152話 アズリア、生命の魔術文字を使う
ともあれ、アタシの魔力は何とかアステロペ特製の魔力回復薬の効果によって回復することが出来た。
ならば、既にレオニールには魔術文字を記してある。
後はもう一度、魔術文字に回復した魔力を流し込むだけだ。
「今度こそ……発動してレオニールの身体を治癒してくれッ────ing」
アタシが送り込んだ魔力に反応して、魔術文字が優しい緑色の光を発して、傷つき倒れたレオニールの身体を包み込んでいく。
緑に輝くレオニールの身体、その脇腹を貫通した大きな傷が徐々に小さく、傷口がみるみるうちに塞がっていき、多少歪ではあるが皮膚が再生していく。
「お、おお……信じられん……以前にも村人らやゴードンの治療を間近で見せてもらったが……それにも増して凄い回復速度だ……」
「すごいすごいっ!……レオちゃんのお腹のキズがぐんぐんふさがっていくよお?」
レオニールの身体の目に見える変化に、バルムートやユーノが驚きと称賛の声をあげる。
もちろん、驚いているのは二人だけではない。
先程まで治癒魔法をレオニールに発動し続けていたアステロペと、もう一人の女性も。アタシの発動した重ね掛けの生命と豊穣の効果に、目を見開いて驚きの表情を浮かべていた。
「……のう魔女よ、あの人間は……一体何者なのじゃ?……妾とお主が二人掛かりでようやく溢れ落ちる生命を留める程度だったというに……」
「……なあ、ネイリージュよ。あの人間が、リュカオーン様と互角に渡り合い、暴走したコピオスを止めた張本人だ、と言ったら……お前は信じるか?」
もちろん。海の女王も全く素性の知れない人間が我が者顔で魔王陣営を闊歩し、あまつさえ魔王を含む全員と一定以上の交流がある様子なのだ。
疑問に思わない筈もなく、アステロペにその事を問い正すが。
アステロペの言葉を聞いて、最初は彼女が冗談を言っているものだと笑い飛ばそうとしたが。
元々生真面目な性格のアステロペが、このような状況で気の利いた冗談を言えるなどとは思えなかったので。
「……真実なのじゃろうな?」
「お前がそんな反応をするのも無理はない……何せ私とて今でも信じられんのだ。人間の分際で神聖帝国に、ではなく……我ら魔族に身体や生命を張ってまで味方する人間が出てくるなど、な」
魔術文字を発動し、レオニールを治療しているアタシに視線を送りながら話し続けるアステロペの表情は。
何故か、回復薬を飲ませた時とは打って変わって優しい笑顔を浮かべていた。
この場にいる全員が、脇腹の傷がすっかり塞がったレオニールがいつ目を開けるのかを期待しながら、倒れている彼女を注視していた。
治癒魔法を発動しているアタシの邪魔になってはいけないと思ったのか。
アタシの腕にではなく、魔王様の腕にしがみついていたユーノが、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらその魔王様へと尋ねていく。
「……大丈夫だよねレオちゃん?キズがなおったんだもん、もう大丈夫だよね?お兄ちゃん?」
「わからん。とにかく……あとはアズリアの治癒魔法に任せるしかねぇ……魔王、なんて呼ばれながら俺様に出来る事がないってのがこんなに歯痒いなんてなぁ…………くそっ!」
「……お、お兄ちゃんっ?手から血が出てるよおっ!」
ユーノとしては頼りにしている兄に、レオニールの無事を是が非でも肯定して欲しかったのだろう。
だが、自分の身代わりになって致命傷を負わせ、もしかしたら生命を失うやもしれない彼女を目の前にした魔王様は、自分の不甲斐無さに苛立ち、ユーノの望んだ言葉を発することはなかった。
悔しさのあまり、握り締めた拳の手のひらに爪が喰い込み、血を流しているのをその腕にしがみついていたユーノが見つけ、声をあげるが。
魔王様はそんなユーノの声に反応せず、倒れたままのレオニールから視線を外すことはなかった。
顔色を蒼白に変えたまま倒れていたレオニールは、傷が癒えても一向に目を醒ます気配はなく、顔に赤みがかった生気ある色が戻っていかないのだ。
目を醒さないのは仕方がないとしても、だ。
顔色が戻らないのは、魔術文字による回復が上手くいっていない証拠だ。
人間も魔族も獣人族も、種族が違おうが一つの例外もなく、身体に流れている血を外へ漏らしすぎれば待っているのは「死」だ。
以前、魔力が枯渇するまで生命と豊穣の魔術文字を行使して、集落で複数の負傷者を治療したことがあったが。
この生命と豊穣の魔術文字は高位の治癒魔法と同じく、回復する対象の体力や魔力を消耗することはないのはわかっている。
だから、レオニールのように血を流しすぎて顔色から生気を失っていた重傷者も、魔術文字で怪我を治療されたその顔には生気が戻っていた。
だが、いくら魔力を注ぎ込み、身体の傷を癒やしたものの、レオニールの顔は変わらずに死んだように白く。
先程まで凝視すれば、何とか上下に動いていたのが見えていた胸が動かなくなり、息が止まっていた。
手を握っていくと、彼女の手はまるで血が通っていないかのように冷たくなっていた。
「……傷口が再生したんだ。まだ死んでるわけじゃない……なのに、なのに……何で顔色が戻らないんだよッ────戻れ……戻れよおッッ!」
アタシの治癒魔法が効果を発揮しなければ、レオニールは間違いなく、死ぬ。
なのに。
いくらアステロペ特製の回復薬で回復した魔力を魔術文字へと注ぎ込んでも、顔色に生気が戻る気配がない。
その時、ボソリとアステロペが呟く声。
「……いくら傷を塞いでも、魔法では流した血は元には戻らん……血を流しすぎたのだ……」
アタシは悔しさのあまり、両の拳を振り下ろして地面を叩きつけるが。
そんなアタシの両方の肩に置かれた、手。
「アズリア……お前はよくやったよ、悪いのは油断した俺様だ……お前はもう休めよ」
「アズリア殿よ……レオニールも、自分の意志で魔王を庇ったのだ。覚悟は出来ていたのだろう……」
アタシの背後からはユーノが大泣きする声。
「うわぁああああああああんっ!れ、レオちゃん……しんじゃったあああ!うわああああん!」
アタシは魔術文字を行使する事で、自分の前に立ち塞がってきた様々な障害を跳ね除けてきた……つもりだった。
二重発動に同じ魔術文字の重ね掛け、新しい魔術文字の使い方を見つけるたびに、アタシは自分が「強くなった」と勘違いしていた。
そう、結局は人一人助けることも出来ない。
不意に、アタシを鍛えてくれた師匠の顔が思い浮かぶ。
もし、ここに師匠がいたら。
鼻で笑われた挙げ句に、この程度の負傷なんてあっという間に治療してしまうのだろう。
『────まったく、本当に駄目な娘ねアズリアは。腹に大穴が空いた程度で大袈裟に泣き喚いて……ほら、治ったわよっ』
何しろ……師匠との精霊界での訓練では、同じ程度の重傷を負うことも日常的に、だったので。
師匠からこんな言葉を投げ掛けられるのも一度や二度ではなかったのだ。
……何故かこんな時に、あの当時の出来事や師匠の言葉をアタシは思い出していた。




