151話 アズリア、かつて裏切った者の元へ
魔王様に抱きかかえられながら、アタシは初めてレオニールという猫人族の女性の顔を見ることが出来た。
見た目には茶色の長い髪を後ろで編み込んで垂らしている、美人というよりは可愛い部類に含まれる愛嬌のある顔立ちだが……それを目の下の濃い隈が台無しにしている。
その腹部には大きな穴があき、脇腹が半ば抉れ出血の度合いが酷い。
「……確かに。コイツぁ、完全な致命傷だねぇ……いくら師匠から譲り受けた魔術文字でも絶対に無理だよ。重ね掛けでも……どうにかなるか……」
何とかアステロペともう一人、アタシの知らない下半身が触手の人物による治癒魔法の効果で、これ以上の出血を抑え、何とかまだレオニールの息や心の臓は止まってはいなかったが。
アステロペらの厳しい表情は、何もレオニールの容態が改善しないという理由だけではなさそうだ。
「……はぁ……はぁ……しょ、正直言って、私もネイリージュも、そろそろ体力が、げ、限界だ……」
何故、アステロペらがここまで消耗しているのか、それは治癒魔法の仕組みが関係している。
初歩的な治癒魔法というのは、負傷した当人の回復能力を加速度的に高めていくが、治癒はあくまで対象の体力や魔力を消耗するため、術師の負担は少ない。
だが、重傷者へ使用する高度な治癒魔法は、対象の体力や魔力を同じように消費すれば即、生命を落とす危険があるため、回復のための全魔力を術師が支払う必要があるためだ。
ここまで運んでもらえたらアタシも何とか身体を支えることは出来る、と魔王様の腕の中から逃げるように、何とか身体を動かしレオニールの傍へと座り込む。
……そうでもしないと、レオニールに治癒魔法を掛けている筈のアステロペが送ってくる視線による無言の圧力が恐ろしいのだ。
「……そ、そんなあ、お姉ちゃんっ?……レオちゃん……もう、助からないの……?」
「はは、そんな顔すんなよユーノ。まあ、アタシがやれるだけの事はやってみるつもりさね」
そんなアタシの言葉を聞いて、涙目になって腕にしがみついてくるユーノ。
……まったく。
一緒に飛竜と戦ってた時はあんなに頼もしい相棒だったってのに、こういう時になると普通に歳相応の女の子に戻るんだからさ。
そんな顔されたら「魔力が尽きた」なんて弱音、吐けないじゃあないか。
アタシは震える膝を何度となく拳で叩きながら、自らの二本の脚で立ち上がると。
一度塞がった両手それぞれの指の傷を、歯で強く噛んでもう一度開かせて血を滲ませ、魔術文字を使う準備を整えていき。
「……いくぜ……せめて、この魔術文字を発動するくらいは……絞り出してやるよッッ」
レオニールの、血で汚れていない二箇所へ生命と豊穣の魔術文字を描いて。
決められた力ある言葉を紡ぎ終える。
「我、大地の恵みと生命の息吹を────ing」
……だが。
いつもであれば、魔力を注ぎ込んだ魔術文字は、師匠を連想させる木々のような緑色に輝き出す。
なのに、今回に限っては何の反応も示さない。
もちろん、アタシの身体から魔術文字へと注ぎ込まれる魔力の流れは一切感じない。
やはり、今のアタシには魔術文字を行使するだけの魔力は残っていなかったのだ。
その結果を目の当たりにした途端、ユーノの泣き顔を見て奮起し、ようやく立っていた脚の力がスゥ……と抜け、膝から崩れ落ちる。
「────まだ諦めるな!アズリアよ!」
アタシを叱咤する声と一緒に、口に何かを咥えさせられ、流れ込んでくる液体によるとんでもない苦味で口の中が満たされていく。
「────うぷッッ⁉︎」
「吐くな!全部飲み込めっ!」
思わず吐き出してしまいそうになるが、口に突っ込まれた容器をさらに押し込まれ、吐き出すことを許さない。
口いっぱいに広がる暴力的な苦味を何とか耐えながら、どうにか喉の奥へと流し込んでいく。
「…………うぇぇぇぇぇ……に、苦ぁぁぁぁぁ……」
「まったく、貴様というやつは……私特製の魔力回復薬を飲ませてやったというのに……それを吐き出そうとするとはふざけてるのか?」
そうアタシへと怒鳴るのはアステロペであった。
レオニールへ発動し続けていた治癒魔法を止めて、アタシへと魔力を回復する特製の薬を飲ませてくれたのだ。
「……だけどさ、それなら別にアンタがユーノなり、バルムートなり魔王サマなりに魔力回復薬渡せばよかったんじゃ?」
「……ふん。回復薬の類は硝子製の瓶に入れてあるのだ。普通に持ち歩けるわけなかろう……こういう事だ」
アステロペが無詠唱で、指で何かを描いた空間が突然口を開いたかと思うと。
その空間に何も持たずに手を入れた彼女が、その口から抜かれた手には、綺麗な硝子製の薬瓶が握られていたのだ。
「闇魔法と、私が持つ使い魔を応用した収納用の空間だ。薬瓶二、三本程度なら持ち運べる……が、私しか取り出せない不便な魔法だ────いや、そんな事はどうでもよい!」
確かに、今アタシに魔力回復薬を飲ませるために、レオニールへの治癒魔法を止めたということは。
辛うじて止まっていた出血や、動いていた心の臓や息が止まる可能性だってある。
「どうだアズリアよ、魔力は回復したか?……本来ならば私がリュカオーン様専用に作り上げた特製の薬なのだ、効果が出てもらわなければ困るのだが、な」
「お……おお?……おおおお……腹の、奥が熱い……何だ、コレ?……おおおお……ッッ……」
アステロペに飲まされた回復薬の効果なのか。
アタシの腹が焼けるように熱い。それはまるで、先程飲み込んだ液体が山から湧いて流れる溶岩だったか、と勘違いする程に。
身体の内側から焼かれるような熱と同時に、指先に感じるのは……先程まで尽きていた、魔力。
その様子を見ながら、少しばかり無念そうな表情を浮かべていたアステロペ。
それは、自分が得意としていた「魔法」という分野で、恋敵だと勝手に思い込んでるアタシへと委ねなければいけないという事態に。
「貴様に頼るのは悔しいが……このまま私たちが治癒魔法を続けていても、レオニールに待っているのは『生』ではなく『緩慢な死』だ……ならばアズリアよ、レオニールの生命は貴様に託したぞ」
と、アステロペが右手を差し出してきた。
あの彼女が……と思わず差し出された手を握ろうとアタシが手を伸ばす。
「ああ、任せておきなよッ……って、アレ?」
スッ……と手を引っ込めていくアステロペ。
その彼女は、アタシへと目線を合わさないように顔を背けながら、多分今出来る精一杯の意地を張った言葉を口にしていく。
「ふん……言っておくがな、私は貴様が大嫌いだ」




