153話 アズリア、左指に嵌められたモノ
「……なに、お姉ちゃん?……いまの声?」
突然、泣き止んだユーノがアタシに尋ねてきた。
もちろん、先程の師匠の言葉はアタシの記憶の中だけのことだ。
決してユーノが聞こえるはずのない声なのだが、アステロペやもう一人の女性を見渡してみると。
「……いや、確かに今、貴様から声が聞こえてきた、間違いない……声の主は明らかに貴様ではないが」
「あ……ああ、妾も聞いたぞ」
あり得ない。
アタシが勝手に思い浮かべていただけの、師匠の声がこの場に聞こえてくるなんて。
すると、力が及ばす落ち込んでいたアタシの肩に手を置いて、慰めの言葉をかけていた魔王様とバルムートが、地面にある一点を凝視していた。
二人の視線の先には横たわるレオニールの身体。
「お……おい、アズリア……み、見ろ……?」
「ああ、貴殿の想いが、魔力がレオニールに通じたのだ!」
二人が今にも叫び出しそうな顔をしていたので、慌ててアタシもレオニールの身体を確認していくと。
先程まで蒼白だった顔色が、生気ある赤みがかった肌の色へと戻っており。胸も打って変わって力強く上下に動いて息をしている。
彼女の手を握ってみると、死人のように冷たかった体温はすっかり温もりを帯びていた。
重ね掛けた生命と豊穣の魔術文字の効果が、かなり遅れて発揮されたのか。
それとも、レオニール自身の生命力が死の運命を蹴飛ばしたのか、神様の気紛れが起きたのかは定かではない、が。
ともかく、レオニールは一命を取り留めたのだ。
「……この際、理由なんてどうでもイイコトさね。まずは────うわぁぁあああ⁉︎……何だい何だいッッ?」
「お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃぁぁぁああんっ!レオちゃんたすけてくれてありがとねええええ……うわあああああああんっ!」
一度は救えなかった、と思った生命が救われたという感傷に少しだけ浸っていたアタシの背中に、突然襲い掛かる重圧感。
その正体は、今度は嬉し涙で顔をぐしゃぐしゃにして背中に抱きついてきたユーノだった。
突然のユーノの突撃に、思わず体勢が前のめりに崩れ、まだ目を醒さず寝たままのレオニールの身体に倒れそうになるが。
そんなアタシを支えてくれていたのは、肩に手を置いたままの魔王様だったのだ。
ちなみに、アタシの後ろでは。
旧友の部下が生還したことを顔を手で隠しながら、声を殺して静かに泣いて喜んでいたバルムートの姿。
あの名前を知らない下半身が触手の女魔族は、バルムートの横に寄り添っていた。
倒れているレオニールへと駆け寄るアステロペは、アタシと同じく顔色や胸や息、そして傷口を見て彼女の無事を確認すると。
額に一本指を置いて「覚醒」の魔法を発動し、無理やりに目を醒させる。
そして、レオニールの目蓋がゆっくりと開き。
「……あれ……アステロペ様……じゃ、ないスか……どうしたんスか……そんな……泣きそうな、顔して……」
「レオニール……この馬鹿モノが!私らに何の申し開きもしないまま、置き手紙一つ残して姿を消した挙げ句にこのザマか!……馬鹿が」
一番最初に視界に入ってきた人物の名前を呼ぶレオニールの辿々(たどたど)しい喋り方。
アタシにも何度か経験があるが、血を多く流した後は頭が完全に動くまで時間が掛かる。今は多分目を醒ました直後ということもあって、まだ頭が充分に回っていないのだろう。
そんな目覚めたばかりのレオニールを怒鳴りつけていくアステロペだが。
その内容は、裏切られた事への怨恨などではなく、寧ろ勝手に自分らの前から説明もなく逃げ出した事への憤慨だった。
しかも、叱咤の言葉を繰り返すアステロペの目には涙が浮かんでいた。
「……は、はは……わ、私……臆病者なんで……アステロペ、様……魔王様は?……魔王様は……無事っスか?」
どうやら頭の回転が元に戻ってきたレオニールは、自分がこんな状態に陥る直前の行動をようやく思い出して。
庇った対象である魔王様を視点を泳がせて探していく。
「ああ、俺様は無事だ……レオニール、お前のおかげでな……ありがとな、生命の恩人」
「い……いや……私はずっと魔王様を裏切ってきた……叛逆者っス……最後に、魔王様を守って死ねれば……丸く収まったんっスけどね……」
確かに。
レオニールが神聖帝国と内通し、魔王陣営の情報を流していたのは間違いない事実だ。
そして、そのせいで魔族や獣人族相手に能力で劣る帝国兵が互角に競り合うことが出来た事で、二つの勢力の衝突が長期化した……というレオニールの罪は、決して軽視出来るものではない。
アタシは、魔王様がレオニールをどう扱うのか、口を挟むことなく二人の会話を注視していた。
そして、どうやら他の連中もアタシと同じように魔王様の対応を見守っていた。
「悪いなレオニール。お前を、俺様を裏切った罪で罰を与えたいのはやまやまなんだが……事情が大きく変わってな、お前に暇をくれてやる余裕が俺らにはねえんだ」
「え?……そ、それって……どういうコトっスか?」
「……帝国は、今回の襲撃に国の命運を賭けていたと襲撃者は言っていた。で、俺様たちはその襲撃を見事に撃退した。よって……帝国の人間どもとの抗争はこれで終わりだ」
この場にいた全員の注目を一身に浴びた魔王様は、腕を組んで悩んでみせる素振りを見せながら、チラリと目配せしてくる。
その視線の先は……アタシだった。
多分、魔王様はアタシが姿が見えなかったのは、討議の間で言ったように帝都へ行って人間らの様子を見てきたと推察していたのだ。
だが、ちょうどいい機会だ。
アタシはレオニールへと自己紹介していく。
「……はじめまして、になるかねぇ。アタシはアズリア、見ての通りの人間だけど理由あって今は魔王サマの味方をさせてもらってるわけだ」
「……ど、どうもっス……わ、私は、レオニール……こんなザマっスが……これでも、魔王様の下で……四天将って呼ばれてたっス……」
目の前に人間がいる、ということに多少怯える様子を見せていたレオニールだったが。
アタシは早速、懐から帝国の重鎮を自称していた円卓と名乗る爺さんらから貰ってきた指印が押された草紙を取り出していく。
魔王様やバルムート、それにユーノはその草紙を見ても、首を傾げるばかりだったが。
「……な?な、なななな、何スかこりゃあ⁉︎……え?う、嘘っスよね?……円卓の連中の指印が全部揃ってるなんて……は、はは……あり得ないっス……」
レオニールだけは反応が違っていた。
さすがは神聖帝国と内通していただけあって、ある程度は帝国内部の事情には精通しているようだ。
だからアタシは、立て続けに帝都で握った情報をレオニールに話していく。
────だが。
その時、アタシは気付いていなかった。
左手の指には、ユメリアから手渡されたハティからの贈り物である柘榴石の指輪と。
シルバニア王国の王都シルファレリアで、師匠に鍛えられた際に、いつの間にか装着していた、木の根が集まって出来たような台座に緑色に輝く石の嵌まった指輪。
その緑の指輪が消えていたことに。
「……あの娘、指輪に込めておいた私の加護を使ったわね」
自分の領域である精霊界にて。
突然、ホルハイムから姿を消した……とアズリアと一緒にいたエルという人間から聞きつけ。
世界に散らばる精霊同士の繋がりを最大限に利用してアズリアの居場所を探してみたが、まるで音沙汰はなく。
途方に暮れていた、というのが正直なところだ。
だが、彼女をお気に入りに認定し、密かに渡していた大樹の精霊の加護を込めた指輪。
もしもの時のために、一度限りの生命の蘇生が叶うだけの自分の魔力を。
今になって、あの娘は使ったのだ。




