45話 アズリア、王国を去る
これでシルバニア王国編最終話となります。
ランベルン邸でのシェーラ誘拐騒動が起きて、翌日の早朝。
まだ一日に三度なる時を告げる鐘のうち、王都を囲む城壁の扉が開放される知らせの朝の鐘が鳴らされていない内から。
すっかり旅支度を整え、見張りの目を誤魔化して城壁を乗り越えて。王都から出て行こうとするアタシ。
「……ランドル達やシェーラ、師匠に何も言わずに出ていくのは悪いと思ったけど、話したら止められたり泣かれたりするに決まってるしなぁ……」
ランベルン伯爵、もしくはより上の立場の人間からの手配書が住民に配布される前ではあったのだが。もし世間に騒ぎが知られた時に、アタシがまだ滞在していればランドル夫妻に迷惑が掛かる可能性だってある。
本当は……もう少し王都に滞在していたかった。
もっと師匠に、魔術文字の何たるかを教授して貰いたかった。
シェーラと王都を散策するのは楽しかったし、ランドルや奥さんのマリアンヌとももっと話をしてみたかった。
せっかく冒険者として登録したのだから、組合にいた連中と一緒に仕事をしてみるのも面白かったのかもしれない。
王都に滞在して僅かな時間だったが、その思い出を振り返るうちに目には涙が溢れた。
「……うん、でも後悔はしてないよ」
もし、シェーラが誘拐された後に馬鹿貴族の連中に酷い目に遭ったとしたら?
確かに王都には滞在出来るだろうが、きっとアタシは恩人の窮地を見て見ぬフリをした自分を許せないだろうし。事件に関わらなかったことをずっと後悔しただろう。
だから、これでよかったのだ。
「……さよなら、王都で出会ったみんな」
いつまでも感傷に浸っていても仕方ない。
後ろはもう振り返らない。前を向こう。
故郷を捨てて旅立ったあの日だってそうだったじゃないか。
「アズリア、大丈夫。また次に訪れた国で良き出会いがあるさ……きっと」
城壁越しに、ランドルに拾われて一月近く滞在していた王都に立ち並ぶ建物を眺めながら。
ほんの少しばかりの思い残しを置いていく気持ちで、小声で呟き。その場を立ち去ろうとするアタシだったが。
「何勝手な事言ってるのよ」
「一言も挨拶無しに立ち去るのはやめてくれないか」
「また……逢えますよね、お姉様……」
誰もいない筈の城壁の外にもかかわらず。
何故か、アタシを呼び止める数名の声が。
「……え?」
早朝に王都を発つ事は、誰にも告げていなかったのに。
そこには、アタシが王都に滞在していたこの一月近くの間に、世話になった見知った顔ぶれが並んでいた。
一歩、アタシへと歩み寄ってきたのはランドルとマリアンヌの夫妻。そして……貴族から助け出したばかりのシェーラ。
頬にはまだあの馬鹿貴族に叩かれたのか、薄っすらと赤く腫れが残っていたが。
「お前さんのことだ、どうせ止めても行くんだろう?」
「このまま離れを借りっぱなしじゃ、いずれランドルの旦那にも迷惑が掛かるだろ?」
「馬鹿野郎、迷惑なもんか。お前さんがいなかったらシェーラは……商人としては渋い顔をせざるを得ないが、ここは父親として礼を言わせてくれ……ありがとう、アズリア」
ランドルは感謝の気持ちをアタシに伝えるとともに、パンパンに詰まった小さな革袋を手渡してくれた。
持った時の重さとジャラ……という音から、袋の中身が通貨、しかも相当な額なのがすぐにわかる。
「アズリア様、これも是非持っていって下さいな」
「え、マリアンヌさん……この鉄の筒は?」
「いずれウチの商会で扱う予定の魔導具ですわ。水袋の代用品ですが、筒の中の温度が変わらない仕組みになっていますの」
ランドル夫妻は無理にアタシを引き留めることはせずに、餞別にと旅の助けになりそうなモノを色々と持たせてくれた。
次にアタシに声を掛けてきたのは、カイトやネリ、クレストとリアナ。それに……登録試験の時に手合わせしたメノアや他の冒険者達だった。
「俺達、色々アズリアさんに助けてもらいました」
「だから……パーティー名、お姉さんにちなんで『赤髪の戦乙女』にしようかなって」
「……ウェスタの仇を取ってくれてありがとう」
「アズリア。アンタが今度王都の冒険者組合に来たら2等冒険者の証を用意してやるよ。だから次は酒でも一緒に酌み交わそうじゃないか」
「カイト達……お願いだからやめて下さい」
そして……師匠。
側から見れば、ネリと同い歳の何の変哲もない少女にしか見えない彼女が、まさか世界に十二しかいない大樹の精霊だとは誰が思うだろうか。
あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべていた師匠がアタシへと近寄ってくると。
「……何、湿っぽい顔してんのよ。言っておくけど私はアズリアを手離す気はないんだからね」
「師匠、精霊界では色々世話になったね。おかげでアタシは魔術文字の使い道も増えたし、確実に強くなれた」
「……そうね、それじゃ旅の餞別を渡さないとね。ほらアズリア少し屈みなさい。届かないでしょ」
「え?ちょ……ちょっと師匠?それって……んむ⁉︎」
言われるままに師匠と同じ視点まで屈むと、アタシの頭を両手で押さえて顔を近づけてくる。
その勢いのまま師匠の唇がアズリアの唇と重ね合う。
「……っぷはあ!っていきなり何を……」
「んふふー。顔を真っ赤にして可愛いわねアズリア♡……それで私からの餞別は無事に受け取れたみたいね」
「え?……こ、これって……魔術文字?」
「そうよ、豊穣と生命を司る魔術文字。ほら、昨日もだけど……アズリアはすぐに危なっかしい事に首を突っ込むから心配で心配で」
確かにアタシの頭の中に新たな魔術文字が浮かび上がっていた。
「ing」……それが師匠から授かったモノ。
シェーラがアタシに飛び付いてきた。どうも師匠とのやりとりを見ていて羨ましくなったみたいだ。姿が見えないのに何故?
────シェーラ、恐ろしい娘っ!
いつもは腕で我慢してもらっていたが、別れ際くらいは両手を広げてシェーラを受け止めてあげた。
「お姉様っ……助けてもらったのに何も出来ない不甲斐ない私を許して下さい……」
「いいんだってシェーラ。寧ろシェーラが無事ならアタシが大暴れした甲斐があるってモンさ」
「お姉様……シェーラはそんなお姉様が大好きです。だから……シェーラはお姉様が王都へ帰ってくるのを、いつまでもお待ちしています♡」
……アレ?シェーラさん?
もしかして、この流れは身を任せていると色々と駄目な気がしてきた。
「シェーラも来年になったら冒険者目指すんだろ?1等や2等冒険者くらい強くなったら、またどこかでひょっこり会えるかもしれないね」
「……はいっ!ならシェーラは絶対に強くなります!お姉様に一刻も早く逢える日が来るために♡」
これは……もしかしなくても悪化した?
ま、まあ……いずれ夢からは醒めるでしょ。
最後は何だか締まらなかったけど、確かに湿っぽかったりするのはガラじゃないしね。うん。
何故か最後に師匠に足を蹴られた。……何故?
こうやってアズリアは王都を出立した。
アズリアの手配書が配布されたのは、この出来事から三日後のことだった。
勢いのままに第一章を書き終えましたが。
シェーラ誘拐のシリアス調とは打って変わって、去り際はドタバタになってしまいました。
こういった話の流れが気に入らない人はごめんなさい。




