11話 ハティ、集落に帰還する
優しく微笑んでいた水の精霊様は、倒れていたユメリアへと歩み寄っていき、砂漠竜の牙によって肉が抉られた脚にそっと触れると。
「全ての母たる生命の水よ、かの者の欠けた血肉を戻し、傷を癒したまえ────世界を満たす杯」
水の精霊が荘厳な詠唱と共に傷口へと手を翳すと。
ユメリアの脚が湖の水を思わせる深い青色の魔力に包まれていき、その深い傷口がみるみるうちに塞がっていく。
その様子を見ていた俺も負傷していたユメリア当人も、思わず言葉を失ってしまう。
「凄い……怪我が、一瞬で塞がっていく……」
「これ程の回復力は……私より高位の治癒術師の下でも、このような治癒魔法は私、見たことがありません……しかもこの魔法は」
「ああ……この魔法は、神聖魔法でなく通常の属性魔法だ」
通常、治癒魔法と言えば神聖魔法が使われるのが一般的なのは。属性魔法には治癒魔法が少なく、同じ難易度で比較しても回復出来る負傷や部位、そして治癒速度などの効果の弱いものが多いからだ。
だが、目の前に現れた水の精霊様が使った治癒魔法は、回復力、そして治癒速度……どれを見ても比較にならない程、凄い。
「んふふ、当然よぉ?これでもお姉さんは水の精霊なんですから、これくらいの治癒魔法は使えるわよぉ〜」
「え?……ええっ?あ、あなたが、いえ貴女様が……湖の守護者たるう、水の精霊様っっ……?」
どうやらユメリアは、自分の脚の傷を治癒してくれたのが水の精霊様だったというのをようやく理解したらしく。
目を開いたり閉じたりとその事実に驚き、ユメリアにしては珍しく慌てふためいている様子だったが。
「んふふ〜そんな緊張しないでくれていいのよぉ〜ユメリアちゃん……だった、かしらぁ?」
「は……はいっ!」
水の精霊に名前を呼ばれて恐縮したのか、倒れていたユメリアが即座に立ち上がっていき。
と同時に、自分の脚が立ち上がっても何の痛みも違和感もなく回復していたことに再び驚き、傷があった箇所を手で撫でながら恐る恐る脚を試しに動かしていくユメリア。
「……痛く、ないです……普通に、動かせる」
ユメリアの脚が問題なく動けているのを見ながら、腰に手を置きその大きな胸を張って、自慢げに見える水の精霊様。
と、ユメリアの治療を終えた水の精霊様が、今度は俺に指を差してくる。
いや、正確には俺、ではなく。俺の首からぶら下がっているこの首飾りを、だろう。
「……ふぅ。まったく、危ないところだったわぁ〜……まさかお姉さんを食べようとした、あの魔獣の魔力を宿してるばかりか、その魔力を人間が使おうとするなんてねぇ」
「……やはり、アズが持ってきた文献にあった通り、この火神の加護の根源とは、あの魔獣と同じなのですね」
俺は水の精霊様の指摘を受けて、自分の開いた手のひらを凝視して、身体を震わせていた。
それは、もしあのまま俺が体内の「火神の加護」と呼ぶ魔力を御し切れず暴走させてしまったその行き着く先こそが、7年前に集落を半壊させたあの火の魔獣なのかもしれないからだ。
「その首飾りにはお姉さんの水の魔力が込められてるから、多少なりともその危険な魔力を制御する手助けにはなると思うわよぉ〜」
「……そんな貴重なモノを、俺に?」
突然この場に姿を現わした水の精霊様に、ユメリアの脚を治療してもらっただけではなく。
火神の加護を制御しやすくなる、などという効力を持つ貴重な品を無償で譲り受けたことに異議を唱えようとした俺の唇に指を置かれる。
こちらの言葉を発するのを制するように。
水の精霊様という存在をこう評価するのは気が引けるが。
部族の女性たちやユメリアと比較してなお麗しすぎる容姿と、穏やかな雰囲気を漂わせていた水の精霊様の突然の行動に、俺は多分顔を真っ赤にしていただろう。
「んふふ……湖を守ってくれてるだけじゃなく、アズリアちゃんと仲良くしてくれて……お姉さんからお礼を言わせてもらうわぁ〜……で、ユメリアちゃんへの治癒魔法と君への首飾りはそのお礼代わり、と言ったところよぉ〜」
笑顔を浮かべながら、まるで俺に何かを察せと言わんがのように片目を閉じていく仕草にとうとう耐えられなくなった俺は顔を逸らしていく。
その時だった。
俺の視界に映ったのは……先程まで砂漠竜の襲撃に腰を抜かして、獲物に選ばれないよう声を殺していたリュードラが。
四つん這いになりながらも、俺が吹き飛ばした砂漠竜の肉片を拾い上げている姿だった。
俺と視線が合ってしまったリュードラは、途端に慌てふためき、両手両足を忙しなく動かしながら逃げようと試みるが。
「逃しませんよっリュードラっっ!」
「……ぐへええっ?な、何をするユメリア貴様っ放せっ!」
脚が回復したユメリアが素早く動いて、四つん這いの体勢であったリュードラの背中を踏みつけて足蹴にしていく。
砂地に無様に潰されたリュードラが自分の背中を踏んでいたユメリア、そして俺へと悪態を吐く。
「……し、試練の内容は砂漠竜を倒すことじゃない、あくまで素材を先に持ち帰ったほうが勝ちなのだっ!」
「黙りなさいリュードラ!……まさかあなた、護衛のバルガスと一緒に襲撃者を雇い入れ、部族の試練を汚したことを忘れたとでも?」
「……ぐ、ぐうううう、ち、畜生……くそっ!くそっっ!……このオレ様が、代々この部族の支配者に生まれたこのオレが……何でこんな仕打ちをぉぉっ……」
悔し紛れに握った両手で砂地を何度も叩いて暴れるリュードラを、ユメリアが持っていた麻縄で二度と妙な真似をしないよう縛り上げていく。
試練を隠れ蓑にして、俺とユメリアの生命を奪おうと計画したリュードラに腹が立っているのは事実だ。本来ならこの場で斬り捨てても、砂漠竜のせいにしてしまう事も出来たのだが。
つい先日の魔族大侵攻で族長の座欲しさに魔族側と共闘しようとした罪状も含めて、部族の皆んなが見ている前で断罪してやりたいのだ。
父親である元族長のアストスも含めた上で。
「よし、砂漠竜の素材も採取したし試練はこれで完了だ」
俺は試練のために倒した砂漠竜の牙や鱗を数個ほど回収していく。
残った死骸も貴重な素材だ、砂漠の獣らが喰い荒らす前に集落の若い連中に忘れないよう頼んでおかなくては。
「それでは帰りましょうかお兄様、私たちの仲間が待っている集落へ」
「ああ、帰ろうかユメリア────俺たちの集落へ」




