閑話② アズリア、古代図書館に立ち寄る
格好をつけて、王都を後にしたアタシは。このまま西にあるメルーナ砂漠へと向かうつもりだったが。
その前に、やっておかなければいけない事がある。
「確か……ここら辺だったよ、ねぇ」
ランドルやその家族、何よりアタシに様々な事を教えてくれた大樹の精霊と別れた後。アタシが訪れたのは、街道から大きく外れた森の中にある、打ち捨てられた廃墟だった。
地表に建っていただろう建造物はとうに崩れており、後に見えるのは瓦礫だけ……に見えたが。
アタシが残っていた石壁の数箇所をぺたぺたと規則的に触ると、足元にガコン!と窪みが出来る。
続いて、窪みに爪先……ではなく。屈んで手のひらを乗せていくと。
ギ、ギギ……と軋みをあげながら。
古く風雨に晒された石畳に、大柄なアタシでも余裕で通れる程の地下への入り口と階段が現れる。
開いた通路には照明が灯っておらず、足元がかなりおぼつかないため。一度、腰にぶら下げた小型の角灯を手にしようとしたが。
「おっ、と……そうだったね。この場所じゃ、火は歓迎されないんだっけか」
そう呟いてアタシは、腰に伸ばした手を引っ込め。暗い視界の中、石壁に手を当てながら地下への階段を降りていくと。
やがて、目の前に現れた簡素な木の扉を開けると。
「忘れ去られた図書館へようこそ。定命の人間よ──」
アタシの前に立っているのは、この施設の管理をしているという少女だった。
アタシと同じく褐色の肌を持ち、さらに長く伸びた黒髪を後ろで束ね。淡麗に整ってはいるものの、どこか影のある印象の顔の。
彼女が人間でないのは。今、口にした挨拶と、先の尖った耳の形状からも明らかだった。
そして……彼女の背後、さらにその奥に続く壁には、無数の書物や文献の束が整頓され、木製の棚に並べられていた。
しかも書物や文献が並んだ棚は、視線の届く遥か奥の奥まで続いており。さらには、同じく書物が並んだ階層は地下数階にまで広がっているのが。建造物の中央部の吹き抜けからは確認出来る。
最初こそ、丁寧な挨拶をしてこちらへ笑顔を見せていた少女だったが。扉を開けて入ってきたアタシを見るなり、笑顔を崩して一切の興味が失せたかのような表情へと戻し。
「なんだ……あなたでしたか」
「また、来ちまったよ。悪かったかい?」
椅子に座ると、読みかけだった書物を開いて。アタシから目線を本へと落としていく無愛想な少女。
彼女の名は、ノワール。
そして瓦礫の地下に広がる、膨大な書物が納められたこの場所は──古代図書館という。
彼女、ノワールはこの場所を管理する役割を持つらしく、ずっとこの地下に居続けているようだ。
図書館とは、書物や文献を管理する施設の名らしく。
同じような施設は、先程立ち去ったばかりの王都シルファレリアや、魔導王国ゴルダにも存在するという噂は耳にしたが。
「まあ、そこに立っていられても迷惑なので。中に入ったらどうですか? 幸運にも、火種はお持ちではないようなので」
最初に、偶然アタシがこの場所に辿り着いた時。まず彼女に注意されたのが「火を消せ」だった。
それはもう、断ればアタシを殺しそうな迫力で。
だから、暗くて足元が危ないとは知りつつも、持っていた角灯で暗闇を照らそうとは思わなかった理由である。
「で。今回も、何かを写していくんですか?」
「ああ。少し長めにこの国に滞在しようと思ってたんだけどね……ちょいと、ドジ踏んじまって、ねぇ」
「……それは、それは」
読みかけの書物に目線を落としていたはずのノワールが、興味を示したようにアタシを見る。
しかし、そんな彼女は口元を隠していたものの。明らかにこちらを嘲笑うように唇を歪めていた。
そんな少女の態度に苛立ちを覚えたアタシは。
「イイから。写してもいい書物か文献を……とっとと教えなよッ」
「きゃっ?」
手のひらで近くの石壁をドン!と強めに叩いたアタシは。叩写本が可能な書物や文献を少々荒めな口調で、図書館を管理しているノワールへと確認を取ると。
わざとらしく悲鳴をあげ、大袈裟に怖がってみせるノワール。
「……やれやれ」
彼女の冗談めいた茶番に付き合ってまで、アタシが勝手に棚に並んだ書物を選ばない理由。
それは、他人が記した書物や文献がいかに貴重な品であるかを、アタシは理解しているからだ。
魔術師が自分の研究を記録したり、詩人が自分が創造した物語を後世に残したり、と。羊皮紙や草紙を用いたり、時には石板に文字を彫ったりするのだが。
当然ながら、記した人間が同じ記録を二つ、三つと残していない限り。本人が記した唯一の記録こそ、書物や文献として残るわけで。
記録を残した者とごく親しい関係など、目を通せる人間は限られてしまうのが現状である。
そこで、写本という手段の出番となる。
唯一の書物を、手間をかけて他人が丸ごと何かに写せたならば。写本した個数だけ、世に知識や物語を広めることが可能となる。
まあ勿論、文字を書けるというのが「写本」を行う前提条件……となってしまうのだが。
生まれ故郷の帝国で、体格や怪力の噂を聞き付けた帝国兵士らによって。アタシは兵士養成校──未来の帝国兵士を養成する施設、にほぼ強制で入れられ。
養成校で、文字を書く、数字を数える、という学問を好む好まないにかかわらず頭に叩き込まれたのだ。
イヤな思い出しかない生まれ故郷だが、その点だけはアタシは感謝している。
で、アタシはというと。
そんな写本という手段を用いて、この数えきれない量の書物や文献が眠る、図書館なる場所から。貴重な知識を世に知らしめようとしていたのだ。
まあ……写本した書物や文献には高い値が付く。
それが、今より遥か昔の記録であれば尚更に。
王国を出た先の路銀のため、アタシは偶然に発見した図書館へと赴いた、という理屈だ。
それに最早。「迷宮」と呼んでもいい程の、馬鹿げた広さの施設を。案内なしで歩き回るのはあまりに無謀が過ぎるからだ。
「それでしたら──」
座っていた椅子から立ち上がったノワールは、アタシらが今いる階層の膨大な量の書物や文献が並ぶ棚を足早に歩いていく。
二、三。棚から古びた表紙の書物や、紐で巻かれた羊皮紙、そして積み上げられた羊皮紙の束を次々と取り出していくと。
「こちらでしたら、安全かと」
丁寧な扱いで、アタシの前に広げてみせた三つの書物に。
彼女に「安全だ」と念を押してもらったにもかかわらず、恐る恐る指を伸ばした。
「こ、今度は、化け物なんて、召喚されないだろう、ねぇ……ッ?」
一枚、一枚。頁を捲る。
どうやらアタシが想定していた危険な事は、何も起きなかったのに安堵し。はぁ、と胸を撫で下ろした。
何しろ、ノワールが選んだのではなく。
最初、この図書館を訪れたアタシが勝手に棚から選んだ書物を開いた途端。
書物の頁を媒体に、巨大な魔物が召喚されたのを目の当たりにしたからだ。
「その魔物が何故か持ってたのが、この魔術文字だったんだよねぇ……」
魔物を何とか地上にまで誘導し。
(地下施設内での戦闘を嫌ったノワールに無理やり追い出された──とも言うが)
詳しくは割愛するが……身体のあちこちに傷を負い、長い時間を懸けて何とか魔物を倒すと。魔物の身体の中から出てきたのは「dagaz」の魔術文字だった。
まさに災難が転じ幸運が舞い降りる、とはこのような出来事を指す言葉だろう。
アタシが旅を続ける大きな理由の一つに、まだ見知らぬ魔術文字を発見する……というものがあるが。
何しろ大陸を旅して回し、探していた魔術文字が。偶然にも発見した地下施設で入手することが出来たのだから。
「──ええ。あの本を開いたのがアズリア、あなたで良かった……と。あの時は心底思いました」
呆れたような口調で、あの時の出来事を回想するノワールだったが。
およそ、言いたい事を言い終えると。目線を途中まで読んでいた書物へと戻し、再びアタシから興味を無くして読書に耽ってしまう。
「おっと、まだ黙まりかい……まあ、イイや。アタシもこれから文字を写す作業だし、ねぇ」
読書に集中していたノワールをその場に放置し、アタシは施設の奥へと歩を進ませ。彼女に用意させた書物を写本する、適当な場所を探して。
アタシは写本という作業を通じて、この図書館に並ぶ書物に目を通し、全部とまではいかないまでも書かれている内容を頭に入れる事が出来た。
数多くの内容の中には、数多の王国魔術師でも知らないような魔法の原理や。何故か遥か昔の施設なのに、現代の魔法の詳細を再分化したものまで様々だったりする。
本来、これ程の知識が記された書物を。アタシのような流浪の女傭兵ごときが閲覧を許される事はないのだが。
「はは、実にありがたいコトだねぇ」
──こうして。
アタシもまた、黙々と彼女から預かった書物の文字を。真っ新な羊皮紙へと書き写していくのだった。
◼️読み書きについて
支配階級である貴族は当然ながら、自分の子息や令嬢に教育係を当て、文字の読み書き、算術や自分国の歴史などを学ぶのが一般的だが。
魔術の研鑽のため文献に触れる機会の多い魔術師や、商人や様々な組合の職員なども文字や数字に慣れるために。貴族を招いて定期的な勉強会を開催したり。
大きな都市の場合、学舎や学校を設立し、一定の授業料を払える家庭の子供らに読み書きを教える場所もある。
また、大陸で広く信仰されている五柱の教会の中でも。大地母神と魔術神の教会は、学校の授業料を払えない貧しい家庭の子供に。無償で文字の読み書きを積極的に教えていたりもする。
そのため、大陸諸国の教育水準はそこまで悪くはなく。一般的に暮らす住民の文盲率、数字認識力は意外に低くはない。