3話 ハティ、それぞれの夜を過ごす
その夜。
明日の朝は早く起きなければいけないのに、寝床に入った俺は全く寝付くことが出来なった。
もちろん危険な砂漠竜と敢えて遭遇することの不安が全くない、と言えば嘘になるのだが。
すると、寝室の扉が静かに開く音がしたので。
ゆっくりと身体を起こして、その音を立てていた人物に声を掛けていく。
「……どうした、ユメリア?」
「ええ、まだ気持ちが昂ってお兄様が寝てはいないといけないと思いまして、寝付きが良くなるお茶を用意したのですが」
この家には俺とユメリアしかいないのだから当然と言えば当然なのだが。
さすがは7年間、二人きりで過ごした家族だ。
まさか困難な試練を族長から突き付けられ、俺が意気消沈しているのではないか……なんて事をユメリアは微塵にも思ってはいないらしい。
俺は就寝のために一度消した部屋の灯りを火の魔法で点火していき、床に腰を下ろしていくと。
ユメリアが、あらかじめ用意してきた茶瓶から緑色の薬草茶を杯に注ぎ入れ、俺に手渡してくれた。
「ああ、いい香りだな」
「ふふ、料理は不得手ですが、薬草を煎じるのは治癒術師として持っていて当然の技術ですからね」
ユメリアの言う通り、料理の腕だけはいつまで経っても上昇する気配を見せてくれないのだ。
その酷さは、兄として贔屓目無しに見ても、容姿も整い、器量も十分、治癒術師としての腕前や知識は先の戦で宮廷魔術師らも舌を巻くほどの長所を帳消しにするほどに……酷い。
まあ……今のところ、それで被害を被るのは出来上がった料理の味見役となっている俺だけなのが救いなのだが。
そんな事を少しだけ思いながら、俺はユメリアが煎れてくれた薬草茶を少し口に含む。
「うん、美味いな……いや、料理もこれくらい美味ければ俺も毎度死ぬような思いしなくていいんだがな」
「ふふふ……お兄様、それは言い過ぎですよ?」
いや、言い過ぎなものか。
俺の家に滞在していた頃のアズが、ただ一度だけユメリアの手料理を口にしたことがあったが、あれ以来アズは妹の料理に匙をつけようともしないのを、俺は知っている。
「……やはり、火神の加護を制御するには、まだ時間が不足していますか、お兄様?」
「ああ、お前がホルハイムに滞在していた時にも俺は欠かさず鍛錬を繰り返していたんだがな……」
茶を半分ほど飲んだ杯を床に置いて、俺は自分の手を開いたり閉じたりしてみながら。
先程、蝋燭に火を灯したように手のひらから紅い炎を出すと。
「────加護よ」
一瞬だけ。
赤々と燃えていた炎が、蒼い炎へと変わり。
バシュッ!と大きな音を立て、燃えている炎の中心部に穴が空き、そこに吸い込まれていくように消えてしまった。
「……この通り、発動まではどうやら辿り着けたんだがな。この程度ならともかく、実戦で使うとなるとてんで制御が出来ないんだ」
「いえ……でも、アズリア様が旅立って4月程しか経っていないのに……まさかこんな短期間で発動出来るまでになっているとは、正直驚きですお兄様」
ここで俺とユメリアが話している「火神の加護」とは何なのか。
俺たちの部族名に「火」が入っているように、この部族の人間には元来、普通とは異なる火の魔力とその根源への接触手段と、そして発現方法が存在した……らしいのだ。
何故そこが曖昧なのか、というと。
俺もユメリアもウチの部族にそんな秘密が隠されていたのを知ったのが、まさに4月も前の事。
アズがマフリートという魔族を倒した際に、その魔族が持っていた火の魔獣の復活方法が記されていた文献を手渡され、目を通したからだった。
「いや、まだだ。ユメリアには話してなかったかもしれないが……俺、アズに告白したんだ」
「ははあ……それで、私にあの指輪をアズリア様に渡すように言付けをしたんですね」
そう。
アズが旅立ったその先ではまだドライゼル帝国とホルハイムの戦争が続いていた。
しかも、王都を完全包囲され圧倒的劣勢だったホルハイム側が、帝国の包囲網を外側から怒涛の勢いで食い破ろうとする部隊と、それを率いる「漆黒の鴉」という女傭兵の噂を聞き。
俺はその傭兵がアズだと確信した。
だから、復興したザラーナの港にコルチェスター王国の増援の船団が現れた時に、俺が駆けつけてやりたい気持ちでいっぱいだったが。
同時に、今の俺が駆けつけてアズに何がしてやれるのかと自問自答した時、央都アマルナを襲撃してきた魔族の長に手も足も出なかった実力では、何も出来ないと悟ったのだ。
だから代わりに。
アズに一番似合うと俺が勝手に思い込んでいる柘榴石を採取し、研磨し、知り合いの彫金師に細工してもらった指輪を、ユメリアに託すに留めたのだった。
「それで、快い返事は貰えたのですかお兄様?」
俺はアズへの告白を思い出しながら、無言ながら首を横に何度も振る。
「……今の俺は、あいつの……アズの隣に並んで歩いていける男としての度量も、剣の腕も実力も何もかもが足りてない」
「(……その割には。お兄様からの贈り物と聞いて顔を綻ばせていましたけどね、アズリア様)」
「ん?……何か言いたそうな顔をしてるな、ユメリア」
「い、いえっ?な、何でもありませんよっ?」
真剣な話をしているのに、先程から俺がアズに告白をして見事に砕け散ったのがそんなに愉快なのか、ユメリアの顔が緩んでいたのが気になって仕方ないが。
俺は残りの温くなった薬草茶を一気に喉へと流し込んでから、潤った喉であらためて決意を口にしていく。
「なら、せめてアイツが手掛かりをくれたこの『火神の加護』を自分のモノに出来るまでは、恥ずかしくてアズに顔も合わせられないさ」
「ふふ、そうですねお兄様。それでは……おやすみなさいませ」
「?」
口元を手で覆いながら、飲み終えた杯をテキパキと片付けて、そそくさと部屋を出ていくユメリア。
妹の態度が気にはなるが、薬草茶の効果なのか変な気持ちの昂りは抑えられ、適度な眠気が目蓋を重くしていった。
────一方、その頃。
「……了解だ。オレと仲間がそのハティとかいう男を砂漠のど真ん中で殺っちまえばいいんだな?」
「……ああ。成功すれば報酬ははずむ。何としてでもっ!……あの憎たらしいハティの奴を始末してくれ」
集落から少し離れた場所。
実は、ちょうど4月ほど前に魔族マフリートとアズリア、そして水の精霊ウンディーネが刃を交えた場所でもある。
そこにリュードラと、禿頭に身体中には無数の傷痕のある大男、さらにその背後には数人の男らが頭巾で顔を隠しながら会話を交わしていた。
「それに、ハティには美人のユメリアという妹がいる。あの女……族長の座に就くこのオレの誘いを断りやがって、何度も何度も何度も何度もぉ!」
「へっへっへ……そいつはいい、で坊ちゃん?その女も当然……」
「殺してくれないと困る……が、きちんと殺してくれるなら、どう楽しんでも構わない」
「へへっ、そうこなくっちゃなあ」
リュードラと族長のアストスは。
砂漠竜と遭遇するという危険な試練内容を利用して、自分の地位を脅かそうとするハティとユメリアを消してしまう計画を立てていたのだった。




