30話 アズリア、モーベルムの闇を見る
アタシが大剣に描いたのは纏いし夜闇の魔術文字。
本来ならば、ただ夜の闇をこの身に纏って夜の間の隠密活動の助けになる程度の効果しかない魔術文字なのだが。
いくらコーデリア島で大地の精霊に大剣を鍛え直してもらい切れ味が格段に増したとはいえ、石材を積み上げて作られた建物の壁だ。普通に刃を入れれば大剣の重量で崩れ始め大きな音を立ててしまうだろう。
「我月に願う、剣纏いし夜の闇────dagaz」
この状況で発動させるのは、アタシの魔力を際限無く喰らい続けるが、その対価として絶大な斬れ味の漆黒の刃をアタシへと与えてくれる、闇。
────その名は「漆黒の魔剣」。
剣に刻んだ魔術文字が起動すると同時に、アタシが握る大剣の周囲に湧き出ていた夜を思わせる黒い闇が刀身に吸い込まれ、まるで黒曜石の様に大剣全体が光沢ある漆黒に染まっていく。
さて、これで壁を斬る準備は整った。
「それでユーノ、お仲間さんはいたのかい?」
順番は逆となってしまったが、窓……というよりは石材がいくつか抜けて出来た穴から建物の内側を覗いているユーノに、本当に獣人族がいるのかを聞いてみる。
するとユーノは、同族である獣人族に渡すつもりだった折包焼きを抱えたまま、表情を曇らせていた。
「えっと……それがね、お姉ちゃん?みんな、もうねちゃってるみたいで、こえをかけてもおきないんだよ」
一見すれば少女の姿をしたユーノだが、これでも魔王配下の四天将として前線で身体を張って戦ってきた猛者だ。
月明かり程度の視界しかないとはいえ、船の見張り役だってやってのけたのだ……寝ているのと死体の区別くらいはつく。
だが、呼び掛けても応答がないというのは危険な兆候かもしれない。もし、飲まず食わずの状態で拘束されていたのであれば、飢えや渇きで気を失ってしまっている可能性だってある。
アタシが漆黒の魔剣と化した大剣を石壁に振り下ろすと、まるで柔らかく焼き上げた肉に立てた食卓用の短刀のように、その刃は壁に吸い込まれるが如く沈み、そのまま真下まで石壁を一直線に斬り割いていく。
「う、うそっ……お姉ちゃんっ、なにそのまっくろなけんっ?」
「ああ、そういやユーノにゃこの能力を見せたコトはなかったねぇ……まあ、黙って見てなよッ!」
そして縦にもう一閃、横に一閃と恐るべき斬れ味を誇る漆黒の魔剣を振り抜いていき。
アタシが通れる程度に切れ込みを入れた石壁に蹴りを放つと、ガコンッ……と四角に切り抜かれた石壁が建物の内側へと倒れていき、ぽっかりと入り口が空く。
「さて、と……どうやら見張りの連中にも気付かれなかったみたいだし、この倉庫の中がどうなってるのか、覗いてみるとするかねぇ」
アタシが漆黒の魔剣で切り抜いた壁の穴から建物の中に侵入していくと。
ちょうどユーノが覗く穴から見える、返答のない獣人族らがいると思われる場所は扉で閉ざされており。
扉を押したり引いたりしてみたが、当然ながら鍵が向こう側ではなくこちら側から掛かっていたので、すくなくともこの場所に獣人族が好んで身を寄せているのではない事だけは確かなようだ。
「もう壁にも大穴を空けちまったし、今さら扉の一枚程度、遠慮する必要もないよねぇ……はああッ!」
気合いの雄叫びとともに、鍵の掛かった扉を漆黒の刃で斬り割いていく。
その扉の向こう側にアタシが見たものとは。
「……うおッ、こ、コイツはアタシの想像以上に酷いねぇ……」
ユーノが覗いていた穴から差し込んでくる月明かりに照らされた床には意識がなく倒れている獣人族らしき人影が二人。
そこまでは確かにユーノの報告通りだったが。
ユーノから死角となっていた壁には、これまた獣人族らしき人物が両手首に装着された鉄枷で壁に張り付けにされて意識を失っていた。
部屋に入って、アタシは床に倒れていた獣人族へと駆け寄っていき身体を調べてみると、どうやらまだ生きているようだが、無数の刃傷や火傷の痕があるためか衰弱が激しい。
この獣人族らが定期的に理不尽な暴力に晒されたのは明白であった。
「……え?なんで?さっき、わらってボクにてをふってくれてたのに……たすけてくれ、っていってくれたらっ……」
「ユーノ、この連中は言いたくても言えなかったんだよ、見てごらん?」
アタシは倒れていた獣人族の喉を見せると、助けを呼べないようあらかじめ喉が潰されていたのをユーノも理解していき。
同族をここまで無惨に傷つけられるのを目の当たりにした彼女……その身体が怒りで震えていた。
「ゆるせないっ……こんなことしたヤツら、ボクぜったいゆるせないよお姉ちゃん……っ」
「ユーノ……実はね────」
さすがにこの状況になってしまったら、今までユーノに黙っていたモーベルムの裏事情を説明しないわけにはいかなかった。
何故なら、もしユーノに説明をしなかったら同族をここまで痛めつけた実行犯を見つけるまで暴れる勢いだったからだ。
だからアタシは屋台の主人ローウェルから聞いた通り。
この街には獣人族を捕縛し、売り捌いて自らの欲望を満たしている連中が潜んでいるということを、ユーノに語っていく。
だが、ユーノの怒りは収まるどころか、その矛先を何処に向けたらよいのかが分からず困惑している顔をしていた。
「じゃ、じゃあお姉ちゃんっ、ボクはだれをぶんなぐったらいいの?……ねえっ!」
怒りが抑えきれずにアタシへと掴み掛かってくるユーノだったが。
「心配しなくてもイイよユーノ……絶対に犯人は殴らせてやるから……ああ、絶対に。こんなコトをやらかした報いはきっちりと受けさせてやるよ、ああ絶対にねぇ……くっくく」
「え?あ……お、おねえ……ちゃん?……ひっ」
そんな彼女が、アタシの顔を見た途端に怯えながら一歩後退っていった。
コーデリア島では魔族だけでなく、獣人族にも色々と交流があったし世話にもなった、そんな獣人族をここまで酷い目に遭わせた連中を許せる程、アタシは出来た人間ではなかった。
「ああ、もちろんただ殴って終わりで済ませる気はないよ……明日レーヴェンに情報を聞いたら早速連中を炙り出してやるよ、二度とこんなふざけた真似が出来ないようにねぇ……」
「お、お姉ちゃんっ、お、おちついてっ?そ、そうだっ、まずはこのコたちをどこかにつれてかないとっ……」
いつの間にやら、静かに怒れるアタシをユーノが怯えながら制する、という真逆の立場に入れ替わっていたのだ。




