3話 アズリア、必死で船を漕ぐ
最初こそ見間違いや、砂漠で稀に見ることがある陽炎と呼ばれる幻ではないか、と目を擦り何度も見返してみるが。
やはり、視界に映るのは二隻の帆船で間違いない。
「あれ?……ねえ、お姉ちゃん、あれっ!」
「ああアタシにも見えるよ────ありゃ、煙だねぇ」
アタシとユーノが船の縁から身を乗り出して二隻の帆船を目を凝らしていると。
そのうちの一隻から白い煙が上るのが見えた。
煙を上げている船に一体何が起きているのかは想像の域を出ないが、ユーノだけでなくアタシがわかる程の煙の量からして軽い失火程度の話ではないのだろう。
軍隊や商隊が魔物や盗賊らの襲撃に遭遇した際に、煙を焚いて街の見張りや仲間に知らせるという話は聞いたことがあるが、少なくともアタシやユーノが見る限りでは海に魔物の姿は見えない。
……だとすると。
「もしかして……あの煙を上げてる船は、もう一隻に襲われてるんじゃないかねぇ」
「えっ?……じゃ、じゃあお姉ちゃん、あのふねをボクたちでたすけたら、おにくもらえるかな?」
ユーノの思いつき……いや、素晴らしい発想にアタシと彼女は顔を見合わせ、心がちょうど通じ合ったように一度だけコクンと首を頷くと。
二人して甲板から船内へと入ると、駆け足で階段を降りて船底に向かう。
船の内底である船倉、その船体の左右に備え付けてある一対の大きな櫂をアタシとユーノで一本ずつ握ると。
アタシは右眼に宿る筋力増強の魔術文字を発動させ、その魔力を櫂を握る両腕に集中していく。
そして隣に立つユーノはというと。
「いっくよお!鉄拳戦態あっ!」
と叫ぶと同時に、彼女の魔力が両腕へと集まっていき、収束した魔力が巨大な黒鉄の籠手へと姿を変えてユーノの両腕に装着されていく。
まるで石巨人を思わせる大きさとなった両腕で、同じく櫂を握ると。
もう一度だけ互いに顔を覗き込み、最後の確認に首を頷き合うと。
周囲は木材で覆われた船倉だが、櫂を海面に差すために切り抜かれた小窓から見ることの出来る、目的地である二隻の船のあると思われる方向に向き直ると。
「うらあああああああああああッッ!」
「いっけええええぇぇぇっ!」
筋力増強の魔術文字と。
鉄拳戦態で増強された二人の筋力を出し惜しみすることなく全力で櫂を漕ぎ出して、風を使わずに人力で全速で煙を噴いた船に接近を試みていく。
先程まで穏やかな夜を海風を帆に受けて、緩やかな速度で航海していた様子はまさに一変し。
アタシとユーノの文字通り全力で漕がれた小型の木製帆船は、周囲に高い波を立てる程のものすごい勢いと速度で海を奔り。
最初は黒い点にしか見えなかった二隻の帆船が、みるみる内に船の形がわかるまでに距離を詰めていった。
それでわかった事は。
「……やっぱりだユーノッ!あの船、もう一隻の船から襲撃を受けてるねぇ、ありゃ……海賊だッ!」
煙を上げていないほうの船の帆には、アタシが遠目から見ても判別出来るような大きさで「海竜と人間の頭蓋」が描かれていた。
間違いない、この連中は海賊と呼ばれる連中だ。
「お姉ちゃん、かいぞくって……なに?」
「海賊ってのはね、海で追い剥ぎやら乱暴をする困った連中の集まりだよ……ちょうど今みたいに、ね」
このラグシア大陸全域では、木製帆船の発明と感知魔法の進化によって、海に面した国家は港を整備して大々的に海路を利用している。
先のホルハイム戦役で増援にやって来たコルチェスター海軍のように軍事的利用から、商会が大規模な運搬に利用することも一般的になっていた。
そこで、船に積まれた物資を狙って湧いたのが。
自前で船を持ち、荒くれ者やならず者を集めて集団で警備の薄い船を襲う連中、というわけだ。
「じゃあにんげんだけど、ボク……ぶっとばしてもいいの?」
海賊の説明をしているうちに漕いでいたアタシらの船は、二隻の帆船との距離をさらに縮めていた。
この距離ならばユーノの瞬発力なら襲撃を仕掛けている海賊の船へとギリギリ飛び移れるか……とアタシが考えていた矢先。
ユーノが目を輝かせながらアタシへと許可を取ろうと尋ねてくる。
アタシは、ユーノを旅に同行させる条件として「無闇に力を振るわないこと」を約束させていたからだ。
ホルハイムやアル・ラブーンでは然程ではないが、シルバニアのように獣人族を一層下に見る風習が根強く染み付いている地域に到着した場合。
ユーノの卓越した戦闘能力に、外見の愛らしさから目立ち過ぎるとどのような事件に巻き込まれるか分からないためなのだが。
さすがに重量のあるクロイツ鋼製の大剣や鎧甲冑を装備したアタシは、この距離から飛び移るなんて真似は出来やしないので。
アタシは引き続き櫂を漕いで海賊船へと接敵することにして、ユーノを先行させ殴り込ませることにした。
「ああ、アタシが許可する。遠慮せず暴れて構わないよ……あ、でもねぇユーノ?……船は壊したりしちゃダメだからねッ?」
相手は海賊だ、問題などない。
いや寧ろ……ここでユーノ単騎で襲われてる側に恩を売っておけば、少しは獣人族への偏見も和らぐかもしれない。
櫂を漕ぐのを止めたユーノが立ち上がり、黒鉄の籠手に覆われた両拳をガツン!と一度、二度と叩き合わせると。
「それじゃアズリアお姉ちゃんっ、ボクいってくるねっ!」
船倉から上部の船室へと続く階段を勢い良く駆け上り、甲板へと飛び出たユーノは、そのまま船首へと走り出していくと。
アタシの予想通りに、船首から海賊船へと跳躍していくユーノ。
「まってておにくうう────うっっっ!」
青い空に響き渡る切実なユーノの欲求。
安心しなよ、ユーノ。
あの連中はきっとたんまり酒やら食糧やらを船に積み込んでいるだろうし。襲われている側の船だって積荷はあるだろう。
ここはアタシとユーノできっちり恩を売って、魚以外の食糧を海賊たちから手に入れようじゃないか。




