76話 レーヴェン、赤の商会長と会談す
────場所は変わり。
ルビーノ商会長アーラロッソの屋敷。
その応接室はレーヴェンの屋敷の部屋とは違い、過度に華美な装飾が施された調度品に囲まれ、ルビーノ商会の勢いを表しているようたが。
部屋の中には、赤い礼装服と宝石を散りばめた首飾りや腕輪を身に纏った年配の女性……ルビーノ商会長アーラロッソと、その対面にはレーヴェン。
二人が静かに笑みを浮かべながらも、互いの眼は笑っておらず相手を警戒していたのだが。
その沈黙を破ったのはアーラロッソだった。
「……珍しいじゃない。グラナード商会長ともあろうものが私に会いに来るなんて。で?……話がある、というのだからわざわざ忙しい中席を設けたのだけど」
彼女は、用意した二つの銀の杯にホルハイム産の希少価値の高い貴腐葡萄と呼ばれるカビが生え乾燥、甘味が凝縮した葡萄で作る黄金色の葡萄酒である「貴腐葡萄酒」を注ぎ入れ。
一方の杯をレーヴェンの前に置き、もう一方の銀杯を持ち上げ、簡易的な乾杯の動作をしてから口に運ぶ。
「どうしたの?……ふふ、いくら商売敵とはいえ、酒に毒など混ぜないわよ」
「いや、遠慮しておくよ。これから真面目な話をするのに酒を入れるのはどうかと思うのでね」
だがレーヴェンは、差し出された銀杯に一切触れずに彼女が言うように商売敵の屋敷にわざわざ来訪した、その目的を済ませるために口を開く。
「さて、時間が惜しいので……回りくどいことは抜きだ。アーラロッソさん、貴女に問いたいのは後ろ盾だったあの剣匠卿を名乗る男のことだ」
レーヴェンが「剣匠卿」という言葉を口にした途端、今まで余裕さえ見られたアーラロッソの顔が一瞬だけ、強張る。
「あら?……グラナード商会では国の密偵組織がするようなことまで商売の手を広げているのね?」
その動揺を商売敵に悟られまいと冷静を装いながら、明確な否定こそしないが肯定もしない。
質問を煙に巻く返答をするアーラロッソだが。
「……で、それがどうしたの?」
「アーラロッソさん。あの剣匠卿は、一体誰から称号を与えられたのか……貴女は当然ながらご存知ですよね?」
レーヴェンの問いに、答えを持たないアーラロッソは誤魔化すために、銀杯に黄金の葡萄酒を注いで杯を傾ける。
剣匠卿とは、一国の最高権力者である国王や皇帝、そして大地母神イスマリアや月神ヴァルナなどの五柱神を祀る大教会の教皇のみが。最強の戦士としてただ一人のみを認定出来る称号なのだが。
アーラロッソは、その称号が与える影響力のみに目が眩み、剣匠卿を名乗る男の素性までは深く追及していなかったのだ。
そんなアーラロッソの態度を見て、彼女がどの国家や教会から認定された剣匠卿なのかを知らない、と確信したレーヴェンは。
わざとらしく、一つ深い溜め息を溢しながら。
「……扱う品の素性や由来を調べておくのは、商売をする人間として基本中の基本ですよ、アーラロッソさん」
そう言いながらレーヴェンは、アズリアから預かっていた二つの物体を、酒を飲むことで誤魔化そうとしていたアーラロッソへと見せる。
それは。
何者かの切断された腕と、折れた剣の柄だった。
「……そ、それはっ⁉︎」
二人を隔てる卓上に置かれた腕と剣の残骸を目にしたアーラロッソが激しく動揺し、驚いた声をあげるとともに持っていた銀杯を床へと落とす。
杯から溢れる黄金の液体が、部屋に敷かれていた絨毯へと染みを広げていく。
……何故ならば、彼女にはその腕と武器には見覚えがあったからだ。
何度も顔を合わせ、慇懃無礼な態度で大きな失敗をした部下の冒険者らを始末していた剣匠卿イングリッドの氷の魔剣と、それを振るう腕。
その腕が切断され、魔剣が破壊されたということは、あの男が何者に敗北し、再起不能にされたという何よりの証拠だった。
そして、彼の敗北がアーラロッソに伝わる前にレーヴェンがその証拠を突き付けてきたということは。
剣匠卿を討ち倒したのが何を隠そう、グラナード商会側の人間なのは間違いなかった。
「アーラロッソさん。剣匠卿は、敗北したらその称号を剥奪されるという絶対の掟は当然ながらご存知かと。ならば……その二つが何を意味するのか、聡明な貴女なら理解出来るとは思いますが」
「だ、だがっ!……それはあくまで称号を賭けた正式な立会人がいる決闘の場合であり、そうでない場合は────はっ?」
続くレーヴェンの言葉に、もはやアーラロッソは剣匠卿が商会と関与していることを隠す素振りも見せず、大声を上げて彼に反論するが。
彼女はその途中で気付いてしまうのだった。
商売敵が先程から彼女に問い掛けていた質問の、その真意を。
「……ようやく分かってくれましたか、私が何を言いたかったのかを」
それは、アズリアがレーヴェンに「気になること」として漏らしていた一つの疑念。
アーラロッソの前に現れた剣匠卿を名乗る男が、ただ名を騙っただけの偽物である可能性だった。
いくら何でもこの街で勢力を二分する商売敵といえど、本物の剣匠卿に勝利するような猛者もしくは実力者を都合良く、しかもアーラロッソの情報網に引っ掛からずに登用出来るわけがない。
なので、もしその可能性が真実であれば。
国王や教皇の尊厳を汚し、踏みにじるのに等しい剣匠卿の称号の詐称は問答無用で重罪だ。
当然ながら詐称した当人だけでなく、その名声を利用していた人間もその罪が及ぶ可能性は限りなく高い。
つまりはアーラロッソが罪に問われ、下手をすれば処刑台に登らされてしまうかもしれないのだ。
……レーヴェンのこれからの行動次第で。
それを自覚した途端にアーラロッソは、恐怖で身体の震えが止まらずに腕を抱え、歯をカチカチと鳴らしながら。
「……わ、私と、こ、このしょ、商会を、つ、潰すつ、つもり……?」
「勘違いしないで欲しいのですが。私はこの事を表沙汰にしようというわけではないのです、ただ……」
「……た、ただ?」
レーヴェンがこの事実を公表しない、と聞いて少しばかり安堵し身体の震えが止まったアーラロッソだったが。
そんな彼女の緩んだ心を見透かしたように、レーヴェンの鋭い眼光が彼女の瞳と心を貫く。
「……獣人売買から手を引いて貰いたい。これが私が貴女に望む最低条件だ」
アーラロッソは愕然とする。
そもそも、この国では主力である海運業に手を出さないルビーノ商会がここまで短期間で大きな勢力を持つに至ったのかと言えば。
剣匠卿の名声と、獣人売買の顧客である王国貴族らの資金援助があったからだ。
レーヴェンが提示してきた条件とは、剣匠卿という後ろ盾を恒久的に失ったアーラロッソの再起の芽を完全に摘むに等しい内容であった。
ここで彼の提案を突っぱねるか。
それとも観念して首を縦に振るか。
アーラロッソが決断しかねずに黙っていると。
「あ、ちなみに貴女が経営している歓楽街の大きな娼館ですが、ちょうど先程……仲間を取り返しに獣人族の冒険者が襲撃されてると報告が入りましたよ」
「……は?」
「今頃、歓楽街では大きな騒ぎになっている頃でしょうね」
まずい……まずいまずいまずいまずい。
レーヴェンが言っている娼館、その地下区画には王国貴族に売り渡すための獣人族が監禁してあるのだ。
地下区画への入り口は隠し扉になっているため、そう簡単に見つかるものではないが、騒ぎになり領主のカスバルが動いてもし監禁された獣人が発見されたりでもしたら、さすがに言い逃れが出来なくなる。
「今ならまだ私も貴女の力になってあげられますが……さて、首を縦に振るか。それとも……少ない可能性に賭けて私と徹底抗戦するのか、どちらを選択しますか?」
そう言いながら、レーヴェンが彼女の前に差し出した羊皮紙には、様々な条件と誓約が記入されていた。
後は、アーラロッソの名前を記すだけ。
きっと今、彼女には目の前の温和そうな男が悪魔にしか見えなかっただろう。
アーラロッソは一度だけ、商売敵の顔を憎しみを込めてキッと睨みつける。
彼女にはもう、羊皮紙に記入する以外の選択肢が残されていないのを、誰よりもアーラロッソ本人が痛い程理解していたから。
アーラロッソは自分の名を羊皮紙に書き込んでいく。
歯軋りと一緒に。




