41話 アズリア、剣匠卿の名を聞いて
アタシも長い旅の途中で様々な人の噂から耳にしたその言葉────それが、剣匠卿。
それは、胸に誇りを抱き剣を振るう騎士ならば誰もが憧れ、その名を背負いたいと願う、一国の王と五大教の教皇が唯一人だけ任命することが出来る最強の称号。
剣匠卿の名を冠する戦士は、その強さと栄誉と引き換えに、一切の敗北を許されない。
もし剣匠卿が戦いに敗けた場合、その者は誇り高き称号を二度と名乗ることは許されない、という暗黙の了解がある。
ホルハイムの現国王であるイオニウス王も、かつては剣匠卿の称号を継承した優れた剣士でもあった、と記録に残っている。
「……はは、そりゃ確かに剣匠卿が睨みを利かせてるなら、レーヴェンも領主さまも迂闊にゃ手を出せないわけだ」
相当の権力者か、腕の立つ実力者のどちらかを想定していたが。
まさかルビーノ商会の背後にいる人物が、その両方を持ち合わせた相手だったとは。
「……ま、まあ、そういう事だ。いくら先程の獣人の少女と二人で海竜団を壊滅させた腕前だとはいえ、海賊を相手にするのとは訳が違うのだ、だから──」
そんなアタシの台詞を聞いて、こちらが弱腰になったと思い込んだ領主のカスバルは、アタシが下手に動かないよう牽制の言葉を続ける。
どうやら、口では獣人売買を追い出したがっている素振りを見せてはいたが、やはり剣匠卿という立場の人間を刺激して大事になるのは避けたいようだ。
だが、それは逆効果だ。
少なくともアタシにとっては。
「……はは、剣匠卿か、面白ぇ」
アタシの口から小声ながらも自然と漏れ出したのは、嘘偽りのないアタシの本心だった。
1等冒険者、火の魔獣に高位の魔族や吸血鬼、ドライゼル帝国の焔将軍、果ては異貌の神まで相手にしてきたアタシだ。
形式張った剣の型などや騎士団長などの地位には興味はないが、ただひたすら勝利を掴み取るための実戦的な剣の腕前ならば話は別だ。
剣匠卿、相手に取って不足無し。
アタシが笑いを堪えるために咄嗟に口を手で塞いだものの、音が漏れるのを手のひらでは止めようがなかったため。
「……ぷっ、く、くっくっく……はははッ」
漏れ出した笑い声はカスバルやレーヴェン、それにユーノやカサンドラたち三人組の耳に入ることとなり。
「おいアズリアどうしたっ……頭は大丈夫か?」
「な、何がそんなにおかしいのかね?それとも、剣匠卿と聞いて気がおかしくなりでもしたのかねっ?」
カサンドラやカスバルは、突然笑い出したアタシを見て心配そうな視線を向けてくるのだが。
一人違う反応を示したのはレーヴェンだった。
「ま、まさかアズリア君?……君はもしかして」
どうやらこの中で彼だけは、アタシが何故笑い出したのか……その意図を読み取ってくれたらしい。
「ああ、ルビーノ商会に探りを入れるアタシの行動は変わらない。もしそれで剣匠卿とやらが邪魔してくるようなら……」
いや、「彼だけは」の部分は訂正しよう。
もう一人、アタシの意図を見抜いていた人物がこの部屋にはいたのだから。
「けんしょ……なんとかってやつがどんなにつよくても、お姉ちゃんがぶったおしちゃうんだからっ!……ねっ、アズリアお姉ちゃんっ?」
もちろん、それはユーノのことだ。
そんなユーノが勇ましく、アタシが話すべき内容を代弁し答えてくれたのだ。
だからアタシはユーノと握り拳を打ち合わせながら、皆に聞こえるように決意を語る。
「アタシが剣匠卿を討ち倒すよ」
────剣匠卿を倒す。
言葉にするは容易いが、実現するのは至難の業だ。
過去、幾度となくその称号がもたらす名誉と名声を求めて、剣匠卿に挑んでいった者たちがいたが。
文献に残っている記録の限りでは、剣匠卿がその名を賭けて挑んだ百戦を超える公式の決闘で敗北したのは、ただ三度しかない。
今、アタシが口にした言葉の意味とは。
それ程に重いのだ。
「ば、馬鹿なっ!無謀にも程があるっ……もし、それで敗れでもして怒りの矛先がこちらに向けば、獣人売買どころの話ではなくなってしまう!」
確か、屋台の主人から聞いた話では。
この街の勢力図は、レーヴェンが代表のグラナード商会と、領主カスバル、そして今ちょうど話題に上がっているルビーノ商会の三つによって均衡が取れた状況なのだという。
なので、これからアタシが獣人売買の調査をするためにルビーノ商会に探りを入れるという行為は、三つの勢力による均衡を崩すことになるというわけだ。
誰だって、権力なり財なり今持っているものを手離したくはないだろう。だからアタシは、保身に走るカスバルの態度を寧ろ当然のように見ていた。
……だが、アタシとて危険を冒すのだ。
カスバルがアタシとルビーノ商会、どちらにも味方しないのならそれは構わないのだが。
一番困るのは、土壇場になってカスバルが剣匠卿という存在を恐れる余り、アタシを裏切り、ルビーノ商会と手を結んでしまうことだ。
アタシは、チラッとレーヴェンの顔色を伺う。
ルビーノ商会とカスバルが手を組まれて困るのは、グラナード商会を率いる彼とて同じ立場だろうからだ。
アタシと目が合った彼は、やれやれ……といった感じで深い溜め息を一つ吐き出すと。
興奮冷めやらぬカスバルの肩に手を置いて、話を切り出すのだった。
「それではカスバル、ここにいるアズリア君が剣匠卿を倒したら、彼女を全面的に支持するというのはどうでしょうか?」
あくまでアタシが剣匠卿に勝利したら、という条件付きではあるものの。
アタシが一番懸念していた部分を、まるでアタシの心の中を読み取ったかのようにカスバルに妥協と協力を迫るレーヴェン。
その彼の顔は、打算高い貿易商のモノになっていたに違いない。
「……ぐっ、ま、まあ、彼女が本当に剣匠卿に勝てたのなら私も恐れるモノはないっ。その時は喜んで協力すると約束しようではないかっ」
穏やかな口調ながら凄味を利かせた交渉に、カスバルは二つ返事で了承すると。
「……その言葉、二言はありませんね?」
レーヴェンがパチン!と指を鳴らすのを合図に、執事服を着た男性が草紙よりも高価な羊皮紙と筆とインクを用意し始める。
「……こ、これは一体何の真似だ、レーヴェン?」
「いえ、私も商人の端くれである以上、口約束よりも正当な書面で残しておきたいのですよ?」




