33話 アズリア、思わぬ一撃を喰らう
どうやら、魔術文字を骨折している箇所に刻んで、集中的に魔力を注ぎ込んだのも功を奏したのかもしれない。
アタシは治療していた獣人の少女の脚の腫れがすっかり引き、脚を触ったり持ち上げたりして骨が繋がっているのを確認すると。
「……ようやく、最後の一人だよ。もしアタシが魔力枯渇で倒れた時にゃ、ユーノ……わかってるね?」
残された最後の獣人の脚を治療する前に、アタシは傍で獣耳をピンと立てながら、侵入者を察知して誰か接近してこないかを見張ってくれていたユーノへ最終確認をすると。
ユーノは無言でコクンと首を縦に振る。
もし、ユーノがアタシに情を残して魔力枯渇をした身体を運ぼうものなら、元々の体格に加えて大剣や鎧などの重量だ。如何に「鉄拳戦態」を駆使してもアタシ一人を運搬するのが精一杯だろう。
だが、同じくあの巨大な籠手と身体能力の増強を発動させれば、身軽な獣人族三人なら、ユーノならば軽々と持ち運べる筈だ。
それを確認出来たからこそ、アタシは最後の一人である獣人の脚を触り、骨が折れている箇所を見つけだそうとする。
しばらく脚を触っていると、骨が折れた箇所は見つけだすことが出来たのだが……折られているのは両脚なのだが、片脚のみが赤黒く大きく腫れ上がった傷痕は先程の少女よりも状況が酷い。
しかも、先程の少女はまだ触れば痛みで反応を示してくれたものの、今回に限っては全く呻き声一つ出さないのだ。
意識を失っている以上、歯を食い縛って声を漏らさないよう耐えているわけではない。
「うおッ、こ、コイツは……中で血が溢れて膨らんじまってるねぇ……骨を繋ぐ前にまずはこの血を抜かないと、多分上手く骨が繋がらないよ、こりゃ……」
アタシも何度か治癒術師や治療院で経験したことがあるのだが、戦杖などで激しく叩かれると体内で血が流れるが、皮膚を切り裂かれてないため、流れた血は自然に体内に溜まっていき。
このように赤黒く大きく腫れ上がることがある。
こういった時、治癒術師らはまず火で炙った短剣で腫れを切り、溜まってどす黒くなった血を抜いていた。
この「どす黒い血」は身体や傷にとって毒になるのだというのだ。
「……見よう見真似になるけど、ここにゃアタシしかいないし、アタシがやるしかないんだよねぇ……うぅぅ……」
戦うために敵に刃を埋めるのは平気でも、治療のために少女の脚に短剣を刺すのはどうにも気が引けるが。
「女は度胸だ、失敗したらごめんよぉッ!」
アタシは力を加減しながら、赤黒く腫れた箇所へと短剣の刃先のみを突き刺していき、そして刃を抜くと。
ゴポリ……とどす黒くなった血が短剣で出来た傷口から溢れ、脚の腫れが少し小さくなった気がした。
その後、アタシは同じように二重発動で骨が折れた箇所に魔術文字を刻み、治療を施していくのだったが。
────不意にアタシの頬に当たる拳。
それは本当に弱々しい威力の一撃ではあったが。
アタシは周囲の警護をユーノに任せていたし、そのユーノも部屋の外や建物の外部からの接近にばかり気を張っていたのだろう。
だから、まさか。
先程、アタシが一番最初に回復した熊人族の女性がいつの間に意識を取り戻し、ユーノに気取られまいと気配を殺しながら立ち上がり、アタシの頬に一撃を入れるなど想像もしていなかったのだ。
「え……エルザと、ふぁ……ニーから、その汚い手を離せっ……人間がぁっ……!」
その熊人族の女性の視線からは、弱々しい拳からは想像も出来ない強い敵意が込められていた。
さすがに頬に一撃を入れた時に剥き出しにした激しい敵意に気が付かぬユーノではなく、魔法の発動準備をするアタシに代わり、敵意を剥き出しにした彼女を床へと抑え込んでいく。
「は……離せっ、あたしはこいつをっ……」
「ボクたちはみかただからっ!お姉ちゃんはいま、あのふたりのあしをなおしてくれてるんだから……だまってみててっ!」
「離っ……は?……な……なん……だと?」
ユーノが熊人族の彼女を治療の邪魔が出来ないように石床に抑えつけてくれている間に、脚に刻んだ二つの魔術文字に魔力を送る。
アタシはいきなり頬を殴られた事実よりも、最初に治療した彼女がその程度は動けるくらいには回復してくれたことと。
船に移動する際に、三人を背負っていく必要がなくなったことに、密かに嬉しさを感じていた。
嬉しさは活力に繋がり。
活力はアタシの体内から魔力を湧き上がらせる。
「……ま、まさかあの緑色の光は、治癒魔法?それをあたしたち獣人族に使ってくれてるのか?」
「だからアンタを止めてるユーノも言ってるだろ?アタシらはアンタらを助けに来たんだ、ってね……ユーノ」
壁に吊り下げられ、あれだけ手酷く鞭で打たれる仕打ちを人間から受けたのだ……敵意を向けられるのは想定していたのだが。
仲間というか同族に治癒魔法を使っているのも、また人間だという状況に困惑しているのだろう。
アタシが目配せをすると、ユーノが両手で抱えて屋台から港近くの倉庫まで持ってきた折包焼きを一つ、困惑していた熊人族の女性の目の前に差し出していく。
「……な、何の真似だこれは」
「おなか、ぺこぺこなんでしょ?ボク、このふたりにもってきたんだけど、たべてもいいよっ」
突然、敵か味方かまだ分からない相手から食事を施されたからといって、いくら空腹とはいえ普通ならば口をつける前に警戒するのは当然だろう。
……アタシが空腹ならば、まず間違いなくこの状況なら食べてから考える、という選択肢を取るのだろうが。
だが、やはり相当の空腹だったのだろう。
折包焼きを前に、腹と喉を鳴らす。
生命と豊穣の魔術文字が効果を見せ始め、黒く変色し溜まった血を抜くために付けた短剣の傷とともに、折れた脚が徐々に治癒されていくのと同時に。
熊人族の女性も空腹に負けて、ユーノが差し出した折包焼きを奪い取るように引っ掴むと。
大きく開けた口で乱暴に食い散らしていく。
「……う、美味いっ?……こ、こんな美味い食事をしたのは何日ぶりだろうか……美味いっ、美味いっ……」
一口頬張るたびに、彼女の目から一粒の涙が流れるのが見えると、その後はもうずっと涙を流しながら口を動かしていた。
アタシも何日もまともな食事を口にしなかった事は今までに幾度もあったが、熊人族の彼女の態度はそれに似たものだ。
それ程、獣人族を捕まえている組織とやらは拘束した獣人族へ酷い扱いをしているのであろうか。
もしくは。
折包焼き屋台の主人との会話では、あの主人からそのような雰囲気は見えなかったが。
この街を含む、コルチェスターという国ではもしかして獣人族は差別的に扱われているのだろうか。




