59話 アズリア、剣匠卿の提案を蹴る
────剣匠卿。
ルビーノ商会が商売敵であるグラナード商会、そして領主に獣人売買の疑惑を持たれながらも、素知らぬ顔でこの街で商売を続けられているのもこの剣匠卿の存在が極めて大きい、と言える。
だからアタシは、どうやってその剣匠卿とやらを表舞台に引っ張り出すかを考え、まずは冒険者の元締め役のドレイク辺りを徹底的に打ちのめせば姿を見せるかと思っていたが。
……まさか、レーヴェンの話ではアタシが壊滅させたのはこの国で悪名を響かせていた海賊だったようだが、それを倒したと聞いただけで表舞台へと出てきてくれるとは。
どうやら件の男は、アタシが考えていたよりも交戦的だったようだ。
だが、剣匠卿が予想外の行動に出てくれたことは、アタシにとって実に都合が良かったのだ。
「ははっ、殺されるのは嫌だねぇ」
「ね、姐さんっ、こ、ここは素直に従っておいたほうがいいっ、る、ルビーノ商会だけじゃなく、この国を敵に回したくなかったらっ……」
突然の剣匠卿の登場に、本来は味方が現れたことで息巻くはずのザイオンらは、アタシへ首を縦に振るように勧めてくるが。
それは、こちらを脅迫する雰囲気というより、剣匠卿に怯えているという感じだった。
「おお怖い、この街で領主を超えた勢力って噂されてるルビーノ商会を敵に回すなんて真似、怖くて出来ないねぇ」
「────なら、我々に手を貸せ、おん……」
と、アタシは剣匠卿の言葉を途中で遮り、背中の幅広剣を抜き放つ。
「だけどねぇ……アタシの直感が告げてるのさ、アンタみたいに殺意を撒き散らすような人間と手を組んじゃいけない……ッてねぇ!」
こちらへと透き通る材質で出来た大剣を向ける剣匠卿へ、同じように片腕で切先を向けていく。
そんなアタシを見て、剣匠卿は嬉しそうに口端を歪めてニヤリと笑い。
「────交渉決裂、というわけか。ならば女、我が魔剣の血錆となるがいい」
「ははっ、アタシがどちらを選ぼうが、最初からここで斬り掛かる気だった癖によく言うよッ……でなきゃわざわざこんな場所まで隠れて後ろから尾けてこないしねぇ」
「「……えっ?」」
アタシの指摘を聞いて、多分ドレイクから監視役を命令されたザイオンとベルンガーの二人が揃えて声を上げ、味方である剣匠卿へと視線を投げる。
その反応を愉しむかのような笑顔を浮かべる長髪の男。
「────そこまで気付いてたとはな。ならば生命惜しさにとっとと逃げ出せばよかったものを、馬鹿な女だ」
「……はっ、もしアタシが逃げ出したらアンタはこの二人も、ユーノやカサンドラたちまで手に掛けるだろ?」
アタシがそう言って、背後にいる男二人へとチラッと視線を移すと。
ようやく男二人も、目の前にいる剣匠卿が自分たちの応援や監視に来たわけではなかった事実を飲み込み、慌ててこの場を離れて岩陰に身を隠していく。
「────女。それを知ってなお、連中や獣人らの身代わりにでもなったつもりか?」
「身代わり?……くっくっく、違うね」
「────何がおかしい?」
剣匠卿のこちらを嘲るような言葉に、アタシが堪え切れずに笑い出してしまう。
そんなアタシの態度がどうやら気分を害したようで、浮かべていた笑顔を崩し眉間に皺を寄せ、不機嫌な顔になる剣匠卿。
「いや、アンタはアタシがこの場で倒すから何も問題ない、って言ってるんだよ」
「────面白い。勝利を口にするのは簡単だが、現実はそう甘くないぞ、女」
「御託はいい、かかって来なよ剣匠卿」
アタシと剣匠卿。
互いが目の前の相手へと放つ殺意が、周囲の空気を張り詰めたものに変えていく。
そして、互いに得物である剣を構えたまま、距離を詰めるためにアタシは無造作に歩み寄っていき。
アタシが構えるクロイツ鋼製の幅広の大剣と、剣匠卿が持つ透明な刀身の大剣、その切先が触れそうになる距離にまでアタシが間を詰めたその時。
先に動いたのは剣匠卿側だった。
「────まずは小手調べだ。久々の実戦だ、それで終わってくれるなよ」
こちらへと突き出した切先を一度引くと、両手で握り直し、アタシを斬り伏せようと横薙ぎの虚撃を挟んだ鋭い剣閃を二度放つ。
いや、最初の一振りは虚撃などではなく。
空気を切り裂き、その剣勢で生み出した風の刃がアタシの真横から襲い掛かってきたのだ。
「……小手調べ、ねぇ……」
確かに風の刃は普通ならば目には見えない脅威にはなるだろうし、透明な刀身から繰り出される一撃も察知するのは困難だろう。
だが、アタシには魔王領で「剣鬼」と呼ばれたろう老魔族から学んだ気配を察知する術がある。
だからアタシは僅かばかり後ろに下がり、大剣を下から振り上げて、迫り来る風の刃ごと剣匠卿が放つ剣を打上げ────弾く。
握った大剣ごと腕を跳ね上げられ、ガラ空きになった剣匠卿の胴体に。
相手の大剣を弾いたアタシが、今度は牽制程度の一撃を放っていく。
アタシの大剣を躱すため、剣匠卿は背後に大きく飛び退き、一度仕切り直しをするために間合いを離していくが。
牽制とはいえ、殺意を込めて放った攻撃だ。それを避けるために体勢を崩してしまっていた。
「────ちいっ!い、一度距離を……っ」
だが、アタシは敢えて追撃はせずに。
握った大剣を一度肩に担いでみせ、剣匠卿が体勢を整えるのを待っていたのだ。
慌てて体勢を整える過程で、先程までの大物ぶった余裕を失った剣匠卿の顔を見ながら、アタシはこう言ってやったのだ。
「……あのさぁ、剣匠卿さん。もう少し本気で向かって来てくれねぇと、アタシが退屈するんだよねぇ」
その言葉を聞いて、本来ならば見下す立場のはずの剣匠卿が悔しさからなのだろう。
歯軋りをしながら、こちらを睨んでいたのだった。




