79話 アズリア、海の恵みと美味を堪能する
さて、今アタシらとレーヴェン、そして彼の一人娘のレイチェルを乗せた馬車は、この街で一番美味しいとされる料理店へと向かっていた。
「しっかし……やっぱり鎧と違って生地が多い服は動きにくいねぇ」
「ははは、さすがに鎧を着たままで店に案内するわけにはいかないのでね。しかし、案外と似合うじゃないか」
その馬車の中、アタシはいつもの無骨なクロイツ鋼製の黒い鎧ではなく。
レーヴェンが用意してくれた、真っ赤な生地の礼装服をその全身に纏っていたのだ。
「その礼装服、とても良く似合っていますアズリアさんっ」
「あ、あはは、ありがとレイチェル」
「ねえねえっお姉ちゃんっ、ボクはボクは? にあってるかなっ?」
アタシとレーヴェンに挟まれるように座っていたレイチェルが、何とかアタシの身体に合わせた礼装服を褒める言葉を口にすると。
向かい側にカサンドラやファニーと一緒に座っていたユーノが張り合って、自分の礼装服姿を見せつけてきたので。
「ああ、ユーノもその礼装服似合ってる」
「……えへへっ」
そんなユーノの頭を優しく撫でてやりながら、彼女の礼装服姿も褒めてやると。
実に嬉しそうな満面の笑みを浮かべ、席に座り直すのであった。
そう、礼装服を着ているのはアタシだけではない。
ユーノもだし、カサンドラやファニー、エルザにも。レーヴェンはわざわざ礼装服を用意してくれたのだ。
はしゃぐユーノ以外は着慣れていない礼装服に戸惑いながら、カタカタと身体に響いていた馬車の揺れが止まる。
どうやら馬車が目的地である、レーヴェンが推薦する料理店へと到着したようだ。
──店の名前は海鴉亭。
慣れない礼装服に戸惑いながら、馬車から降りて周囲を見渡すと。歓楽街からは遠く離れた区画にある、普通の住民からは敷居の高い外観をした店舗となっていた。
「アズリア君。約束してから随分待たせてしまったが、料理長が腕を存分に奮った料理を堪能してくれよ?」
そう言ってレーヴェンは慣れた感じで、店の門戸を開けて店内へと、一人娘のレイチェルの次にアタシらを案内してくれる。
いくつか卓が用意されていたが、どうやらアタシらの他に客はいないようだ。
「……なあレーヴェン、それにしてもさ……この街で一番美味しいと評判の店にしちゃ、夜に誰も客がいないってのはさぁ……」
アタシは賑わう歓楽街や屋台を思い出し、夜という時間に夕食に利用する客が一人も見当たらない料理店が果たして本当に美味いのか?……という当然の疑問を抱いてしまうのだったが。
そのアタシの疑念を、笑いを堪えながら。
「いや、今夜は一人娘も一緒だからね。私たちだけの貸し切りにしてもらっているんだよ、アズリア君」
「ふぇ? か、貸し切り、かい……そりゃ」
それを聞いてアタシらは、レーヴェンの気遣いをありがたがるべきか、はたまた父親としての親馬鹿ぶりに呆れるべきなのか。
思わず考え込んでしまいながら、店の一番奥の席へと案内される。
すると、椅子に着席して間もないうちから給仕役の人間が料理の皿を運んでくるのだった。
さすがに提供が早すぎだと思ったのが顔に出ていたのだろう、レーヴェン……ではなくレイチェルがアタシに口添えしてくれた。
「多分お父様は、馬車で訪れるより前に今夜来店することを料理長に告げていたのだと思います」
それを聞いて、これだけ迅速な皿の提供にようやく合点がいった。
これも多分に、アタシらの空腹の度合いを見越して、身体に合う礼装服を支度していた間にレーヴェンが手配してくれていたのだろう。
そして、運ばれてくるその皿に盛られた料理から漂ってくる香ばしく食欲をそそる芳香は。
空腹のアタシらが、意図せず席から立ち上がってしまう程の威力を有していたのだ。
そしてアタシはその皿に盛られた料理を見て……ただ絶句する。
確かに目の前の皿には、海蝦や泥蟹に代表されるような硬い甲殻が二つに割られ。殻の内側にある白い身肉を覗かせていたが。
問題なのはその大きさだった。
「……な、なあ、これさ、もしかして?」
アタシが見たことのない食材に驚いていると、料理長ではなくレーヴェンがその大きな海蝦の説明を始める。
「ええ、これは大海蝦ですよ。モーベルム沖で漁れるのですが、これだけ大きな大海蝦ともなると。歓楽街の酒場では、中々調理出来る腕の料理人と竈門がないのですよ」
「へえ……旅の噂で海蝦より大きな個体がある、ってのは耳にしてたけどねぇ」
どうやら、短剣程度の大きさの大海蝦を頭から真っ二つに両断し、両面にうっすらと焦げ目がつく程度に焼いた料理に見えるのだが。
海蝦の場合、沸かした湯で茹でて色の変わった身を手掴みで、殻を剥いて食べるのが普通の食し方なのだ。
だが、この大海蝦の甲殻を食事用の小刀の先で触れてみると。海蝦の殻とは比べ物にならない硬さだった。
これでは到底、指で白い身から殻を引き剥がすわけにはいかない。
「なあ、この大海蝦ってどうやって食べたらイイのかねぇ……?」
甲殻に包まれた身をどう食したらよいのか困ったので、レーヴェンやレイチェルの様子を観察していると。
レーヴェンだけでなく、レイチェルまでもが小刀で甲殻を押さえながら、三尖匙で器用に白い身を剥がしていたので。
「へぇ……二人とも上手いモンだねぇ。それじゃアタシも……ん、い、意外とこいつぁ難しいね」
アタシも何とか二人のやり方を模倣し悪戦苦闘しながら、何とか甲殻から身を取り出して、ぷりっとした白い身を口に運ぶと。
「────ッ、う、美味……ッ」
直後、アタシはその美味に感動し、言葉を失う。
アタシも何度か酒場で海蝦を茹でたモノは食べたことがあるし、あのぷりぷりとした食感と口に広がる甘味と塩味は確かに美味いと思った。
だが、大海蝦の食感は想像していたぷりっとした歯応えではなく、焼いているからなのか噛むと白い身が口の中でほぐれていき。
舌先から口全体に、海蝦より数段濃い旨味と香ばしさ、そして甘味がじゅわっと広がっていく。
そして最後に、飲み込む時にカリッと噛み砕いた岩塩の粒から広がる絶妙に効いた塩味が、美味すぎて緩みきった口の中をキリッと引き締めていくのだ。
「それにコレ……頭の中身の黄色い部分が、身の甘さとはまた全然違うんだよッ、いや……下手したら頭のほうが身より美味いかもしれないねぇ……」
三尖匙でくり抜いた頭の中身、黄色くとろみのある部分を口にすると。瞬時にその身は溶けてなくなり、口全体に先程以上の旨味と若干の苦味と渋み、そして海の香りが広がっていく。
アタシは、ただ夢中で甲殻から白い身を剥がし、無口になりながら食べ続けていた。
すると、気が付いた時にはアタシの前の皿に盛られた、大海蝦の甲殻焼き。その中身を余す所なく、綺麗に平らげてしまっていたのだ。




