1話 ハティ、試練を与えられる
火の部族。
ラグシア大陸の西部に広がるメルーナ砂漠、その真ん中に7年前突如として湧いた大きな湖、アズ湖。
その湖の恩恵を一身に受けて生活している集落の一つである。
かつては砂漠一帯を支配域とするアル・ラブーン王国の、王を輩出したこともある有力な部族でもあるが。
その部族では、高齢の現族長に代わり次期族長を選出するという、大切な催事が開かれようとしていた。
砂漠の砂嵐を想定し、木材と岩を組み合わせ建てられた族長の屋敷の一室で。
現族長のアストスと、次期族長候補となっていたハティ。そして現族長の一人息子であるリュードラ、そして族長の補佐である老人が二人ほど同席し。
族長アストスが口を開く。
以前ならこう言った合議の場所にも平気で部族の女衆を隣に侍らせていたものだが。
今では集落での地位は失墜し、隣に置くのが老人になってしまったことにあからさまに不満を持った顔をしていた族長アストス。
「……ふむぅ……集落の若い衆らの声は圧倒的にハティ、お前を推す意見が多い。それは認める……が」
ハティを次期族長に推す声は、集落のほぼ総意であり。誰もがハティが族長にこの会議の後、族長に選出されるのを疑ってはいなかった。
そもそもこの火の部族の族長の座は元来世襲制で、族長アストスは自分の息子であるリュードラに次期族長を譲るのが必然……だったのだが。
リュードラは幼少の頃から、親である族長の威光を傘に着ての傲慢な振る舞いが、集落の人間の不況を買っていた。
さらに次期族長争いで焦ったリュードラが、魔族マフリート、そして商人に姿を変えた魔族エルキーザの助力を得て、火の魔獣を復活させようとしていたのだ。
事前にアズリアに計画を嗅ぎ付けられ、秘密裏に二体の魔族を始末されたことでリュードラの計画は頓挫し、集落の大半にその事実が露呈することはなかったが。
……つまり、世襲制をよしとしない大半の部族の人間の意見を無視するには族長アストスの威厳は地に落ちてしまったのだった。
「……集落の重鎮である老人らがリュードラを推す声は無視出来ん。よって、ハティを族長にするのは私は時期尚早と判断したのだ」
それでもその族長は集落の老人らを担ぎ出してまで、まだ息子のリュードラに自分の跡目を継がせたいらしい。
確かにこの集落は、7年前に起きた二つの大事件から色々な転機を迎えてきた。
二つの大事件とは。
一つは、伝承でしかなかった火の魔獣が召喚され、暴走した魔獣によって集落に多大な損害と多数の死者を出したことだ。
しかもその召喚と暴走を引き起こした張本人とは、リュードラに助力していた魔族リュードラだったのだ。
そしてもう一つの事件というのが、魔獣が倒された後にこの付近に突然大きな湖が湧いたことだ。
湖には、魔獣を倒したアズリアを讃える意味で「アズ湖」と名付けられたのだが。
出来たばかりのアズ湖には何故か魚が泳いでおり、水の供給だけでなく湖での漁をすることで、生活様式が一変してしまったのだ。
砂漠の中で水に困る今までの生活からの変化に若者らはすぐに適応することが出来たが。
高齢になればなる程に適応が難しく、以前の生活様式を懐かしみ、頑なに昔からのやり方に固執するようになっていった。
リュードラを支持するのはそういった保守的な老人層であり、彼を次期族長に添えたい現族長アストスはその不満を利用することにしたのだ。
「……そこで、歴史を知る老人らに知恵を借りて次期族長を決定するのに、部族に伝わる『試練』をハティ、そしてリュードラに課そうと思う」
「試練……ですか?」
試練、と聞いて怪訝そうな顔を浮かべるハティと対象的に、リュードラは何食わぬ顔をして試練の話を聞いている。
魔族に力を借りるくらい自分の不利を認識しているリュードラだ、この場で脱落せず族長に選出される機会を与えられた事に食い付いてくるものだと、横にいたハティは不自然さを感じたが。
「そうじゃ、ハティよ……アストスは7年前の大災厄で試練を受けてはおらんがの……本来ならば族長に選ばれるための試練が我が部族には存在するのだ……」
族長に代わり、横に控えていた補佐役の老人が口を開き、試練についての説明をしてくれる。
それは、メルーナ砂漠の砂深くに生息する砂漠竜を見つけ出し、その竜の身体の一部を持ち帰ってくるという内容であった。
一通りの説明を受けて、試練の内容は理解出来たハティだったが。
もう一つハティには我慢出来ないことがあった。
「それを俺が受けるのは構いませんが。何故リュードラまで?」
「ぶ……無礼だぞハティ?こ、この場にオレが同席してるのは、お前と同じく族長候補だからに決まっているだろうがっ!」
横に同席していたリュードラを直に指差し、次期族長の座を話し合う場にいることの疑念を父親であるアストス、そして補佐役の老人らにぶつけていた。
さすがに自分が批難を受けていることには敏感だったようで、顔を真っ赤にして指差すハティに興奮のあまり大声を上げるリュードラ。
「ま、待てリュードラ、あまり興奮するなっ」
「で……ですが父上っ!ハティがこのオレを遠回しに馬鹿にしてきたのです……オレは悪くないっ!族長である父上が決めたことを素直に聞けばよいのに……」
「………………はぁ」
激昂するリュードラを見て溜め息を吐く族長のアストス。
どうやら族長は、試練のことをあらかじめ息子であるリュードラに話していたのだろう。
でなければ、この程度の指摘で冷静さを失うような人間が、砂漠竜を相手にするという内容を聞いて涼しい顔をしていられるはずもない、とハティは確信するに至る。
ハティはアズリアが集落に滞在していた時には寝床や食事などの世話を提供しており、彼女とは7年前から懇意にしていたことから。
リュードラが魔族と繋がっていた事実を知っている数少ない人間でもあった。
その魔族の計画の延長線上には、砂漠の国を震撼させたコピオス率いた魔族や魔獣の大侵攻があった以上、その企みに加担したリュードラを族長になど添えるわけにはいかない。
だからハティは、保守的な老人らの支持を得ていると聞いていてもなお、リュードラがこの場に同席していることに憤慨していたのだ。
もちろん……息子が魔族と繋がっている事を報告したにもかかわらず、族長の跡目を継がそうとする族長アストスにも。
「……し、試練の開始は明日の早朝よりっ。リュードラ、それにハティよ、各自一名のみ試練に協力するための同行者を、部族の中から連れて行くことを許す、内容の説明は以上だ」
アストスは気不味そうな表情を浮かべながら、そのやり取り以来ハティとは一切の視線を合わせることなく、最低限の説明を終えると次期族長を話し合う会合をお開きとする。
その部屋を出る際に、リュードラがハティへとボソリと小声で囁く。
「……砂漠竜は危険な生き物だ。無傷で済めば良いがな……くっくっく」
さて。
アズリアを花嫁にしようとした魔王リュカオーンとの関係を5章で書いてきたので。
2章であまり書ききれていなかった、アズリアに恋心を寄せる男、ハティの話を少しばかり書いてみたいと思います。




