37話 アズリア、船内にて朝を迎える
アタシは一つ、咳払いをしてから口を開いて。
「あー……それじゃ今さらになるけどねぇ、アタシはアズリア。何かアンタらは勘違いしてるみたいだけど……アタシは治癒術師なんかじゃなく、ただの流れの傭兵崩れだ」
続けて、ユーノが片手を上げて立ち上がると。
「はいはーいっ、つぎはボクのばんっ!……えーっと、ボクはユーノっ。アズリアお姉ちゃんといっしょにうみをわたってたいりくをみにきたんだっ!」
言葉通り本当に今さらながら、酒の席を囲んだカサンドラとファニーの二人に、アタシとユーノが簡単な自己紹介をしていく。
もちろん、アタシが治癒術師だという誤解もこの場でしっかりと否定しておくし、ユーノが西の魔王リュカオーンの妹だという事実もここでは伏せてもらっていた。
治癒魔法が使えるならどちらでも別にいい、という話ではなく。これはこの街で治療院や個人的に治癒魔法で生計を立てている治癒術師への配慮でもある。
考えても見て欲しい。
もしこの三人組がアタシに無償で傷を回復してもらった事を無闇に吹聴すれば、治療費を払えない負傷者や病人がアタシを訪ねてくるかもしれず。
本来ならば治癒術師に頼む治療する対象をアタシが横から掻っ攫う事になってしまう。
拠点とするかもしれない都市の治癒術師を敵に回すなど、考えたくもない。
「……ん、わかったアズリア。恩人であるあなたの事は極力周りには言い触らさないことにする」
察しの良いファニーはアタシの自己紹介に含めておいた意図を恐ろしく正確に読み取ってくれた。
ありがたい、と言えば有難いことなのだが、言葉の端々からこちらの頭の中まで透かして見ようとする視線だけは勘弁していただきたい。
「いや、だってファニー、アズリアはあたしたちの傷を治してくれたんだぞ、それを────むぐぅっ?」
「いいから酔っ払いは黙る。カサンドラはもう少し人の話を聞くべき」
当然ながら、酒に酔ったカサンドラはファニーとは真逆に、アタシが紹介で言い含めた意図の欠片の一つも気にしてはくれていない様子だったのを見て。
隣のファニーが、床に置かれた空の器で酔っ払ったカサンドラの口を塞ぐ。
「で。流れの傭兵のアズリアが何故、獅子人族の族長のユーノと一緒に、この船でモーベルムまで?」
「……ユーノの理由じゃ不満かい?まぁ、この街にやって来たのは、途中で海賊に襲われてたレーヴェンって商人を助けたのが大きな理由なんだけどねぇ」
すると、アタシの今の言葉を聞いた途端に、明らかに驚きの表情を浮かべるファニーと口に器を被せられたままのカサンドラの二人。
「……お、おいっファニー、レーヴェンって言ったらあの……」
「……うん、間違いない。グラナード商会の商会長……私たちでは面会することすら困難な立場の人間」
この港街には領主と同じ程度の大きな影響力を持つ二つの商会があるのを教えてくれた屋台の主人も確か、レーヴェンの名前を出した途端にその商会のことを話してくれたことと。
商会の大事な取引材料を積荷に載せた大型帆船を任されていた事から、偉い立場なのは想像していたが。
……まさか、レーヴェンが商会を仕切る立場の人間だった、ということにアタシは衝撃を受けていた。
アタシは獣人族を不当に捕縛し売買する連中とグラナード商会が裏で繋がっていたら、と不安になり。
それとなく二人にグラナード商会の評判を尋ねてみることにした。
「な、なあファニー。もしだよ、もし、そのグラナード商会がアンタらを捕まえて、痛めつけてた連中の黒幕だったとしたら……なんてコトは」
「証拠はない……でも、可能性は限りなく低い」
「ああ、ないね絶対っ」
ファニーからは即答で否定されたが、まさか酒に酔ったカサンドラからも否定されるとは思ってなかった。
ファニーが説明を続ける。
「……グラナード商会は、私たち獣人族にも人間と変わらない報酬を約束してくれる。それに領主様も表立った獣人の差別を禁じてくれている。それに──」
「わかったわかったよ、グラナード商会がシロなのはッ……だったら明日、いやもう今日か、レーヴェンに会って話でも聞いてみるかねぇ」
そのファニーの説明が長くなりそうだったので、アタシは広げた両手を突き出してまだまだ言葉を続けようとするファニーを制していく。
すると、不意にアタシの眼に。
船内に設けられた僅かに開く窓口から眩しい光が差し込んでくる。
目を細めて外の様子を確認すると、船に到着した時は真夜中だったため真っ暗闇だった空が既に白じんできていたのが映っていた。
「いつの間にやら朝になってたんだねぇ、宿代が浮いたのは結構なコトだけど……魔力を補充する機会を失っちまったよ、やれやれ」
どうやら三人を治療したり、船内で色々と会話と酒を酌み交わしていたことですっかり夜が明けていたらしい。
「だいじょうぶっ!ボクが獅子人族のほこりにかけて、ナカマにひどいことするにんげんたちぜんいんぶっとばしてやるんだからっ……ねっ、お姉ちゃん?」
唐突に立ち上がって握り締めた拳を天高く突き上げながら、同族である獣人らに危害を加える不逞の輩を打ち倒す宣言をするユーノ。
きっと酒精の強い果実酒を飲んで、気分が高揚しているのだろう。
アタシもそろそろ船を離れて、何処かで一度軽く寝てからレーヴェンから色々と話を聞かないと……と思い、立ち上がろうと腰を浮かせた途端。
「────あ……あれ?」
目の前の視界が突然ぐにゃりと歪み、今まで腰を下ろしていた木の床がアタシに迫ってきたのだ。
それが、アタシが床に倒れこんだと気付いた時には、意識は朦朧とし気を失いかけていた状態だった。
「お、お姉ちゃんっ?アズリアお姉ちゃんっっ!」
「お、おいっアズリアっ⁉︎」
「どうやら出血や外傷ではないみたい」
三人がアタシを心配する声を上げるのだが。
その声が徐々に遠く離れていく感覚に襲われる。
どうやら疲労と魔力枯渇、そこに強い酒精の果実酒が入ったことで身体が限界を迎えてしまったのだと、アタシは薄れゆく意識の中で酷く冷静になった頭で結論づけていた。
「…………あ……駄目だ、眠……い────」
アタシの意識はさらに薄れていき。
そのまま、闇に飲まれていった。




