147話 アズリア、神を縛る魔鎖
アタシが大地の精霊の転移魔法で、工房のある洞窟へと辿り着き、そこへ彼女を置いて魔王城まで全速で駆けつけた時には、もう戦闘が始まっていたようで。
帝都でアディーナが変貌を遂げた、「セドリック」を名乗るあの黒い怪物が魔王様と戦っている最中だったのだ。
しかもその怪物の頭には、アタシが土中に埋めて隠したはずの漆黒の鹿杖とおぼしき鹿角まで生えており、しかも劣勢に見える魔王様へと魔法を発動する瞬間だったではないか。
アレを止めなきゃ、と頭に警報が鳴り響く。
そうアタシが思った途端に、身体が自然と指に傷を作り、まるでその魔術文字が「自分を使え」と主張しているかのように、指が勝手に傷口から滲む赤い血で、とある魔術文字を描いていく。
それが、今あの怪物を縛る黒い鎖だ。
アタシが描いた「tir 」の魔術文字から作成された鎖は、アタシの想定した通りに漆黒の鹿杖の魔法の発動を止めてくれたが。
……まさか口から吐き出していた吐息まで遮断するとは思ってもいなかった。
「ふぅ……間一髪、ってとこだったねぇ魔王サマッ……それとも、余計な世話だったかい?」
黒い閃光が打ち消され、防御一辺倒に押し込まれていた魔王様へ、少し皮肉気味な声をいく。
「う……い、いや。余計な世話なんかじゃねえよ……素直に助かったぜ、ありがとなアズリア」
最初はどうにか言い訳を考えたのだろうが、首を横に振ってから皮肉を込めたアタシに対して、素直に感謝の言葉を返してくる魔王様。
アタシが魔王様の少し後ろへと視線を移すと、そこにはバルムートを始めとした魔王陣営が勢揃いして何かをしている様子だった。
多分、魔王様はそんな皆んなを守るために、敢えてあの黒い閃光を防御していたのだろう。
……それで自分が窮地に追い込まれていては本末転倒だが。
「……俺様を庇って、レオニールに大怪我を負わせちまった。今、アステロペたちが必死で傷を回復してるが、状況は芳しくない……」
「……ん?レオニールって、確か……置き手紙を置いて去っていった四天将の、かい?」
魔王様が、後ろに集まっているユーノやバルムート、アステロペらが一体何をしているのかを教えてくれる。
置き手紙で、自分が裏切って帝国側に情報を流していたのを認めて、断罪される前に魔王陣営から姿を消した、そのレオニールが魔王を庇った、というのだ。
「ああ。そもそもレオニールに裏切られたのは、帝国や人間に対して不甲斐ない態度を取り続けてた俺様に、コピオスも思うところがあったからだ……だから許す許さないの前に、俺様はあいつと言葉を交わさなくちゃならねえ……」
普通なら、裏切った側がその身を呈し、裏切りの対象を庇うのも。負傷した裏切り者を必死になって回復しようとするのも、人間の世界ではほとんど見られない信じられない光景だ。
……まあ、魔王領の魔族はそんな連中だからこそ。
アタシも進んで力を貸したくなるのだが。
「……だったら、まずはこの神を名乗るバケモノを塵に返してから、だねぇ」
「ああ……それじゃあの黒い勇者に見せつけてやるか、俺様とアズリアの男女愛をな」
「…………それ、アステロペに聞かれたらこの戦闘が終わったら死ぬよ……アタシまで巻き添えは御免だからね、魔王サマ?」
こんな軽口を叩けるくらいに魔王様の心に余裕が出てきたのは、それだけアタシが到着する前はあんなに窮地だったのだろう。
そんな言葉を交わしたまま、アタシと魔王様は、黒い鎖に拘束されていた神を名乗るバケモノへと向き直ると。
所々、装備していた鎧が剥がれ落ち剥き出しになった黒い肌の表面に竜属を思わせる鱗を浮かび上がらせ、内側から自分を縛る鎖を破壊しようと力を込め。
鎖はその力に耐え切れず、ピキピキ……とあちらこちらに亀裂が走り始める。
「なあ……アズリアよ。もう一度、少しばかり強めにあの黒い勇者を束縛して、動きを止めることは出来るか?」
「……そう提案するってコトは、期待しても……イイんだね、魔王サマ?」
「ああ。レオニールの事もあるし、いい加減あのバケモノにこれ以上付き合うのは辟易としてたのも事実だからな……これで決めてやる」
そういえば。
色々な情報が交錯していた上に、到着したらいきなり魔王様が窮地に陥っていたためアタシはようやく気付いたが。
魔王様の身体を金色に照らし、周囲に纏っている、アタシと対決した時よりも濃密な雷の魔力に。
だからなのだろう。
アタシもあの対決で見たとばかり勘違いしていた、魔王様の実力の底というものを見てみたいと思ってしまった。
「なら……見せてもらおうじゃないか、アタシと戦った時よりも上の、魔王サマの本気ってヤツをさぁ……ッ!」
『────ガアァァァァああああああ‼︎』
黒いバケモノが、雄叫びとともに身体を束縛していた「tir 」の魔術文字で作り出した魔法の鎖を力任せに破壊していくのと同時に。
アタシは、もう片手の指を大剣の刃で血を滲ませる程度の傷を作ると。
それぞれの指で、二本の腕に軍神の加護の魔術文字を刻んでいきながら、力ある言葉を唱えていく。
「我は正義を誓い、魔を喰らう者────tir 」
発動した魔術文字に、大地の精霊の鍛冶場から動きっぱなしで残り少なくなっていたアタシの残存する魔力を残らず注ぎ込み。
指を組んで、鎖から解放されもう一度アタシと魔王様へ向けて吐息を吐こうと予備動作を行う黒いバケモノへと、アタシは二本の腕を突き出し……叫ぶ。
「縛れ!────魔を喰らう鎖ッッ!」
両腕から作成された二本の黒い鎖が螺旋状に交差していき、やがて二本の鎖が同化していき太く、表面に赤い古代文字がびっしりと刻まれている鎖と化す。
それはまさに、魔王城の地下で宝珠の周囲を取り囲んでいたあの鎖と寸分違わぬ姿と変わっていた。
そんな鎖が黒いバケモノへと再び絡み付き、吐き出す吐息を鎖が外へと漏れ出すのを完全に遮断する。
『く、またこの鎖か!何度も邪魔をしおって……だが所詮は鎖だ、竜王の祝福を使ったこの身体ならば何度でも破壊してやる……ぐ……ぎ、ぎぎきィィィィィィ……』
どうやら、この鎖に束縛されている間は魔法だけでなく、魔力を含んだ吐息などを完全に遮断してくれるらしい。
ならば、と再び内側から力を込めて先程のように鎖を破壊しようとする黒いバケモノだったが、二本が連なった魔力の鎖だ。
今度は亀裂が入る気配はなく、寧ろ力を込めるのに対抗して鎖そのものが黒いバケモノへの束縛を強めていく。
『ガアァァ⁉︎……り、竜の怪力を持ってしてもこ、壊せない、だとおォォォォォ?……な、何だこの鎖はあああああ?』
……そこでアタシは思い出す。
もしかして「tir 」の魔術文字の効果をもう少し早く知っていたならば。
帝都で遭遇した「魔眼」バロールのあの身体を重くする魔眼をどうにか阻止出来たのではないか、と。
もしその想像が本当だとしたら、アタシはいま一度自分が手にした魔術文字への探究の態度を改める必要がある、と猛省していた。




