3話 アズラウネのゆうしょくどき
「ゆうしょく」より「ばんごはん」のほうが平仮名表記だと可愛いのですが。
残念ながらまだラグシア大陸には米は流通してないので「ごはん」という単語が使えない……しくしく。
「え?あ、アズ、そんな不審者に遭遇したのっ?」
教会へと帰ってきて、夕食を子供たちとエルと一緒の食卓に座りながら。
その食事の席で今日一日何があったかを話しながら皆んなでお喋りし合う、そんな時間。
アズラウネは食事こそ取ってはいないが、夜は日差しを浴びられないので、子供たちと一緒の席に着き、色々とお喋りをすることで人間の生活習慣を学習していた。
その時間にアズラウネは、日差しを浴びていた際に見かけた不審者を報告したのだが。
「うんっ、える。あ、でもねでもねっ、あずがツタをこう……ぴゅぴゅぅぅとだしたらね、にげられちゃった」
不審者が出たことを聞いて驚くエルに。
その身に危険が迫っていたかもしれないなど思ってもいないのか、アズラウネは身振り手振りを加えながら実に楽しそうにその時のことを話していた。
すると、教会で暮らす子供たちの中でも一番の年長者のザックまでもが。
「それなら修道女、俺らも不審者を見た」
「……え?」
「最近、ちょくちょく村の近くに行商人とは全然違った格好の連中がいたりするんだ。多分あれって冒険者なんじゃないかな」
ザックの「冒険者」と言う言葉を聞いて、子供たちは「一度見てみたい」などと盛り上がっていた。
ホルハイムではあまり冒険者が一般的に認知されてはいない。
ある程度腕に自身のある連中は、傭兵となるか、ホルハイム各地に無数にある金鉱山の警護に就くというのが一般的だからだ。
加えてこのホルサ村は、ホルハイムでも南端に位置する村でありすぐ後ろにはメルーナ砂漠との境界線であるスカイア山脈の高い山々が立ち並ぶ場所だ。
言い方は悪いが……取り立てて目立った生産品や村の近辺に金鉱山があるわけでもない。
こんな辺鄙な場所に、冒険者が来る理由なんて思い当たるのは……
アズラウネの存在以外にはあり得ない。
アズリアが不在の間にアズラウネに何かあったとしたら、アズリアが帰還しホルサ村とアズラウネを訪ねてきた際にどんな顔をして再会出来るというのか。
いや、きっとアズリアはエルを責めないだろう。
寧ろそのことを理解しているからこそ、エルは万が一にもアズラウネに何かが遭ってはいけないと必要以上に気負ってしまう。
色々な事を考えて難しい顔をしていたエルを不思議そうな顔をしながら、アズラウネがエルの顔を覗き込むように声を掛ける。
「だいじょうぶだよえるっ!あずはパパそっくりで、とぉぉってもつよいんだから!」
「……そうだね、アズは強い娘だもんね」
「えへへっ、だからえる……そんなかおしたら、あずもかなしくなっちゃうよ」
席を離れてエルの元へとやってきたアズラウネの頭を撫でながら、そんなアズラウネの言葉に思わずハッと何かに気付かされた顔を見せるエル。
まさか、アズラウネを心配する保護者の立場でありながら、逆にアズラウネに心配を掛けていたと理解してしまったのだ。
申し訳なく思ったエルは、不審な冒険者の出没を不安に思いながらも。これ以上アズラウネに心配させまいと無理に笑顔を作ってみせる。
「ねぇ、える?……どうして、えるのこと『ママ』ってよんじゃ、だめなの?」
「え?……い、いやそれはね……本当はあたしだってアズにそう呼んでもらいたいんだけど……その、大樹の精霊様との約束っていうか……」
そうなのだ。
アズリアと一緒にアズラウネと最初に遭遇した時、彼女はアズリアを「パパ」と、エルを「ママ」とそれぞれ呼んでいたのだが。
ホルハイム戦役でのアズリアへの復讐に狂った挙げ句に吸血鬼と化した帝国将軍ロザーリオに、アズラウネが拉致されてしまった時に。
アズリアの力になるため現れた大樹の精霊と、アズラウネ救出の前夜に王都アウルムはヴァルナ大神殿で交わした約束事……それが。
『今後、あの娘にママと呼ばれては駄目よ、エル。だって……本当の母親は私なんだから』
確かにアズラウネは、アズリアの流した血と大樹の精霊の魔力が融合して誕生した存在なのだと、その時に初めて聞かされたので。
「パパ」であるアズリアの横に「ママ」として並びたい気持ちを押し殺して、エルは大樹の精霊と約束した、という経緯があったのだが。
「ま、まあ……アズも今回は無事だったから良かったけど、冒険者を見かけたら手を出さずに逃げるのよ?……いい?」
「うにゅぅぅ……わかった、えるがそういうなら、あずはにげるっ!」
まさかそんな事情をアズラウネに詳細に説明するわけにもいかない。
今のところエルを保護者として慕うアズラウネとの関係は良好なのだ、こんな事情を話したら大樹の精霊に悪い印象を持たれてしまうかもしれない。
もし、そんなことになったら……
想像するだけで寒気がする。
そんなわけで明確な返事を避けたエルが、誤魔化すように不審者への対応をアズラウネに言い含めると。
アズラウネが片手を真上へと上げて、元気よく返事をしてから自分の席へととてとてと走って戻っていく。
「ほら、皆んなも。不審な大人が珍しいからって、見かけて話しかけたり近寄ったりしたら駄目だからねっ!……帝国軍の残党かもしれないし、武器を持ってたら危ないから」
エルが立ち上がると、両手をパン、パンと打ち鳴らして子供らの注目を集めてから、アズラウネと同じように不審者へ無闇に接近しないよう言い含める。
冒険者に会えるかも、と食事をそっちのけで会話に盛り上がっていた子供たちだったが、エルが「帝国軍」の名前を出すと途端に神妙な面持ちになる……無理もない。
ここにいる子供は、全員が例外なくホルハイム戦役で親を失い孤児になってしまったのだから。
ある子供は、親が兵士として戦死し。
ある子供は、村を攻めた帝国兵に殺害され。
ある子供は、戦争で薬が手に入らず病死した。
普段は皆んなで協力しながら、日々を強く明るく暮らしていたが。ホルハイム戦役が終結してまだ二た月しか経っていないのだ。
子供たちに危ない事をして欲しくない余り、子供らの心の傷に安直に触れるような発言をしたことをエルは心苦しく思い。
食事の時間が終わり、子供たちを寝室に移動させながら。
エルは、心の中で何度も子供たちに謝罪した。
こうして夜を迎え。
教会の入り口の灯りを落とすエル。
そんな教会の様子を、遠くに並ぶ木々に身を隠していた人影が覗き込んでいたのを、聖職者であるエルは気付くことはなかった。
その不審な人物の鼻先に、ポツリと落ちてきたのは一粒の水滴だった。
一粒、二粒と降ってきた水滴は瞬く間に量を増し、地面に落ちた無数の水滴が吸い込まれていき、それでも地面が吸い込めない量の水が黒く曇った空から降り注ぐ。
────雨が降ってきたのだ。




