74話 ユーノら、元締めに拳を叩き込む
二階に駆け上がったユーノは頭の獣耳を立て、その鋭敏な感覚でこの階層にいる人間の気配を察知していく。
すると、そこら辺に感じる気配よりも一際強い存在感を放つ人間、それを奥の扉の向こう側から感じたのだ。
しかもその周囲には10を超える人の気配も。
「くんくん……あそこだねっ!」
何故か、気配を察知するのに頭の獣耳だけでなく、鼻をひくひくと動かしているのは。
ユーノが周囲の気配を感じ取るのには、音以外にも無意識に様々な要素を必要としているからなのだが。
ともかくユーノは他の部屋を無視して、奥の扉の前にまで駆け抜けると。
「せえっ────のおっっ!」
立ち止まることなく拳を振りかぶると、エルザ以上に小柄な体格からは信じられない威力の一撃を扉へと放ち。
砕け散った木製の扉の破片が、部屋の内側へと飛散し、運悪くその破片が頭に直撃した部屋の中に待機していた男二人ほどが倒れてしまう。
部屋に入ってきたユーノと、倒れた仲間を交互に見やる焦りの顔色を浮かべる中。
一人。強い気配を発していた禿頭の大男、ルビーノ商会が雇う冒険者らを仕切っている男・ドレイクだけは、冷静な表情でユーノを睨みながら、口を開く。
「……やはり来たか、獅子人族の冒険者。確保に失敗しどうしようかと途方に暮れていたが……まさかそちらから来てくれるとはな」
「うん?……え、かくほ、ボクを?」
ドレイクはアーラロッソ商会長の命令により、カサンドラら三人の脱走の穴を埋めるために、偶然この街に訪れたユーノを捕縛する算段をつけ。
確かな実力がある、と推薦されたアズリアとかいう女傭兵を雇い、偽情報で騙してユーノの確保に向かわせたのだ。
女傭兵が失敗した場合や、もし道中に偽情報だと勘付かれた時のために、アーラロッソの屋敷で世話になっていた剣匠卿にわざわざ御足労願い、ユーノの確保は確実……とドレイクは考えていたのだが。
その目論見は脆くも崩れ去る。
その女傭兵も剣匠卿も帰還しなかったからだ。
アーラロッソの話では、相手側の貴族が希少な獅子人族であるユーノを「商品」として取引するのは明日の約束だ。
切迫詰まったドレイクは、多少無茶をしてでもユーノを誘拐するために商会で雇った冒険者を集めて襲撃計画を立てていた最中だったのだ。
「……さて、剣匠卿様の気紛れにも困ったモノだ。アズリアとかいう女傭兵を倒したとはいえ、剣匠卿様なら問題なく確保出来ただろうに」
「え……ボクがアズリアお姉ちゃんをたおす?……なんで?」
ドレイクが話している内容の意味が理解出来ずに、首を横に傾げるユーノ。
当然だろう、ドレイクはアズリアを商会に雇われたこちら側の人間だと思っているのだから。
「……獅子人族よ、あの女傭兵はお前を誘拐するために送り込んだ刺客だったのだぞ?」
「んーでも、いまこのばしょにつかまってるボクらのナカマをたすけだしてるのも、アズリアお姉ちゃんだよ?」
「……なん……だ、と⁉︎」
万全の計画を立てていながらユーノの誘拐に失敗したことに違和感を覚えずにはいないドレイクだったが。
ユーノの台詞を聞いて、ようやく彼は「アズリアという人間」が商会の味方などではなく、カサンドラら三人を脱走させたのが彼女の仕業であり。
最初から商会を裏切る気でこちらへと接近してきたのだ、と認識出来た。
「……た、確かにそんな実力者を我々ルビーノ商会が把握していないのはおかしいと思っていたが。ま、まさか……領主の密偵?」
ドレイクのアズリアの正体を推測する呟きのその内容に、部屋に待機していた冒険者らか激しく動揺を見せる。
ドレイクの話が本当ならば、少なくともこの拠点にいる連中は、ユーノの誘拐計画……つまりは獣人売買の事実を知り、その違法な企みに手を貸しているということになる。
そこに「領主の密偵」の存在が見え隠れするなら今まで商会に守られてきた自分らの立場も危ういからだ。
「……だ、だがっ!……獅子人族よ、お前をここで捕らえてしまえばまだどうにでもなる!」
ドレイクも覚悟を決めたのか、黒い籠手を両腕に装着した状態で立ち上がる。
「……で、出たぞ『鋼の拳』と呼ばれたドレイクさんの本気が……」
「あ、ああ……巨大な飛竜と一騎討ちで互角に渡り合ったって伝説の黒鉄の拳がこの目で見れるぜ……」
元は凄腕の冒険者だったドレイクが復帰し、最前線に立つことに周囲の連中がにわかに騒めき出す。
「……おいお前ら。騒ついてないで出口を塞げ。俺の邪魔をしないよう、遠巻きに援護してこの獅子人族を捕縛するぞ!」
そんな連中を厳しい口調で叱咤し、あらためてユーノを包囲するドレイクの命令で。
慌てて武器を構えた八人の冒険者らが、ユーノの背後に回り込んで部屋の出入り口を塞いでいく。
一対九、という圧倒的な数的不利ながら。
ユーノは先程からずっと笑っていた。
「……その余裕ぶった表情をするのも今のうちだぞ獅子人族」
「よゆう?……ちがうよ、ボクようやくぶんなぐるあいてがみつかってうれしいんだよっ」
その笑顔は、ドレイクらの戦力を過小評価し侮っているわけではなく、ようやくこれでカサンドラら三人を酷い目に遭わせた張本人へと自分の拳を叩き込める喜びからだった。
「それじゃ、いく────よっっ!」
ユーノの初動はまるで音を立てることなく、凄い速度で最初から殴ると決めていたドレイク目掛け、気が付けば彼の眼前に迫りその拳を振るう。
「……な?……は、速いっ、だ、だがっ!」
周囲の冒険者が呆気に取られ身動き一つ取れない中、ドレイクだけは他の連中とは違い、何とかユーノの攻撃に反応し。
彼女の拳を防御するために、瞬時に籠手で覆った両腕を交差させ、攻撃を受け止めるが。
次の瞬間。
ドレイクの両腕に装着されていた黒鉄の籠手、その両方ともが鈍い破砕音とともに砕け散ったのだ。
まるで最初に吹き飛ばした木の扉のように。
「……ば、馬鹿なっ……長年使って一度も壊れたことのなかったオレの籠手が……だとおっっ?」
ドレイクはこの国でも有名な冒険者であり拳闘士だ。
その彼が愛用してきた籠手を今日持ち出してきたのは、女傭兵どころかもしかしたら剣匠卿すら退けた可能性があったからだが。
「ほらぁっ、ぼやぼやしてないでもういっぱついっくよおお────うりゃああああっ!」
その籠手が目の前で破壊され、信じられないといった表情を浮かべるドレイクの両腕目掛けて。
ユーノは間髪入れず、二撃目の拳を繰り出していくと。
部屋に、鈍く何かがへし折れる音が響き渡った。




