156話 アズリア、レオニールの笑顔を見る
アタシが、自分の側に刃を向けて差し出した短剣の柄に、震わせながらも両の手を近づけていくレオニール。
そして、彼女の手が短剣をいよいよ握る。
「アンタが魔王サマを裏切ったのは、コピオスが理由なんだろ?……その敵が、今目の前にいるんだ、何を躊躇うんだい?」
両手で握る短剣をこちらへと向けながら、レオニールの視線はアタシの顔と手にある短剣の刃を何度も交互に見やっていた。
「……コピオス様の……敵……うう……」
そして、短い短剣の刃を深く突き刺すためにアタシとの距離を一歩、詰め寄ってくると。
冷たい刃先がアタシの剥き出しになった腹に当てられる。
腹への焼けるような激痛を想定し、下手に声を出して先を歩く魔王様らに気取られないように目を閉じて歯を食い縛り。
レオニールがアタシの腹を短剣で刺し貫く瞬間を、今か今かと待っていたのだったが。
その直後、地面に短剣が落ちる音。
その音で目を開けたアタシの視界には、その場で両膝を突いて座り込んで、短剣を落とした両手を開き、愕然としていたレオニールの姿であった。
「……は、はは……狡いっスよ、アズリアさん……私が、裏切りがバレたら逃げ出すような臆病者だって見抜いてるクセに……真正面から……こんな勝負、持ち掛けてきて……」
そんなレオニールと目線の高さを合わせるように屈んで、何故彼女に短剣を手渡すなんて真似をしたのか、その理由を話していく。
「アタシもさ、アンタがそこまでコピオスの事を想ってたんじゃなきゃ……黙っててもよかったんだけどねぇ……『好き』、だったんだろ?コピオスの事がさ」
「なっっ⁉︎……な、なななっ!何いきなり言うんですかっわ、わわわ、私なんかがコピオス様のことを好きでいいハズがっ……」
アタシの言葉に目に見えて動揺し、慌てて舌を噛みながらも言葉を濁して、自分の胸に秘めた想いを否定しようとするが。
それでも真剣な眼差しで彼女を見続けていたアタシの態度に、徐々に冷静さを取り戻しなからポツリポツリと本音を吐露していく。
「……大体っスよ。好きな人の敵も満足に討てない臆病者だから……コピオス様は、私を一緒に連れて行ってもらえなかったんスよ……」
「────それは違うぞ、レオニールよ」
突然、レオニールとアタシ以外の第三者の声がこの場に割り込んできたのだ。
それは……バルムートの声だった。
「……っ?ば、バルムート様っ……それはどういう……?」
いつの間にアタシの背後に立つバルムートの巨躯と、その隣に立っていたのはアステロペと一緒に治癒魔法を行使していた、脚が触手の女魔族。
その女魔族が、アタシに向かって口を開く。
「ふむ……お主がバルムートより聞いていた暴走したコピオスを止めてくれたという人間の戦士じゃな……彼奴の友人として礼を言わせてくれ」
「あ、いや……えっと、それはイイんだけど……」
アタシはその女魔族との面識がなかったので、少し困惑していると。
「そう言えば主とは初対面じゃったな人間よ……妾はネイリージュ。コーデリア島周囲の海を支配する海魔族を統べる女王にして、コピオスの友人でもあったわ、以後よろしゅうの」
「あ、ああ……アタシはアズリア。どうやら隣にいるバルムートから色々とアタシに関する話は聞いているみたいだねぇ……」
最初にアタシを見た女魔族が、早速「コピオスを倒した」と評したということは、バルムートがその事を彼女へと話したのだろう。
……別に口止めはしてなかったが、そんな話をコピオスを信頼していた魔族らに聞かれようものなら要らぬ恨みを買いかねない。
バルムートの意外な口の軽さに辟易とし、彼を睨みつけていくのだが。
そんな視線の意を介する様子もなく、何故睨まれているのか皆目見当もつかないバルムートはただ首を傾げながらも、レオニールへ声を掛ける。
「コピオスはな、レオニール……お主の事をこの島から去り行く直前に俺とネイに託したのだ。『レオをよろしく頼む』と言って、な」
「……え、コピオス様が……そんな、嘘っスよ、だって……私の前で……レオ、だなんて呼んでくれたことなんて……」
「嘘ではないぞレオニールよ。彼奴、コピオスはの、我らと話す時はいつもお主の事を楽しげに『レオ』と呼んでいたぞ」
どうやら、レオニールはその臆病さから自分を過小評価しすぎる余りに、コピオスの侵攻に参戦させてもらえなかったのを「置き去りにされた」と絶望していたようだ。
だが、バルムートとネイリージュの言葉によってそれが彼女の勘違いであり、コピオスもまたレオニールを思い遣った結果、島へと彼女を置いていく選択をしたのだと。
「……じゃからレオニールよ。もう、これ以上自分を追い込み、責めるでない。お主が死んだり魔王を裏切れば、コピオスだけでなく、彼奴からお主を託された妾らも悲しくなる」
「……は、あはははっ……そっか……そうだったんスね……私、捨てられたわけでも、見限られたわけでもなかったんスね……コピオス様ぁぁ……ぅぅぅぅぅぅ……」
コピオスの友人であった二人の真実の告白に、コピオスに自分の想いが拒絶されていた、と勘違いし続けていたレオニールの心がようやく氷解していく。
だが。
だからといってコピオスを失ったレオニールの哀しみが癒されたわけではない。寧ろコピオスもまた彼女を友人に託す程に大切にされていたと知ったのだ。
哀しみは、さらに深くなるのかもしれない。
アタシは、声を殺して泣いているレオニールの震えている肩をそっと抱いてやると。
「……コピオス様は、私を守りたいから島に残したんスよね……なら、私は、この島でやらなきゃいけない事がある、それがコピオス様の意思で、遺志なら……泣いてなんかいられないっスね……」
腕で目をこすり、涙を拭いながら立ち上がって、アタシへと笑顔を無理やり作ってみせるレオニール。
「……アズリアさん、お願いがあるっス」
「一度は腹を刺されてもイイと覚悟を決めた身だからねぇ、大概のコトなら遠慮なく言ってごらん?」
「後で、コピオス様とアズリアさんがどんな戦いを繰り広げたのか、詳しく話を聞いてみたいっス……駄目っスか?」
アタシたち人間側にも絶対に譲れない事情があったとはいえ、レオニールが愛する者の生命をアタシが奪ったのは紛れもなく事実だ。
どんな無茶な提案をされても、アタシは応えられる限りは実行する覚悟でいたが。レオニールの提案は、アタシが呆気に取られるような内容であった。
「……もちろんだよ。コピオス、あの魔族は強かったねぇ……多分、当時のアタシ一人じゃ絶対に勝てなかったよ」
「ふふん、当然っスよ。コピオス様は四天将最強のお方だったんスから、いくらアズリアさんが強くてもそう簡単には────」
砂漠の国で刃を交えた蠍魔族との死闘は忘れようとしても忘れられるわけはない。
アタシは央都アマルナの防衛戦の様子のそのくだりをレオニールに話して聞かせていると。
「その話、是非俺も聞きたいものだ。それにレオニールよ……四天将最強、というのは聞き捨てならんなあ、ん?」
「これ、バルムートよ……あまり凄むでない。してアズリアよ、妾も旧友だった男の最後を聞いておく権利はあると思うのじゃがな?」
バルムートとネイリージュ。
コピオスの友人であった二人が、目をキラキラと輝かせながらレオニールとの話に割り込んできたのだった。
「わかったわかったよッ!順序立てて一からきっちり話すから、続きは城へ帰還してから話すよッ!……レオニールもそれでイイだろ?」
先程レオニールを説得する落ち着いた態度とはまるで真逆の、子供のように好奇心旺盛な顔をしながら首を縦に振る二人だったが。
その決定に片手を上げて、違を挟むレオニール。
「あ……でも、アズリアさん?」
「何だい?……どうしても此処で話さなきゃ駄目かい?」
「いえ、その……城に帰還したら、まず間違いなくユーノ様はアズリアさんに飛びついてくるっスよ?」
そろそろ陽が落ちる。
夜は長くなりそうな予感だった。




