78話 アズリア、夕食会のお誘い
魔力の制御をユーノから教わり損ねたために、魔力が枯渇し倒れていたエルザはカサンドラが肩に担いでいた。
魔力枯渇は、アタシも何度か経験があるから対処法も既にお手のモノだ。エルザの様子ならば一晩ぐっすりと眠れば行動に支障ないくらいには回復するだろう。
そろそろ娼館を後にしようとしたアタシら五人に、領主のカスバルが騎乗した馬の上から声を掛けてくる。
「さて、お前たちはどうする?……これから特に要件がなければ、衛兵らに事情を説明してくれれば嬉しいのだがな」
「いや、そいつは遠慮しとくよ領主サマ。こっちも一人休息を急いで取らなきゃいけないのがいるし、レーヴェンにも報告しなきゃいけないからねぇ」
カスバルの冗談なのか本気なのか定かではない提案を、アタシはレーヴェンの名前を出して丁重に断ると。
「ははは、それもそうだな。ならば事の詳細は後でレーヴェンのやつから詳しく聞くことにしよう。奴の酒庫から何本か見繕いながら、な」
馬に乗ったカスバルは、こちらの返答に笑いながら馬の踵を返し、騎士らを連れてアタシらの前から立ち去っていく。
救出した獣人族もカスバルの保護下におかれ、今やアタシらが懸念するのはエルザを早く寝床に寝かせてやることと。
四人が同時に、空腹を知らせる合図を鳴らす。
「うう、腹減ったぁ……考えてみりゃこの街に着いてから、バタバタと動き回って碌なモノを食べてなかったからねぇ……」
中でも一番大きな腹の音を鳴らしたアタシが、少し前屈みな姿勢で腹をさすりながら、空腹を訴え始めると。
「アズリア、あたしらも同じようなもんさ。火山で軽く食事を取ってから、何にも食べてないからな……腹が減るのも当然か」
「ねえお姉ちゃんっ。ボク、なにかおいしいものたべたいよお」
「同感。大きな依頼を成功させたのだから、それに相応しい食事を摂りたい」
アタシが空腹を口にしたのをきっかけに、残る三人も口々にまともな食事をしていないのを愚痴り始める。
そこでアタシは思い出す。
先日、レーヴェンを襲撃していた海賊船から助け出した際に、港に到着したら素敵な食事を御馳走してくれる約束をしていたことを。
だが、その夜にカサンドラら三人を救出してからこの街の裏側で暗躍していた獣人売買に関わってしまい、あれよあれよと今日に至ってしまったのだが。
「よし、決めた。こうなったら……レーヴェンに何か美味い料理を食わせてもらおうじゃないかああッ!」
「ど、どうしたアズリアいきなり……?」
アタシはそう夜空に叫び、カサンドラが重荷にしていたエルザを受け取ると。
レーヴェンの屋敷へと向かう足を早めていく。
「そうと決まれば……急ぐよ、みんなッ!」
空腹感で足が中々進まない三人にアタシは笑顔で檄を飛ばしながら、カサンドラやファニーの背中を押して。
ようやく一行はレーヴェンの屋敷へと到着する。
使用人に案内され、まずは魔力枯渇で意識を失っているエルザをアタシが寝かされていた部屋に置き、残る四人が応接室へと通されると。
「アズリア君にユーノ君、いやまさかこんな短期間のうちに剣匠卿の打倒までやり遂げてしまうなんて……正直、驚いているよ」
娼館の襲撃が成功した報告を既に受けていたのか、待ち構えていたレーヴェンが笑顔でアタシら五人を出迎えてくれたのだった。
まさかこの直前に彼が、アーラロッソと面談してルビーノ商会が握っていた権利を、数々の違法行為を告発しない見返りに譲渡させる契約を結んでいたとは知る由もなく。
「それで……レーヴェンにお願いがあるんだけどさ……あ」
────ぐううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……
彼に今のアタシらの窮状を説明する前に、身体が我慢出来なかったのか腹を鳴らしてレーヴェンへと空腹の具合を伝えてしまう。
盛大に響くアタシの腹の音を聞いて、思わず吹き出してしまい笑い出すレーヴェン。
「は……ははははっ!……い、いや、剣匠卿を倒すだけの実力者も、人並みにお腹を空かせるのかと思うと、笑いが止まらなくてね……ぷ、くくくっ……」
腹を抱え大笑いするレーヴェンに釣られて、同じく空腹であるはずのユーノやカサンドラ、ファニーらも笑い出す。
よく見ると、入り口に控えていた高齢の使用人すら口元を押さえて笑いを堪えていた。
大概のことなら知らぬ振りが出来るアタシも、さすがに腹を鳴らしただけで笑われてしまう状況に頬が熱くなり、腕を組み顔をあらぬ方へと向ける。
少しばかり不機嫌になるのは仕方ないだろう。
「はは、すまんすまんアズリア君。お詫びと言ってはなんだが、今夜これから私が知っている限りこの街で一番美味しい料理を提供してくれる店へ案内するよ」
笑いすぎて不機嫌になったアタシを見て、悪いと思ったのかレーヴェンから食事の誘いを切り出されると。
この街で一番、という言葉に頭よりも先に空腹なお腹が反応してしまい、顔が少し緩んでしまう。
「もちろんユーノ君や君たち二人も一緒だし、代金はすべて私が持とう」
しかもアタシの相棒であるユーノが一緒なのは当然だとしても、カサンドラとファニーの二人まで同席させて貰えるとは思わなかったのだ。
「え……あたしたちも一緒でいいんですか?……い、いや、あたしらはアズリアに勝手に着いていくのをお願いしたぐらいだし……」
「いや、君たちも立派な炎蜥蜴を討伐して、商会専属の冒険者になったんだ。契約金のついでにご馳走させてくれ」
驚いたカサンドラがレーヴェンに本当かどうかを訊ねると、彼はさらに信じられない言葉を口にしていく。
それは、一度は彼女らが契約を断ったグラナード商会専属の冒険者の立場であった。
「……その話は襲撃に参加する理由で断ったはず。不本意ながらも」
そう、元来ならばこの街の有力な組織であるレーヴェン率いるグラナード商会が自分らの支援に回る契約は、仕事や身の安全の保証などない冒険者にとって喉から手が出る程に欲しい立場なのだが。
直後に控えていたルビーノ商会の息のかかった娼館を襲撃し、囚われの獣人を救出する以上、専属契約を結んだ自分らが衛兵に拘束されてしまえばレーヴェンに迷惑がかかるのを危惧し。
その契約を一度は断ったカサンドラらだったが。
「さて、私は君たちが契約を結んでくれたものだと記憶しているのだけどね。それとも……私の記憶が間違っているのかな?……ん?」
レーヴェンは、一度は断った契約を持ち出され困惑する二人に向けて片目を閉じて、にこやかに笑いかけていく。
「え?え?……ちょ、ファニー、どういうことかあたしにもわかるよう説明してくれよっ?」
「ん、そういうこと……なら、よろしくお願いする」
彼の微笑みの意図、それを勘の鋭いファニーはいち早く読み取って、まだ困惑するカサンドラを放置し、彼の申し出を今度こそ承諾するのだった。




