14話 ハティ、遥か遠くの彼女を想う
────そして、夜が訪れる。
様々な出来事があったため、俺が族長に就いた酒宴の席は日をあらためて、ということとなり。
俺とユメリアは、あれから試練で受けた傷や疲れを癒すために自分の家へと戻っていた。
その居間にて。
敷物を敷いた床に座る俺は、ユメリアが用意し杯に淹れてくれた薬草茶を口に運んでいた。
「ふぅ、落ち着くなあ……」
「ふふ、本当にお疲れ様でしたお兄様。あ、いえ……族長様、と呼んだほうがいいですか?」
「何だユメリア、妹のお前まで揶揄うのか……まったく」
俺はすっかり「族長」という呼び名にうんざりしたような口調で、ユメリアの言葉に薬草茶の苦味が残る口で溜め息を返す。
リュードラ派だった集落の老人らからも正式に族長として認められ。
出迎えに集まっていた若い連中だけでなく、戦士層の男たちや家事に勤しむ女たちの誰もがハティを「族長」と呼びながら家に帰るまでの間に揉みくちゃにされてしまった、という出来事があったのがその理由なのだが。
薬草茶を飲み終えた俺は、空になった杯を床に置くと。首にぶら下げていた水の精霊からの贈り物を指でもて遊んでいた。
その水の精霊もいつの間にかアズ湖へと帰っていたのだが。
「浮かない表情をされて、一体どうしたのでしょうかお兄様?」
「本当なら、俺一人の力で火神の加護の制御が出来なきゃならなかったんだけどな……」
ユメリアが心配するような言葉を投げてくる。
きっと、難しい顔をしていたのだろう。
族長になりたかったのは間違いないが。
今回の試練に関してだけ言えば、最終的な目標が「アズリアの背中に追い付く事」だった以上、その目的を達成したとは言えないからだ。
「大丈夫ですよ、お兄様」
そんな俺の気持ちを汲み取ったのか、そうでないのか。
床に置かれた杯に、茶壺から二杯目の薬草茶を注ぎながら、俺へと微笑みかけてきた。
「……その大丈夫に、何か根拠があるのかユメリア?」
「いえ、根拠はありませんが……どうせ火神の加護を使いこなせばアズリア様の背中に追い付ける、なんて事で悩んでいたのではないかと思いまして」
「な……」
まさに図星を突かれたユメリアの指摘に思わず俺は動揺し、返そうとした言葉を失ってしまう。
ユメリアの、魔法かと思わせる洞察力や推察には子供の頃から驚かされてきたが、まさかここまで明け透けに俺の本心を読み取るとは。
まったく……我が妹ながら恐れ入る。
「何を考えているのかわかりませんが、もしかして私のことを心を読む魔物か何かと勘違いしているんじゃないですかお兄様?」
俺の驚く顔を見て、続け様に俺の心の動揺を言葉にして浴びせてくるユメリア。
それがあまりにも的確すぎて、もはや返す言葉も出ない。そんな自分を誤魔化すように、床に置かれた薬草茶が注がれた杯を持ち、口に近づける。
「……お兄様はもう少しアズリア様のことを信用してあげるべきだと思うんです」
「お、俺がアズを?……信用してないだって?」
だが、次のユメリアの言葉に。
俺は即座に反応し、鋭く俺の心を抉ってきた我が妹へと、飲もうとしていた茶杯を乱暴に床に置いて言い返していく。
俺が「俺自身を信用していない」という指摘ならまだ理解出来るが。
さすがにアズを信用していない、と言われたのには我が妹の言葉でも看過するわけにはいかなかったからだ。
「言葉の通りですわ。お兄様は……何故アズリア様が、お兄様から贈られたあの指輪を受け取ったのか、本当に理解していらっしゃるのですか?」
ユメリアが言う「あの指輪」とは、帝国との戦争が続いていた隣国へ、ユメリアがアズを追い掛けていった際に。
本当なら真っ先にアズの力になってやりたかったが、立場上部族を離れられなかった俺は。
その妹に、俺の代わりになるモノを持たせていたのだ。
それが、マフリートに代わる新しい部族の呪い師を拝み倒して作成して貰った、アズに相応しいと俺が選び研磨した柘榴石を嵌め込んた魔除けの効果を持つ指輪だった。
それに俺たち火の部族では、柘榴石の装飾品は「戦士として認められた」証でもあるのだ。
現に俺の指にも、アズに贈るためユメリアに委ねたのと同じ形状の柘榴石の指輪が嵌められている。
「それは……ユメリア、お前がわざわざ手渡してくれたからだろう?」
それに、俺は。
アズがこの国を旅立つ直前に、俺自身の「アズが好きだ」という想いをアズ本人に告白したばかりなのだ。
そしてその告白の返事は……貰えていない。
ユメリアが隣国に行く、と聞いた時に指輪を委ねたのは、直接アズを応援してやれない俺のせめてもの力になれば、という気持ちからだが。
果たしてユメリアに代わり援軍に駆け付けていたとして、本当に俺はアズに向き合うことが出来たのだろうか……?
そんな弱気な気持ちがなかったのか……と問われれば、俺は首を横に振らざるを得ない。
そんな俺の女々(めめ)しい心情を読み取ったのか、溜め息を一つ吐いたユメリアが。
「あのですねお兄様。いくら男女の機微に疎いアズリア様でも、さすがに今のお兄様ほどではありませんよ?」
「う……うるさいっ!……そ、それより今の発言どういう意味なのか説明してくれるんだろうな、ユメリアっ」
「……まったく。部族の皆さんの前では凛々しく雄々しい一代の英傑扱いされているお兄様が、アズリア様のこととなると恋愛を謳歌する若者の誰よりも臆病になるんですね」
「……う、ぐぅ……」
仕方ないだろう。
何しろ、俺の初恋はアズなのだから。
7年前に両親を失い、火の魔獣から逃げ惑う俺が見たもの……それは。
両親の生命を奪った魔獣にただ一人で大剣を構えて立ちはだかり、恐れることなく魔獣にその剣を突き立て笑っていた勇敢で美しい褐色の女戦士の姿だった。
そして、その女戦士に俺はすっかり心を奪われたしまったのだ……俗に言う「一目惚れ」というやつだ。
「アズリア様も、男性から指輪を贈られる意味は充分に理解していると思いますよ」
「何を根拠に?」
すると、ユメリアが少し目を細めて口に手を当てて性悪そうな笑みを浮かべてくるのを見て、俺は少しばかり身構えてしまう。
妹がこの顔をした時は、何か碌でもないことを考えている時だからだ。
「……何しろ、指輪を贈った際にアズリア様のことを『お姉様』と呼んでみたのですが、満更でもないご様子でしたし」
「……なっ、お前っ、そ、そんなことを」
アズがユメリアの義姉になる。
それはつまり、俺の隣にアズが伴侶として並び立ってくれている、ということだ。
「アズリア様に並び立とうと血の滲む努力をしてきたお兄様の姿は私も見てきましたし、アズリア様もそんなお兄様だからこそ憎からず思っている……ですから、お兄様はアズリア様を信じてあげて下さいな」
なるほど。
最初にユメリアが言った、俺がアズを信じていないというのはそういう理屈だったわけか。
「それに……あまりお兄様がだらしないご様子なら、アズリア様は私が貰ってしまいますよ?……ふふふっ」
「な、なっ?……い、いやお前っ?アズもお前も女同士だろうが」
「いいえお兄様っ、本当の愛には男とか女とかという分類は不粋ですわよ?……ふふふっ」
そう意地悪そうな笑いを残して、茶壷と茶杯を片付けるために居間を去っていったユメリア。
一人残された俺は、結果的に妹に背中を叩かれてしまったことに一度深く溜め息を吐きながら。
「そうだな、7年分先を行かれたその歩数を埋めるのは簡単なことじゃない……自分でも分かっていたつもりだったんだがな」
再び俺は、水の精霊から手渡され首に掛けていた、火神の魔力を制御する首飾りに手を伸ばしながら。
まずは、一歩。
火神の加護を自在に使いこなせるように、俺自身を鍛え上げることを地道に続けていこうと思う。
いつか、アズの背中を守れる男になるために。
一度は13話で終了にしたハティ編でしたが。
やはりハティのアズリアに対する想いを吐き出させてやりたかったので、急遽こちらを最終話にさせていただきました。




