2話 アズリア、新しいルーンで実験する
馬車に揺られながら日が暮れていく。
馬車の旅は足こそ疲れないが、固い木の板の上にずっと腰を下ろしているおかげで尻が痛い……
まだ目的地の町には距離があるので、今夜は野営をすることとなった。行商人たちは慣れた動作で焚き火を起こしていた。
「こんな時、魔法が使えると便利なんだけどねぇ……」
よく見れば、行商人らは簡単な基礎魔法を使って拾った枯れ木に火を着けていた。
魔法の使えないアタシならば火打ち石を使って火を起こすところだが、行商人らの手際の良さと比べればあまりにも時間が懸かるというものだ。
火を着けるなら、アタシが覚えている「ken」の魔術文字という手段もあるのだが。まさか焚き火を起こすだけで、指を切って血を流すのも不便としか言う他ない。
こんな時だけは、魔術文字を宿したせいで通常の魔法が使えないアタシの宿命とやらが恨めしく思えてくるのだが。
「それじゃアタシはその間に、食えそうな獲物でもいないか……辺りでも見回っておこうかねぇ」
さて、そんなアタシはというと。保存食の黒パンと干し肉だけでは味気ないので、今晩の食料となってくれる獲物がいないか散策中だ。
幸運にも角ウサギ一匹と、石を投げて落とした野鳥一羽を捕らえることが出来たので、内臓を抜いた後に今晩食べる分は串焼きにし、それ以外は焚き火の上に吊るして燻して明日以降に保存しておく。
夜も更けてくると、昼間の暑さが嘘のように肌寒くなる。不思議に思ったアタシは晩飯を済ませた後に、同乗させてもらってるオログとアビーに焚き火を囲いながら話を聞くと、
「砂漠は火属性の魔力の影響が強い反面、火属性の魔力は昼と相性が良いぶん、夜が嫌いなんだそうだ。だから砂漠は夜になると急に冷えるんだ」
「王国の連中にゃ、よく『なんで砂漠に行くのに毛布を持っていくんだ?』って聞かれるぐらいだからな」
なんて笑いながら、沸かした湯が注がれた杯をアタシへと分けてくれる。
ん?……この湯、透明どころか何だか黒い色が付いているし、何とも言えない香ばしい芳香が黒い湯から漂ってきていた。
正体こそわからない黒い湯だが、オログらも飲んでいる以上は毒ではないだろうが。おそるおそる杯に口を付けて飲んでみると……
「うへぇ〜……に、苦いぃぃ」
口の中いっぱいに焦げを食べたような苦味が広がり、口に含んだ分は何とか喉に流し終えたが。アタシは舌にまだ残る苦味を軽減しようと、思わず顔をしかめながら舌を垂らしてしまう。
「うわっはっは、姉ちゃんコレはな。珈琲って言う、アル・ラブーンじゃお金持ちが好んで飲んでる嗜好品なんだぞ」
「アル、ラブーン……?」
「ああ、この砂漠一帯のいくつかの有力部族が手を組んで出来た国だぞ。砂漠の真ん中にある大きなオアシスに央都アマルナがある」
アタシの疑問は国ではなく、こんな苦味の強い飲み物を嗜好品にしているのかという意味だったのだが。
せっかくオログとアビーが気持ち良く砂漠の国の説明をしてくれているのだ。
ここは、初めて砂漠を訪れた体裁を取ってやろうと思い。
「じゃあ、この辺ももうそのアル・ラブーンって国の中ってことかい?」
「いや、国境の砦から砂漠まではどこの国にも属してないはずだ」
「なるほどねえ、ありがとな二人とも」
珈琲とやらもご馳走になり、オログとアビーを先に寝かせたアタシは夜の見張りをしていた。
早速、師匠から譲り受けた新しい魔術文字の効果や誓約を調べたかったのもあったが。一番の理由は、何だか目が冴えてしまい寝れなかったのもあったからだ。
誓約。
アタシが使う魔術文字には、文字の魔力を十全に発揮するために守らなければならない約束事が存在する。アタシの場合は魔術文字を最初に発動する時に約束が頭に降りてきていた。
アタシが何故、左半身だけしか防具を装着していないか、というのはまさに誓約の内容によるものなのだ。
「そういや、師匠はアタシが怪我しないように、ってこの魔術文字渡す時言ってたなぁ」
二つばかり実験してみる。
一つは、行商人から購入した保存用に乾燥させた薬草。さすがに薬草に文字は描けないので、一旦自分の手のひらに「ing」の文字を刻み、魔力を込めて乾燥した薬草に触れてみる。
「我、大地の恵みと生命の息吹を。ing」
……何も起こらない。
「どうやら豊穣ってのはまた違う方法じゃないと効果がないのかもねぇ。それじゃ、お次は……」
もう一つは血文字を描くためにナイフで傷をつけた親指に、先程の手のひらをかざしてみる。
すると文字が赤く輝き、親指の切り傷がみるみる塞がっていく。そして、傷がすっかり癒えると同時に手のひらの魔術文字は消えてしまった。
「ふぅ……医者や治癒術士が使う治癒魔法に比べりゃ随分効率は悪いけど、一人旅にはありがたすぎる恩恵だよ、ホント」
最悪、つい先日に王都で大暴れした時も、足が動かないほどの大怪我をし、もし師匠が現れ脚の怪我を治癒してくれなかったら。
アタシはその場で血を流しきり死ぬのを待つしかなかったかもしれない。
「師匠……ありがとな」
ちなみに、余談だが。
アタシが得たばかりの「ing」魔術文字の誓約……それは。
「紅石を決して身につけないこと」だった。
言われなくとも、一介の旅人であるアタシには赤く透き通る紅石など。あまりに高価で手が出せる代物ではないが。
何故、ingの誓約が紅石装備不可なのかですが。
紅石は火の精霊力を宿してる、という裏設定から、植物の精霊たるドリアードが火を嫌ったから、ということにしておいて下さい。
ちなみにこの世界でドリアードの精霊力を宿しているのは翡翠になります。




