158話 アズリア、剣鬼へ別れを告げる
この島に召喚されてから、およそ一月。
召喚されたきっかけは魔王様の花嫁候補ということだったが。
魔王様にアステロペ、モーゼスの爺さんにユーノやバルムート……様々な人物とアタシは交流する機会に恵まれ。
島の魔族や獣人族らは皆、人間であるアタシを腫れ物を扱うような対応でなく、仲間らと同じ態度で接してくれたのだ。
それは、今までアタシが大陸を旅して回り、出会ってきた大勢の人間らと何ら変わりはしない、そんな住人たち。
相変わらず、食事内容に不満はあったが。
モーゼスが海岸で行っている塩の製作もどうやら順調に進んでいるみたいだし。
レオニールが主体となり、島の南部に居座る帝国領との交流もわずかずつではあるが始まり、少しずつ魔族らの食生活も改善してくることだろう。
あまりに長く滞在し過ぎてしまった感。
アタシが一人旅を続ける本来の理由である「魔術文字の探索」という意味でも、この島では収穫はあった。
神聖帝国との戦争も終結した。
ならばこそだ────連中にこれ以上の情が移る前に、アタシはここから旅立つ決心をしたのだ。
だからアタシはユーノと別れてから、結婚式の会場の支度をしながらあらかじめ城の外へと持ち出しておいた部分鎧や大剣といった装備や旅支度を整えていく。
別れの挨拶はかけなかった。
言葉を掛ければ、ユーノは大泣きして引き留めようとするだろうし、アステロペが魔王様と早く結ばれるためにもアタシは傍にいないほうがいい。
バルムートとネイリージュ、二人の結婚式には、アタシを気に掛けてくれている人物のほぼ全員が参加していたのも都合が良かった。
結婚式を抜け出してきたアタシは、素早く城から離れていき、南にある帝国領へと向かおうとした、その矢先だった。
「……お主、皆に別れの挨拶をせんでよいのか?」
アタシの頭上から突然掛けられた声。
声がした真上へと視線を移すと、そこには木の枝の上に直立していたモーゼスの爺さんの姿。
「やれやれ……上手く全員の目を誤魔化せた、と思ってたんだけどねぇ、爺さんだけは騙せなかったか……まったく、最後まで喰えない爺さんだねぇ?」
「それはお互い様じゃよ……安心せい、他の連中を呼ぼうなどと無粋な真似はせんよ」
結婚式を抜け出し、魔王領を去ろうとしているのをモーゼスに察知されたアタシは、このままモーゼスに連れ戻されるのかと思っていたが。
どうやら、それが目的でないらしい。
「ほっほ、これでもワシは娘が大事での……娘が無事に魔王様と結ばれないと、安心出来んのじゃよ」
「……それについてはアタシも同感だよ。アステロペにゃ早く魔王サマと結婚して、もう二度とアタシにちょっかい掛けないように……魔王サマを躾けてもらわなきゃ困るねぇ?」
「ほほ、全くじゃな」
木の枝からアタシの目の前へと飛び降りてきたモーゼスと、二、三言葉を交わして軽口を叩き合う。
そんな言葉の終わりにアタシは深々と頭を下げていった。
「……爺さん。アンタには剣の使い方を一から教わったりと、色々と世話になったよ……ありがとな」
それは。
修練の内容については不満を言いたい事は山積みではあるが、今までまともな剣の使い方を知らずただ力任せに振り回していたアタシへと剣の業を叩き込んでくれたモーゼスへの感謝。
「なぁに、お主の剣を見て惜しいと思ったから口添えをしてやったまでよ……それにのぅ」
一言二言、何かの力ある言葉を唱え。
パチン、と指を弾くと。
アタシの両手首と足首に装着されていた枷が外れ、地面にドスン!と音を立て転が……らずに枷は地面にめり込んでいた。
「……おおお……腕が、脚も、まるで羽根みたいに軽くなったよッ!」
枷が外れた後の腕を、そして脚を動かしてみると、まるで自分の身体とは思えない程に腕も脚も、軽い。
喩えるなら、今まであのバロールの銀色の魔眼を受けていたかと思えるくらいの違いがあった。
「……本来なら三日程で外してやるつもりじゃったが、まさか装着者の魔力を吸って重さを増すこの枷を半月程も装着していられるとはの……どこまで人間離れしとるんじゃ、お主は」
アタシから外され地面にめり込む枷を見ながら、呆れたような口調のモーゼス。
実はこの枷を外すための合言葉は、前もってモーゼスから聞かされており、重さを感じなくなった時にいつでも外してよい、とは言われていたのだ。
バロールやアディーナ、それに魔王様と一緒に黒いバケモノとの戦闘で、枷を外す機会などいくらでもあったのだが。
すっかり忘れていた、というのが正直なところだ。
あまりモーゼスとの会話に時間を掛けてはいられない。アタシが結婚式に戻ってこないのをユーノはいずれ変に思うだろうし。
別れの挨拶もせずに立ち去った挙げ句、誰かに見つかって連れ戻されるなんて、格好が悪いにも程がある。
「それじゃ、アタシはそろそろ行くよ」
「……のう、アズリア」
帝国領へと足を向けて、軽くなった脚を動かそうとしていたこちらを引き留めるように。
珍しくアタシの名前を呼ぶモーゼス。
いつもはアタシを「主」と呼ぶのに。
「人間の生活が窮屈になったらまたこの地を踏むがよいアズリア……我らはいつでもお主に門戸を開いて待っているからのぅ」
不意に掛けられたモーゼスからの優しい言葉に、アタシは胸がきゅぅぅと締め付けられる思いをして、広がる空を見上げていた。
上を向いていないと、涙が出てしまうから。
「────ありがと」
モーゼスに聞き取れるかどうか、という程の小さな声で目の前のモーゼスに、だけではなく。
今まで出会ってきた魔王様ら全員への感謝の言葉を呟き。
アタシはそのまま帝国領へと駆け出していった。
何故、帝国領へ向かっているのか。
それは魔王領にはなくて、帝国領にはあるもの……海を渡ることが可能な頑丈さを持った船に乗るためであった。




