかい?」
レーヴェンは一度、店舗の奥にある厨房を伺うが、慌ただしく指示を飛ばす声が聞こえてくる様子から料理が今すぐ提供される気配がないのを見て。
「……それではお願いします、アズリア君」
「ああ、出来る限り早く戻ってくるよ……アタシだってこれだけ美味い料理だ、もっともっと食べたいからねぇ」
そう言って、アタシも動きにくい礼装服の裾を摘んで持ち上げ。
店の入り口から、外で待っている筈のユーノと合流するために駆け出していくのだった。




